微グロ注意












 胃酸で胃が焼かれる。この苦悶を吐瀉物に乗せて全て嘔吐したいのに数日食事を取っていない所為で何も出てない。えづく度食道を焦がし咥内に苦い味を敷く胃酸ばかりが出口を求めて暴れている。
 肺に刺さった肋骨も砕かれた脊髄もひしゃげた脚も爪の全て剥がれた指も痛みさえ与えてくれない。
 この体に残されたのは幸か不幸か、崩壊しつつある思考のみだ。はらはらと正常な側面が剥離して、どす黒い本性さえ突き破って真っ白な壁面が表出する。それを人は白痴と呼ぶ。
 視界が黒い。肌を焼く陽射しからは雲一つない快晴の空の匂いがするのに、何も見えない。
 僅かな抵抗として腕を持ち上げようとすればぶちぶちと神経の 千切れる音がした。骨の露出した腕は肉漿と細かな神経や血管を血の海にこぼしている。ドブに捨てられたゴミのようだ。微動な振動にも容易く壊される。
 足も似たような惨状だろう。最後に明瞭な視界で捉えた二本の足は二本から四本に裂けていたし足首から下が砕かれていた。
 思考が一つもまともに働かない。
 ただ打ち捨てられた玩具のような体を瓦礫の上に横たえる現実だけがあった。
 呼吸をする度骨が肺を抉って穴が広がった。
 きっと腹に開けられた大穴から内蔵が丸見えだ。配置も形状も出鱈目で参考にはならいかもしれないが。
 ああ、でも、いやだなぁ。

「また手酷くされたものだな」

 ザザザとノイズ混じりの声が届く。頭の近くか足元か、距離感が把握でき ない。
 ザリと小さな瓦礫を踏みしめる音がして、頬に軽く触れる感触があった。
 死人のように冷たい体温だった。

「癒えるまで何年かかるかな。完治するまで放っておくのも一興だが…冗談だそんな目でこちらを睨むな」

 鼻先に吐息がかかる。
 労るような手つきで輪郭を辿られて、優しさを錯覚した。

「それでどこへ運べばいい?ああ、わかった。しかしこの有様では骨が折れるな。いや折れているのは私ではないが」

 嘆息して呆れた声を出しつつ、その指先が丁寧に体の調子を検分してくる。首に触れ肩に触れ皮膚を保っている箇所を探りながら、どうしたものかと思案に暮れる優しい気配がした。

 いいかな。かまわないかな。こいつならいいかな。

 傷ん だ思考で縋るように反芻した。確信よりも哀願に近い。
 いや、それは矜持も羞恥も葬った先にある、希望のような絶望。

「急かすな。そんなに言うなら君が運べばいいだろう。わざわざ私を実体化して、…何だ?」

 血塗れの唇が喘ぐように微かに動いたのを目聡く見付けてパラドックスがの動きが止まる。
 虫の息をするほどの儚さで十代が何事か喋っている。
 耳を近付け、その血生臭い吐息が届く距離で声を聞く。
 蚊の羽音にも劣る声音が瞬いた。

「……ぞ………ぐっ、て…」

「…何故だ?これ以上損傷を与えるのは好ましくないが」

「………………………か、し…から」

「何がだ?」

「…………………」

 黙した十代の瞳を覗き込む。白濁とし た瞳孔に光りはなく平素輝いている愛憎も悪戯心も跡形なく喪失している。生気という生気を失った瞳に、ただ唯一執念深くこびりつく切望だけが残留していた。
 めしいた目でパラドックスをひたりと見据えてくる。その常にはない真摯な光に、情を動かされた、とでも言えば納得して頂けるだろうか。
 哀訴されるままにパラドックスは十代の腹へ手を伸ばし、開いた穴から体内に差し入れた。
 ぐちゃぐちゃと不快な感触に総毛立つ。科学者ではあるが畑違いから解剖には縁がなかった。臓物の間に素肌を潜り込ませる感覚はこの先200年は忘れられそうにない。
 人体の構造には明るいつもりだったが目当ての器官へは中々辿り着けなかった。早くこの感触から解放されたいという焦燥で手先が狂っ ているのか。これ以上無遠慮に十代を掻き回したら傍らの鋭い目をした精霊と猫に寄生した悪霊に射殺されそうだ。
 額に玉の汗が浮かぶ。炎天下、腐りかけた肉の悪臭と鉄臭さで意識が白く遠退きそうだった。

「あ」

 掴んだ。それを。
 力任せに、慎重に手を、引き抜いた。
 十代の体が魚のように跳ねてごぽりと血が溢れる。
 ユベルが殺意を込めて背中を蹴ってきて体が勢いよく突き飛ばされたが、手中のモノだけは手放さなかった。
 十代を避けて不格好に額を瓦礫に擦り付けた。丁度十代の顔の横にあたる位置だ。
 手中のモノを見えない目の前に掲げて、告げた。

「君の心臓は確かに破棄した」

 刹那、赤黒く腐敗した心臓は炎上した。崩落する僅かな肉片が バラバラと、十代とパラドックスの髪と頬を汚した。青い炎に包まれて、とうの昔に鼓動を止め人の体内で腐るばかりだった心臓が焼失していく。



おれのしんぞうをえぐってすてて
はずかしいから
ぜんぶみえてて


俺が、もう使わない心臓をいつまでもここに持ってるって、バレるのがさ。


 白い瞳孔に青い炎が踊っている。パチパチと、鬱々と、陽気に。
 一筋の涙を血に混ぜてこぼし、十代はその様を一心に見つめていた。実際は顔に近い熱に反応して状況を察しているのだろうが。
 やがて最後の肉のひとひらまで焼き尽くしパラドックスの手が空になると、十代はゆっくりと目を閉じた。そうして見えた目蓋すら細かな傷が付いていた。

「…やはり君は、どこまで も不器用だ」

 呼吸を止め、睫毛の降りる間際の瞬間まで見届けてから、パラドックスは体を起こした。
 埃を払って立ち上がる。照りつける太陽に立ち眩みを起こした。
 いい加減大徳寺のかつてのアジトとやらに運ばなければ本格的に十代が腐り落ちてしまう。それでも死ぬことはないだろうがそこまでいくと流石に回復が困難になる。呼吸がなくても心臓がなくても彼は死なない。彼が死ぬのはヒーローを止める時だ。
 皮一枚で繋がる手足を掻き集め折り畳むようにして自らのコートに包んでその体躯を抱えた。
 十代の耐久性を誰よりも熟知しているくせに誰よりも過保護な精霊の剣呑な視線に背中を叩かれて歩き出す。
 踏み出した一歩がよろけて、踏み留まる。
 パラドックス はあくまで十代の魂に飼われている奴隷の身であるわけで、その体力ゲージはあくまで十代に準じるのだ。身体が破損しても魂が傷付くことはないが、流石に今回はやられすぎた。
 じゅわりとコートから血が滲んで抱える手を汚した。
 後には退けない。前にも進めない。何故ならもう死んでいるのだから。

「ああ本当に、ヤクザな職業だよ、ヒーローとは」

 いつぞや掌中の人物に無理矢理噛まされた苦虫の味を思い浮かべながら、陽炎の向こうを目指して歩いた。





タナトスの心臓








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