多重人格パラレル
パラさんは精神科医
色々と救いがない








「今日は万丈目とデュエルしたんだ!すっげーいいところまで追いつめたんだけどやっぱアイツも強くて、あとちょっとのとこで逆転されちまったんだよな…でも次は絶対勝つ!毎日デュエルしてるからアイツの戦い方もちょっとずつわかってきたし!」

「そうか。楽しそうで何よりだな」

「ああ!学校は楽しいぜ!皆と好きなだけデュエルして遊んで、ずっと学校にいたいくらいだ!」

「遊戯にばかりかまけて授業を疎かにはしていまいな?」

 ギクリ、と満面の笑みに焦りが差す。明後日へ視線をさまよわせながら、それまで淀みなく紡がれていた言葉を濁す。

「えーっと…んなことねーぜ?」

「ならばこち らを見て話したまえよ」

 声音だけは冷淡に、しかし口元をふっと綻ばせれば他人の気配に機敏な彼は目敏く気付いたようで、更に態度を一転させて膨れっ面になる。

「あー!アンタまた俺をからかっただろ!」

「さて、何の事やら」

「今笑っただろ!」

 遺憾を示しながらも無邪気にじゃれついてくる腕を適度にいなして相手をする。

 彼は常に完爾として笑んでいる。心底からの幸福を浮かべながら、嬉々としてその日の出来事を報告してくる。
 行ったこともない学校の事を。いない友達の事を。知らない遊びや参加した事もない行事について、事細かにその子細を漏らさず伝えようとする。架空の日常においての彼の微細な心情の動きさえも。
 当初は彼の語る友人 は彼の内にある人格なのだと思っていたが、別の視点から語られるところによるとどうもそういった風ではないらしい。
 覇王は言う。

「十代の語る友人は全て十代の妄想の産物だ。全員が全員な」

「実在しないのにあんなに克明に語れるものか?」

「あれだけの人数がこの精神に犇めいている等、想像するだにおぞましい。一学級まるまるだぞ?」

 成る程な。
 誰よりも弟をよく知る兄の言は信用に値する。
 十代とは打って変わって冷酷な目を向けてくる男は、十代より後に生まれた十代の兄だという。何故そのような設定になっているのかと問えば「その方が守るのに都合がいいからだ」と返された。他人の価値観とはつくづく理解し難いものだと、職業柄怠慢にも等しい事 をぼんやりと思った。
 同じ顔、同じ声、同じ体を持ちながら彼等二人の雰囲気は余りに差異が大きい。否、"十代"の内にある全ての人格はその誰もが同一人物から生まれたとは思えぬ程隔たった空気、性格を持っていた。
 尤も解離性同一性障害、俗に言う多重人格とはえてしてそんなものだ。



 "遊城十代"という一人の人間の中には何人かの人格がいる。
 現在主人格を担っている"十代"、"十代"を庇護するために生まれた"覇王"、"十代"を盲信し偏愛する"ユベル"、動物人格(猫らしい)"ファラオ"、そして基本人格の"十代"。他にも存在するらしいが私が会ったことがあるのはこの五人だけだ。
 十代は一日の殆どを"十代"として過ごす。必然的に私が相手をするのもその十代が多くなる。
  だが時折、十代が疲労したり何らかの要因によって出られなくなった場合、覇王が出てくる。覇王は十代の守護者であり十代が回復するまで外界の一切を請け負う。
 覇王は十代の様態を把握できるが十代は覇王の存在を認知してすらいない。そもそも現在表に出ている十代は自分の他に人格がいるという事実に気付いてもいない。自信の生い立ちも知らなければ現況もまともに把握していない。ただ無邪気に空想の世界を日々生きている。

「時間だけが膨大にある」

 箱庭にチェスの駒を並べながら覇王が苦々しく語る。

「愚かな空想に費やす為だけの時間が。十代は他に時間の使い道など知らぬ。俺も他の人格も、大元の十代もな」

 キングの駒を水辺に落としながら、覇王は目を伏せ ふっと柔らかに自嘲した。

「愛されるという事も愛すると言うことも知らない。それでも愛について考えるのを止められない。時間が有り余るというのも考え物だな」

 箱庭から手を離し、覇王はこちらへ向き直った。

「貴様はどうだ?俺達とこんな不毛な会話をして金に換えている気分は?」

 無表情にそう言い捨てて、覇王は片腕で薙いで箱庭を叩き落とした。毛足の長い絨毯に安い人工砂と駒とミニチュアのセットが無残に散らばる。
 足元に転がったキングを踏みつけて覇王が低く唸った。

「十代は学級での人気者だ。誰からも好かれ愛され文武両道に長けている。俺だって十代を愛している、この世の誰よりも。二年だ、二年かけて構築した世界の全てがそんなちっぽけな ものだ。十代は未だに施設の個室から出してもらえない。食事を運んでくる職員の顔さえまともに見られない。俺達の努力と犠牲の成果がたったこれだけだ。何の意味もない」
 覇王はかつて傷害事件を起こした。施設の職員をフォークで抉って失明寸前に追い込んだ。二年と半年前の出来事だ。何が彼を凶行に駆り立てたのか、事件の背景は明らかにされていない。事件後担当することになった私は詳細を聞かされていない。だがそれ以来十代は個室へ隔離され他人とまともに会話ができなくなった。
 二年前の話だ。
 覇王が苛立ちをぶつけたいのは十代だろうか。それとも自らが手に掛けようとした男だろうか。

