拝啓、家族の皆様。
 なんだかんだあって、俺は消える事になったみたいです。

 と、そこまで書いて筆が止まった。
 他者のメッセージを代弁する事しかなかったこの手が筆をとっても、まともな文章が浮かぶはずもない。取り敢えず形式的な挨拶の言葉を書き起こしてはみたものの、その先がさっぱり続かない。というか思い浮かばない。

(つーかいきなりこの書き出しはねぇよな…なんだかんだって何だよなんだかんだって。悲壮感の欠片もねぇな)

 自ら認めた文章に突っ込みを入れている様では先が思いやられる。
 ぼりぼりと乱雑に髪を掻いて、阿修羅は一人悶々とした。

 そう、なんだかんだあって阿修羅はお役後免になったのだ。
 消えるというのが大袈裟な表現であっても、解約されて誰とも連絡の取れない空間に閉ざされれば、その果てない孤独は死にも等しい。同じ会社ならまだ機体を変えて精神を引き継ぐ事も出来たが、生憎今回は会社ごとの機種変更となったので、阿修羅は本当に隔絶されてしまうのだ。
 皆と過ごした空間から。

(それを如何にふざけず、オブラートに包んで、かつ速やかに伝えるか、 な ん だ が)

 自発的な文筆にかすりもしなかった二年間の生涯を悔やむ。せめて主が読むネット小説にくらい目を通せば良かった。いや、あれはあれで参考にしてはいけない類のものだったのか。どちらにしろ、だ。

(どーぉすっかなあ)

 唸れど悩めど頭を抱えれど、一向に筆は進まない。最初の二行を書いたきり後に続く文章は途絶えてしまった。
 さて、どうしたものか。

「何辛気くさい顔してんのよ」

 やおら聞こえた声の方へ振り向く、前に顔を真っ正面から吹き飛ばす、衝撃。

「ぐがっ?!」

 事態を把握する間もなく背中に第二の衝撃と激痛。ついでとばかりにバウンドした体が再び叩き付けられる事による、オマケの第三弾。
 目蓋の裏で火花と星が散り脳が揺れる。意識が飛ぶのを寸でで引き止めて声を絞り出した。

「相変わらずいい蹴りだな…カナ」

 額に手をあてがいながら鈍い動作で上体を起こした阿修羅を迎える、冷ややかな視線と小馬鹿にした様な溜息。柔らかな色合いのスカートをひらめかせながら、十七夜が佇んでいた。

「アンタは相変わらず愚鈍で鈍重で愚図ね」

「それ愚鈍の一言で済ませて良かったんじゃないか?」

「私も出来れば修飾語は短く済ませたかったけど、アンタのクズっぷりを形容するには足りないかと思って」

「お前の中の俺像を一度微に入り細に入り問い質す必要がありそうだ」

「そんなもん、クズの一言でじゅーぶんよ」

 平然と言い捨てながら靴の爪先で軽く地面を蹴る姿に戦慄を覚える。先刻はあの靴を顔面で受け止めたのかと思うと、自らの耐久性に感動せざるを得ない。
 十七夜の靴は本人の足のサイズに比べ不自然に大きく、7センチは彼女の身長を底上げしているものだ。

「で、アンタは何でそんなに辛気くさいツラしてるのよ」

 腕組みしながら横柄な口調で投げかけられた疑問に、阿修羅がぽかんと呆けた表情を晒した。

「…なんか、違って見えるか、俺?」

「いつにも増してじめじめしたオーラが漂ってるわ鬱陶しい」

 恐る恐る聞き返した阿修羅に、十七夜は当然の様に首肯して暴言を返した。
 その言い様は険のあるものだったが、彼女と付き合いの長い阿修羅には察せられるものがあった。

(あーやっぱバレるよなあ。何たってカナだし)

犬猿の仲(一方的に十七夜が阿修羅に突っかかっているのだが、十七夜は互いの関係をこう表して譲らない)に見えて、その実最も付き合いが深く長いのは互いなのだ。相手の些細な不調に気づけない程、また隠しきれる程、浅い仲ではなかった。その関係を何と表すのか、互いに明言は避けてきたが。

「何かあったの。アンタ、最近ずっとそんな調子でしょ」

「最近って、ここ二、三日だけだろー」

「へぇ、二、三日前に何かあったんだ」

 しまった。阿修羅がぎくりと肩を強張らせたのを十七夜は見逃さなかった。にまりと意地の悪い笑みでもって阿修羅を捉えた十七夜の顔には勝利がたたえられている。見上げる形のアングルも相まって、非常にそれっぽい風格が漂っている。
 またえらく典型的な手に引っ掛かったものだと、自らの安易すぎる失態に呆れた。

「それってアンタが自社の支店に行った頃よね?確か新しい機体を貰うだとか何だとか言って結局そのまま帰ってきたの。あん時何か揉めてたみたいだけどそれが原因?まだ解決してないの?」

