「あー……なんか、もうやだなーしにたいや、っはは」

「……」



隣で笑う少女から突然発せられた衝撃的な台詞は少年の思考を瞬時に停止させた。上手く切り返すセンスと瞬発力の持ち合わせが無い彼は固まったまま、ただ彼女を見たり目を逸らしたりを繰り返す。若干発汗し出した彼の白い手が安いソファーベッドのカバーをぐっと掴む。テレビの内容が全く頭に入らなくなったが彼は今それどころではない。
少女は笑っている。
テレビは人気の若手芸人達のネタ見せ番組で、忙しなく入れ代わり立ち代わり漫才やコントを演じており、スタッフや客の笑い声は絶える事がない。ただ、彼女が決してそういう事で笑っているのではない事は明白だった。



「……あの、」

「んー?」



聞き流すべきか触れるべきか判断がつかないまま何故だか話し掛けてしまった。当然続く言葉は見つからず、おもむろに向けられた顔から少年は視線を逸らした。手の平が益々じっとりと汗ばむのを感じる。指の先が冷たい。どくどくと加速してポンプ運動し続ける心臓もごくりと唾を飲み込む咽も耳のすぐそばにあるのではと思うほど音が大きく聞こえる。

好きな女に死にたいと言われた。どう反応するのが正しいのか、自分は何を求められているのか。必死で考えても頭には靄がかかり、不安が外から内から重く口を塞ぐだけだった。



「……ちょっとやぁだ、まじにとんないでよ。ごめん忘れて」



少年の胸裏をなんとなく察した少女がぱっと明るく言って彼の太ももを軽く叩いても彼の動揺は治まらないし不安も往なされる事はなかった。彼は彼女があんな事を言う原因に心当たりがあるのだ。やはり本当だったのだと苦い確信が身体中に広がる。冗談めかしても死にたいと洩らし、気丈に振る舞おうとする彼女の、笑った目尻がどうしても光るものを湛えているように見え、恋心渦巻く彼の胸はゆるゆると締め上げられた。その心境を思えばこそ無かった事には出来るわけがなかった。



「それ、無理だよ」

「……了って空気読めないよね。前からだけど」



くすりと笑って少女は視線をテレビに移す。さらり、と鎖骨の辺りまで伸びた髪の毛に隠れて横顔はよく見えない。



「ねえ、」

「……なーに」

「話、聞くよ」

「なに、それ」

「……」

「……変な顔」

「僕は、」

「知ってるんだね。別れた話」

「……あの、うん」

「ふーん」



そっか、と足をぶらぶらさせる彼女の声は抑揚が乏しく少し淡々としていて、それが逆に了と呼ばれた少年の不安を増長する。

学校という狭い世界の中で同じ顔ばかりに囲まれ、流れ作業の生活を繰り返す事が仕事の様な彼等の耳には、例え興味が無くともスキャンダラスなニュースが次々に飛び込んできた。暇を持て余している連中にとってそれらは立派な娯楽で、噂は瞬く間に広まっていく。そんな下世話な経緯で少女に何があったのかを、了は不本意ながらおおむね知っていた。けれど死にたい、と彼女に口走らせる程の事だとはついさっきまで感じていなかった。冗談だとしても恋人と別れたからといって死を持ち出す程その相手を真剣に思っていたとは思いたくなかったのだ。



「――元気、出しなよ」



なんだそれ。了は咄嗟に意味の無い間抜けた台詞を口にしている自分に呆気にとられた。なんて陳腐な事を。



「早く、忘れた方が良いと思う」



ダメだ。教科書にでも書いてありそうな台詞に反吐が出る。了は頭が真っ白になっていた。なんだか目眩までする。心臓のいやにうるさい音が耳障りで仕方ない。
少女はテレビに顔を向けたまましばらく黙った。テレビは相変わらず騒がしい。了は言葉に詰まったままそれにただ耳を傾けながら、ちらちらと控え目に隣を見てため息が出そうになっては、小さく息を吐いた。そんな事を数回繰り返すと、彼女は時々肩を揺らし、は、と短い呼吸をしたり鼻をすすったりし始めた。ああ、ついに泣いてしまった。どうしよう。狼狽えながら了は、泣かないでとは言ってはいけないのだろうなとそれだけ漠然と思った。



「……うん。うん。そーだよね。うん、ありがと」

「……あの、なんか、ごめん」

「なんで了が謝るの」

「……泣いたから」



彼の申し訳なさげな様子を見兼ね、了のせいじゃないし、と少しだけ鼻声になった声で少女は小さく笑ってみせた。光る目元が優しい形に歪むのを見て了も曖昧な笑顔を作る。もっと頭が良かったら、正しい言葉を見つけられるのだろうか。彼の皮膚の内側はそんな無意味な問い掛けがぐるぐる飛び交っていた。



「あたし知ってたんだ」

「え?」

「あのひとフタマタしてるの知ってたの」

「そう、なんだ」

「けどまさかさ、ケッコンとか、するって思わないじゃんさすがに。社会人って言ってもケッコン焦る歳でもないし。ってゆーかデキ婚なんだってさ、ドジだよね。カワイソー」



まくし立ててからばっかみたい、と少女はまた笑った。その明るい声とは裏腹に、小さな肩を更に小さく丸め足の爪先でカーペットの淵をなぞって鼻をぐすぐす言わせながらそれをじっと見ている。無言のまま少し彼女の顔を覗き込むようにすると、頬笑んでいるように見えたけれど、とても悲しげなそれだった。

いつの間に、どうしてこんな事になってしまったのか。聞こえてきていた噂と違う事や本当だった事を整理しようとして同じ事ばかりぐるぐる考えては、また無意味な問い掛けが飛び交い、了自身を内側からえぐって傷つけた。辛い話をさせたくせに気の利いた台詞一つ言えなくて腹が立つ。怒りと無力感に潰されないよう静かに耐える他なかった。彼女の方が重傷なのだと言い聞かせ、ひたすら痛みに耐えた。
自分なら大事にするのに、とは思っても言えなかった。言えるはずが無かった。



「ほんと、ばかみたいだよね」



ぽつりと消えそうに呟いて、また静かにぽろぽろと少女は泣き始める。堪り兼ねて、声を殺すようにして小さく震えるその肩におそるおそる触れた。何の反応もなく泣き続ける姿を黙って見ている事がどうしてもできず、そのまま不恰好に横抱く。女の子にそのように触れた事がなかった了は腕の力加減に気を取られつつ、馬鹿だと言うその言葉が真に誰へ向けられたものかを考えた。考えて、なんだか身体中が軋む気がして、苦しくて下唇を噛む。その言葉に自分を重ねると遣る瀬なさに目頭が熱を持ってどうしようもなかった。
不意に彼女の手が弱々しく、躊躇うように空気を掻いて、了の腕に落ち着くとしがみついた。込み上げたものが無神経に飛び出してしまわないよう、了はただ唇をかたくかたく引き結んだ。

そのか弱い嗚咽と小さな痩せ我慢を嘲笑する様に、テレビだけが馬鹿みたいに騒ぎ続けていた。












恋を、失う。
(一番すきなひとの、一番すきなひとには、なれなかった)


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