「余り興奮すると体に悪い。また倒れでもしたら厄介だぞ」

「何故この体はこ んなに惰弱なのだ」

「それが君の背負う人生だよ」

 ギリッと歯噛みして唇の端を歪に釣り上げながら覇王は炯眼でもって睨めつけてきた。笑みを形作ったつもりかもしれない。

「貴様は医者とは思えぬほど叙情的な台詞を吐くな」

 それきり覇王は半年姿を見せなくなった。十代とも再会したのは二週間後になる。
 翌週の診察では、基本人格の゛十代゛が出ていた。

「久しぶりだな」

「お久しぶりです先生」

 胡散臭い笑みを浮かべて愛想良く会釈する彼は全ての十代の根幹であり、本来の遊城十代たる人格だ。数多の人格に現実での責任を押し付け隠遁している引き籠もりでもある。
 実際彼らとは二年の付き合いになるが、゛この十代゛と顔を合わせたのはこれ で三度目になる。

「以前会ったのは一年前だったかな。随分間が空いたものだ」

「そうだったかな。寝てたから時間の感覚が曖昧だ」

 入室した時の柔和な雰囲気が一変して素っ気ない態度に変わる。表情が削げ落ちて全てに絶望したような冷めた瞳が露出する。
 どさりとソファに身を沈ませ、ソファの背に肘をついてどこへともなく視線を遊ばせている。無言。

 正直なところ、彼を一番扱いあぐねている。

 柔らかなクリーム色を基調とした視覚的に優しい部屋で、彼の退廃的で鋭い存在は異質なモノだった。心なしか彼が出ていると覇王よりも目つきが鋭く見える。
 細い足を組んでソファを占領する不遜さも咎めるのを許さない空気を纏っている。
 些細なことで、ま たは何の理由もなく気分をころころと変える彼は情緒不安定で振れ幅も大きいため迂闊に触れることも出来ない。放置すれば放置したで機嫌を損ねるのでやはり匙加減の難しい所だが。

「なあ」

 やおら声がかかる。

「アンタ誰か抱いたのか」

「…誰とも何も起きていない」

「そっか」

 やっぱりアンタ詰まんない男だな。言葉と裏腹に呼気に笑みを混ぜて彼は呟いた。相変わらずなんて事を聞いてくるのだろうか。

「一回くらい押し倒してやれば何だって言うこと聞くと思うぞ」

「よからぬ事を唆すな。精神科医がトラウマを作ってどうする」

「アンタなら大丈夫さ」

 やけに確信めいた強い口調で彼は断言した。眼鏡越しにちらりと窺えば肘おきに頭を 預けて寝転んでいた。透明な目が天井の向こうにある曇天を見ていた。今日は午後から雨らしい。

「何が大丈夫なものかね」

「大丈夫さ。俺にはわかる。俺のことだからな」

 口元に静かな笑みを浮かべて、彼は目を伏せた。長くはないが整った睫が表情に影を落として、彼を年不相応に飾る。

 以前にも彼は言ってきたのだ。抱けばいいのにと。
「何なら俺でもいいぜ?」
 そう迫った彼の頬を張った時の痛みは忘れない。人を叩けば自分の手も痛くなるのだと初めて知った日だった。
 抱けと迫った彼が餓えた獣のように見えて、寧ろこちらが取って喰われるのではないかと戦慄したものだ。間近で見た瞳に宿る情欲の色に呑まれそうだった。
 結果として、あの時彼に手を出 さなかったからこそ今の関係が続いているのではないだろうか、と推測している。
 彼は自らの身で以て人を試すきらいがある。
 人を食ったような性格、とは言い得て妙だ。

「アンタに抱かれたら幸せなんじゃないか、彼奴等」

「適当なことばかり言うな」

「だぁから適当じゃねーって」

 彼は跳ねるように身を起こしてこちらへ向き直った。蛍光灯に晒された異様に白い肌とその頬を滑る髪の一房が病的に艶めかしい。

「アンタだって好きな奴に抱かれたらうれしいだろ。愛ある行為は何億の言葉よりも愛されてる実感をもたらしてくれる」

 口調はふざけているくせに、その視線はひたすらに真摯な色を湛えている。こんな場面でそんな目をされたら、どうすればいい のかわからなくなるのに。

「…君たちが私に寄せる好意はそういう類ではないだろう」

「同じだよ。視野が狭いんだ。他に比較できる対象もいないしな。好きだと思った相手が全ての愛情を全身全霊で注ぐ唯一の対象だ。友愛も情愛も、俺達にはひとつだ」

「…それは、」

 それは、それはとても。
 彼らを傷つけぬ言葉の続きを見つけられないでいると彼が先に言葉を続けた、緩やかな嘲笑をひとつ余韻に含ませて。
 何故だかそれに、見限られたような気持ちになった。

「たったひとつの万能で都合のいい潤滑油を教えてやろうか?」

「?」

「愛だよ」

 そう言ったきり彼はソファに伏せて寝入ってしまった。愛、と声にした時の彼の表情を私は見逃してしま った。何となくそのことを一生後悔するのだろうな、と不快な確信が胸を焦がした。




 彼の母は彼の父によって殺害された。彼の父は己の妻を悪魔だと罵って獄中で精神を病んで死んだ。終ぞその口から息子の存在が言及されることはなかった。
 保護された十代の身にどのような損傷が見られたか、やはり私の預かり知るところではない。
 ただ私は時間がくれば彼を起こして施設に帰し来週また同じ時間になれば同じように彼を迎えるだけだ。そうして無為なループを繰り返す。
 彼が私に懐いたところでそれ以上のものはないし、他の人間とコミュニケーションが取れない彼が社会復帰することも難しい。
 結局この小さな部屋で起こる過去から連なる全ての苦悶と懊悩が現在に投企 できるものなど何もなく、対自することも叶わない。






 ただ愛だけが全てを救うというおとぎ話を信じるのみだ。







いつか施設を追い出された十代さんをパラさんがお持ち帰りして家で介護したりしなかったり。
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