「ひとつの仮定があるとする」
ぴしりと立てた人差し指で闇を切り分けて、
少年は問答する。
その所作に合わせて茶髪が揺れる。
「前提は何でもいい。俺が女であるとか、子宮と産道を有しているとか、もうなんか理屈は兎も角人間のおしべに対応しためしべを持っていたり、とか」
指折り言葉を繋ぎ繋ぎ、感情の失せた瞳孔を眇る様は痛々しく、女々しい。咨意的にたおやかな身のこなしは苛立ちを煽る。
誰にそのような所作を強要されたのだろうか。
「まぁ、つまりはだ。
俺が妊娠できる体だったら、という仮定だ」
にまりと首を巡らせ此方へ向いたその野卑な笑顔に、振りかぶった。
「俺があの人の子を孕めたなら何か変わったんだろうか遺せたんだろうか。
心臓を悪くして早くに逝ってしまったあの人の何かをあの人と俺が繋がる何かを。
心はあんなに溶け合って同じように混ざり合っていたのにあの人と俺がどんなに頑張っても目に見える形での証は何も残せなかった遺せなかった」
おれがはらめなかったから。
「子供がいたらきっと今より幸せだった、」
色のない瞳から壊死した欲動が溢れ落ちる。ぼろぼろと、涙に擬態して。純粋なものに見せかけて。
世界で一番不幸な少年がこの手の下で鳴いている。
澱みなく発声する声帯を気管を締め上げて爪が食い込むほどに力を込めたけれど結局少年には何も届かなかったようで、彼は瞬きをひとつきり、それきり何も反応してくれなかった。
そうやって懊悩を吐露される度こちらの精神も痛んでいくというのに。浅からぬ関わりを持った相手のそんな弱りきった姿を押し付けられて平然としていられる程、この精神は図太くない。
本当に泣きたいのはこっちだ。
「君は結局こうして欲しかったのだろう」
ぎりぎりと噛み締めた隙間から慟哭のように呟けば、随分恨みがましい言い方になってしまった。口端から零れ落ちていく幽かな声の一音一音にあえかな憎しみが隠っている。
答える声はなくただ曖昧な微笑のみが空虚の輪郭を彩る。何一つとして本心からの冀いではないくせに繕う為の虚飾ばかり雄弁で。
そんな君が哀しいとあと何回哀訴すれば届くのだろうか。
心許ない細さの腹に跨がってとろりとした瞳孔に噛み付いた。
「君が孕んだら片端から私が殺していってやろう」
だから安心して 。
「アンタならそう言ってくれると信じてたよ」
みきみきとイヤな音をたてて少年の首が形を変えたが、当人はとても安らかな表情で目を閉じていた。安堵からくる睡魔に身を委ねたようだ。
ああやっぱりダメだった。何一つ届かなかった。何度殺しても何度犯しても侵されても、彼の人としての心をかつての恋人から取り戻せない。
微かな寝息をたてる少年に、その余りの穏やかさに、自嘲めいた笑いが咽の奥ではぜた。
人間の道理を外れた所で、必死に正気を保とうと足掻いてる。なんて滑稽な、最早正気の定義さえ枠内には収まらないというのに。
手を離し、眠る彼の首筋に顔を埋めて倒れ伏した。
暗転する世界が一人きりの心音に閉じられていく。
無音の己の胸が軋んだ。気がした。
愛を最初に愛と呼んだのは神ではなく人間だった。
だからいない人間の為に祈るのはもう罷めなさい。