息をするのも躊躇う瞬間が、ある。
死人の身で、そもそも無機物の分際で、一人前に人間の真似事など余りに傲慢ではないかと。事実、ロボットが呼吸するなど滑稽な倒錯劇に他ならない。この身に持ち得ぬはずの在らざる幻影に縋って不要な足掻きを続けている。
愚かだ。
彼の前では特に強く、そう思う。
「俺には心臓がない」
腰の辺りからくぐもった声が聞こえた。感情の抜け落ちた、わびしい声だ。
「肺もない。胃もない。肝臓も膵臓も脳味噌も眼球も手も足も爪も鼻も口も、あるのは俺という統率された意志を持った闇だけだ」
パラドックスが腰掛けた闇に溶け込むように十代の足が投げ出されている。べったりとパラドックスに密着した部位だけが、暗澹から掬い上げられたように明確に存在していた。腰に腕を回して膝の上で猫のように丸まっても、成人男性である十代の身体は余る。
跳ねた髪の毛を梳きながら地平線さえ呑み込む闇を見つめた。
「俺には存在がない。命がない。だから呼吸する必要もないし寝食休養を取る必要もない。更に言うと死ぬ必要もない。元から生きてないからな」
膝に顔を埋めたまま十代が僅かに身じろぐ。彼のやりやすいようにパラドックスも体勢を変えた。
こういう些細なやりとりの最中、たまに自分は彼を愛しく思っているのではと錯覚する。
「なあ、俺はそこまで世界から怨まれるほど酷い人間だったか?」
俺より酷い人間なんていくらでも居たのに、最低で生きる価値もないゲスで外道で屑な存在はいくらでも居たのに、
どうして俺だった?
それは、多分。
まだちゃんと生きて、生身の感情を持って彼の傍にいた頃に、オリジナルの自分が何度となく胸中で彼に問い掛けた事だ。
何故、他にも数多に人間はいたのに、この世界を救うため犠牲になったのが彼だったのか。何故彼でなければならなかったのか。
自分の身も心も殺してそれでも報われなかった彼は、
「なんで人間なんかに生まれたんだろうな」
どろどろと十代の爪先が液状に融け出していく。逼迫した闇へ流出していく。
「石でも草でも猫でも、人間でさえなければきっと今より千倍マシだった。何で人間なんかに生まれたんだろうな」
愛するために
と、同じ問いを繰り返す彼に答える代わりに足を絡めた。触れ合った皮膚から輪郭を取り戻していく。
人の形を保った所で何になるだろう。
彼も自分も所詮、溺死することさえ叶わない。叶わないものは望まないのが幸福なのに。
宥めるように背中を撫でれば、静かにしゃくりあげる声が聞こえた。
血も通わないこの手の暖かな体温も、ゆっくりと触れ合う背中から伝わる空の心音も、さもしいばかりだととうに気付いている。
後追いジョバンニ
未来永劫、さようなら