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活 躍


正体不明の女、八重が藩邸にやってきて10日ばかり過ぎた。
初めて会ったときは、本当に女なのか疑うような姿をしていた。
上から下まで真っ黒で、カラスのような姿。
中でも一番印象的だったのは瞳だった。
意志の強い、揺るがぬ自我を持っていそうな強い瞳が
とても印象的だった。

口を聞いてみれば、どこか挑戦的でなかなか面白い女だった。
どこまで使えるか試すつもりで、中庭の掃除と私の世話を任せた。
試されていることは、八重自身もわかっているようだった。

「朝餉の準備が整いました」
「今行く」

実際、八重の働きは目覚ましいものだった。
まず、基本的な所作は完璧であった。
着物の着付け、歩き方(畳の縁を踏まない等)、礼儀挨拶、
食事の仕方一つとっても、しっかりと躾けられていた。

執務室の様式を見て”異国風”といった。
その言い回しは、既に知っていた、
と言っているようなものだ。
だが、本人からは何も言ってこないので、
私から詮索はしないことにしている。

命じた中庭の掃除も手際良く片づけていく。
手が空けば女中たちに声をかけ、手伝っているようだ。

そして、一番の驚きはー

「・・・まず1枚目ですが、
『The bolt of cloth of the silk of spring pattern』
・・・これは春模様の絹の反物をお探しのようですね」


表座敷の記録所で、グラバー卿からの注文用紙を見ながら、
頭を突き合わせて、二人が仕事をこなしてる。
矢部は八重の訳を聞き洩らさぬように、注文用紙に書いていく。

「なるほど・・・では、こちらの・・・」
「・・・『Can it make, although he would like
to make a nightgown from AIZOME?』ええと、藍染でパジャマ・・
寝巻を仕立てることが可能か?と聞いてきてます。でも、これは
私たちが使う着物ではなく、洋装・・・異国風に出来るかときいているので
異国服を扱う、仕立て屋さんに問い合わせたほうがよさそうですね」


        ****

きっかけは3日目、グラバー卿の大量の注文用紙に途方に暮れていた、
外交担当の矢部が、私に相談したきた。

「私で良かったら訳しましょうか?」
「八重?」

ちょうど新しい茶を淹れて持ってきた、八重がいう。

「出来るのか?」
「英語・・イングリッシュなら多少」

言葉の割に、自信たっぷりな口調。
試してみるのもいいか。

「・・・これだ」
「拝見します・・・」

手に取った文にざっと目を通す。
そして、次々と訳して昼過ぎから始めた作業は
夕餉までにはすべて終わっていた。

「ほう・・・見事だな」
「大久保さんにはお世話になっていますから、
お役に立てて何よりです」


言葉こそ恭しくいうが、しかしその目は「してやったり」と
言わんばかりの表情だ。
確かに・・・自信持って言うだけのことはある。

それ以来、矢部の訳を手伝うようになった。

    *****

「明日の夜、坂本君たちとの接宴が予定されてる、
久しぶりに会うか?」

「私が参加しても?」
「別に構わん、ただの宴会だ」
「では、喜んで参加させていただきます」

中岡君たちのことを思い出したのだろうか、
ふと、なつかしむように表情を綻ばせる。

「時に八重、藩邸には慣れたか?」
「はい、大久保さんのおかげで慣れました」
「私の?」
「はい、大久保さんの御用で、藩邸の隅から隅まで
走りまっていますから」


それはそれは、みなさん親切にしてくださりますよ、と
茶を淹れながら、静かに笑みをたたえて言う。
全く・・・相変わらず挑戦的な視線をよこすものだ。

「・・・・・」

私は黙って、差し出された極渋茶を啜った。

ふと、考える。
この時代、通訳人になれるのはごくわずかの、
限られた人間だ。
それでも、八重ほど流暢に言葉を操る人間は少ない・・
というより、いないのではないか?
未だ、アレはどこから来たのか、身元不明のままだ。
阿蘭陀や葡萄牙の間者とも考えたが、それにしては
情報を探る様子は見られない。

一体・・八重はどこから来たのだ?
謎はますます深まるばかりだ・・・。


<end>

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