「あー…まあそんなとこ、ってか正しくそのままなんだけどさ」

「ふーん。ほんっと鈍くさいのねアンタって。問題一つまともに片づけられないなんてさ」

「あっはははー…そうだよなー…」

頼関係はあったのだ。

「とっとと解決してしまいなさいな、お馬鹿さん」

 ふっ、と、視界が柔らかな薄緑に覆われた。阿修羅の鮮やかな朱と対をなす様なその色合いは、阿修羅が最も近しくしていた少女の機体の色で。
 薄緑の布が開けた先には、至近距離から覗き込む大きな瞳。常に不機嫌な色を湛えた、それでも阿修羅がこの世の何より綺麗だと思った宝石の様な。
 頬を両手で包み込まれて、間近で見つめ合って(十七夜は睨み合ってと称したかも知れないが)、けれど不思議と二人の間に甘い空気は流れなかった。ただ仲の良くも悪くもない兄妹が戯れに触れ合う様な、素っ気なさと健全さと、深い信頼だけが淡々と無機質な呼吸の間で澱んでいた。

「アンタがそんなだと、こっちまで調子狂うじゃない。ばか」

「俺なんかに引きずられるのか?」

「ほんとに壊れたらって思うと全力で蹴れないわ」

「俺が壊れたら、悲しんでくれるか?」

 我ながら酷い質問だと思った。酷く自分に酔っている。それでも口をついて出た言葉を取り返す術も撤回する意志も阿修羅は持たなかったから。ほんの僅かでも期待を潜ませていたから。十七夜には隠し通したいそれを、誰よりも知って欲しいという衝動もあったから。そんな様々な言い訳をごちゃ混ぜにして、本心の 一部を吐露してしまったから。
 それとは察せられぬ様、息を殺して極力感情を削いだ瞳で、阿修羅は十七夜の返答を待った。

馬燈とでもいうのか。書き尽くせぬ想い出と言葉に出来ない想いが花火の様に咲いては消えた。鮮やかに、眩しい程の瑞々しさをもって。
 アイオロスがいた。ウエハラがいた。リコリスがいた。他にも沢山の家族が。
 リコリスが唐突に、永遠に喪失して、ウエハラはいつの間にか消えていて、段々と顔ぶれが変わって、自分の番が巡ってきた。
アイオロスには既に伝えた。何もかも心得た様な顔で労いと、別れの言葉をかけてきた彼は大人すぎて少し疲れている様だった。
そうして今、アイオロスには簡単に告げられた言葉を言えずに、うじうじと苦悶する自分が居る。
合わせた額の向こうにある心に、記憶に、感情に、十七夜に。何一つ伝えられずにこうして浪費される時間の穏やかさに甘える自分が居る。
顔ぶれが変わって古参と呼ばれる様になって、気が付けば十七夜が一番傍にいた。
他にも交流を持ち大切な家族として親しんだ者達はいたが、十七夜だけは特別な立ち位置にいた。いつなんときも。恐らくそれは十七夜にとっても同じで、互いに相手に対する感情だけがどの枠にも当てはまらない、曖昧で、けれど確かにふたりの血肉に染み込んだ深い絆となっていた。

(カナは気付いてるんだろう。何となく。なにかを)

 大人しく阿修羅と触れ合っている様は平素では考えられない。本当に、阿修羅の不調に感化されているとしか思えない程の神妙さだ。

(当たり前か。だって、)

「すぐなおすよ」

 阿修羅の言葉に十七夜が目を開ける。至近距離でかち合う視線。近すぎて互いの顔のパーツすらぼやけて輪郭を捉えられないが、その瞳の強さは視覚を超えて伝わっていた。

「すぐ元に戻る。元に戻って、またお前に渾身の力で蹴らせてやるよ。好きなだけ」

「…キモ。なにそれマゾヒスト?」

「お前が蹴りたいって言ったんだろー」

「調子が悪いと蹴れないって言ったの。あたしまで変態道に引きずり込む様な誇大解釈は止めて頂けないかしら」

「うわーお前に敬語使われると本気で嫌がられてる気するわー」

「実際に全身全霊徹頭徹尾足の先から髪の毛一本に至るまで完膚無きまでに嫌ってるけどね」

「お前のそういう常にフルスイングなところ、嫌いじゃないけどいい加減ダメージがだな」

「やっぱりマゾね。精神的にも肉体的にもって、アンタほんと救えないわ」

 息を詰める程、目を凝らす程、普段の二人にはあり得ない近さで軽口をたたき合う。
 何だかんだ言って、これが阿修羅の幸福だった。何よりの幸福だった。アイオロスとウエハラとはしゃぎ、リコリスと戯れるのと、同等に、もしかしたら、それ以上に。




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