噛み付いた。喰らい付いた。
 薄い表皮がぎちぎちと悲鳴をあげ断絶の予感に戦慄いた。
 びくびくと神経質に身悶える血管も確りと咥え込んで歯をたてる。犬歯を喉仏の横に突き立ててごりごりと骨に当てれば、縋るように手が宙を彷徨った後に腰へと宛がわれた。そのまま片手で抱き込まれ、もう片方はやんわりとこちらの頭へ添えられ、軈て緩やかな手付きで髪を撫で始めた。毛並みのいい猫を愛撫するような、慈愛の隠った手付きだ。
 そうされている間にもずっと膚を噛み砕き続けた。じっくりと、じりじり焦らすように時間をかけて。

「あんたの愛を証明して。
そうしたら好きにしていいから」


おれにならころされてもいいっていったでしょ。


 柔和な笑みを浮かべながら、新品のシャツの釦を三つ外した彼の喜色と愉悦に染まった瞳が忘れられない。今もそんな目でこの所業を見守っているのだろうか。侵擾しているのはこちらなのに、背筋を走る悪寒と消えない鳥肌に凌辱されている気分になる。
 どくどくと脈打つ男の命の証。これがあるからこんなにも惨めな想いをしなくてはならないのだ。積年の怨憎を込めてより強くそこを噛み締めた。
 男が僅かに息を詰め、ふっと微かに笑んだ気配がした。
 胃の辺りでざわざわと居心地の悪い感覚が這い擦っている。悪い夢に酔ったような奇妙な感覚だ。胸が焼けつきそうに苦しい。
 何もかもがいけない気がした。許されない。怖い。そう、おれは、―――――怖い。

 はっとして力を緩めた直後に男の手が強く頭を押さえ込んできた。男が自ら首にこちらの歯を押し当ててもっと深く咥え込むよう促している。拒否を許さぬ傲慢さで。
 その時漸く気付いた。見ずとも判るほどに、男は深く笑んでいた。ずっと。目と口を歪ませ大きく弧を描いて。笑んでいたのだ。
 髪を舌先で掻き分けてこちらの探り当てた耳へ、聞き慣れた忌々しい声音が吹き込まれた。興奮して上擦った、吐息に混ぜて音を直接神経に流し込んでくるような、あの声を。

「愛している」

 目を閉じた。
 視界の先、窓の外に広がる世界に未練たらしく救いを求めてしまいそうになったから。もう自分から堕ちる痛みを求めたくない。
 ぶちり、と何かを突き破る感触と口内に蔓延する鉄の風味、腰を撫でる手つきの淫猥さだけで瞼の裏の世界は完結していた。






未遂のイントリーゲ




 いっそ自分の喉が裂ける音ならいいのに、と夢想した。

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