で、私と彼女は出逢った。

 
 曾て私は故ある仏閣の明王像であった。其れなりの格式や伝統を備えた、由緒ある仏閣であったが、やんごとなき者共の事情に因って取り壊されてしまった。だが年月を経、人々の信心を長きに渡り受けてきた私は既に一柱の神とも成れる存在であった。
 私の在った仏閣は紅葉山の奥地であった。
 私は日毎に紅葉の木達と語らい、宴を催した。享楽に耽るまま日々を怠惰に過ごしていた。
 だが、そう、忘れもしないあの紅葉が絶頂を迎えた頃に、私は彼女と出逢った。

 平素の如くに山を散策し、何とはなしに小川に沿って人里近くへ下っていた時であった。
 危なげな足取りで、周囲の紅にも引けを取らぬ、朱色の着物を纏った少女を見付けたのは。
 流れる射干玉の髪に、雪のように白い肌をほんのりと紅潮させ、たおやかな手付きで落ちた紅葉を拾い上げる様。実体化した私と目が合った刹那の、はにかんだように伏せられた瞼の長い睫毛。
 私は一目で恋に堕ちた。また、彼女も同じ気持ちであると何故か通じ合っていた。

 彼女は近隣の村に住む平民の娘だった。祖母が機織りで其れなりの評価を得ている職人であり、彼女が纏う神々しいまでに美しい着物も祖母の手に依る物であった。
 だが私には外面の美しさ等何の意味も無い。彼女自身、魂の内に秘めた美しさに私は強く惹かれたのだ。
 軈て私達は逢瀬を繰り返し愛を語らい合う仲となった。運命等という曖昧な言葉を用いる事は好まないが、彼女と共有した全ては予め結び合わされるよう定められていたのかも知れぬ。
 日を追う毎に彼女への思慕の念は強まる一方で、私は自らの立場も忘れて、彼女とのほんの数時間の逢瀬にのめり込んでいった。其れは彼女も同じであるようだった。今よりも短絡的だった私は其れを純粋に喜ばしく思っていた。
 私が自らの正体を明かした時にも、矢張り私達の関係が変わることはなかった。寧ろ秘密を分かち合った私達の絆はより一層強まるばかりであった。

 幾年も幾年も、私達はただ手を繋ぎ合うだけの幼い逢瀬を続けた。だが其れだけで私は、何万人の信徒に崇められるよりも、荘厳な装飾を施されるよりも、気の赴く儘に遊び呆けるよりも、遥かに心満たされていたのだ。
 だが、人間である彼女と神である私の時は違いすぎた。
 歳月が矢の様に過ぎ、可憐な少女であった彼女が、大人の女へと成長した時、出逢った頃の様な燃える紅葉の下で髪飾りを手渡された。
 彼女は自分達の死別、其れに因って彼女の居ない時間を如何に私が孤独に過ごさねばならないかという事について、深く理解する様に成っていた。然して遺される私を慮って、少しでも孤独の慰みに成るようにと、彼女が幼少期より肌身離さず持っていた髪飾りを譲ってきたのだ。見事な紅葉をあしらった髪飾りを。

「私を恋しく思ったなら、この満開の紅葉を見て私を思い出してください。
私は紅葉のひとひらとなって、貴方を想って色付くでしょう」

 儚げに微笑んだ彼女の頬を、秋の斜陽が健康的に照らし、宛ら名匠の手に依る一筆の絵画の様な風情であった。私は片時も、其の時の彼女の言葉や風に遊ぶ髪の一筋、髪飾りを渡す時に触れ合った手の温もりに至るまで、一切を忘れた事はない。

 数年後、彼女は薨った。当時の人間は現代よりも格段に短命であったが為だ。彼女は立派に天寿を全うした。



「私は彼女と最後に歩いた紅葉並木の中でも、一番若い木の最も紅い葉を選び、髪飾りに宿った彼女の生の残滓を吹き込んだ。そして生まれた紅葉の精に髪飾りを渡したのだ」

「それが紅穂くんですか?」

「ああ」

 ずずいっ、と茶を啜る音がした。
 午後の麗らかな陽気差し込む縁側で、二人並んで呑気にお茶を頂くのは、アブカルと明王だ。滅多にない組み合わせに周囲は戦々恐々としているが、当の本人達は至って平凡に茶を酌み交わしている。

「大切なんですね、その方との思い出も、紅穂くんも」

 嬉しげなアブカルの言葉に明王は無言で茶を啜ったが、それが照れ隠しのように見えてアブカルは何だか微笑ましい気持ちになった。

「…無駄話が過ぎたな。そろそろお暇しよう。キディ行くぞ」

 影で控えていた気配が僅かに揺れて、姿を現さぬまま傍らに寄り添った。結局アブカルがキディの分まで用意した茶と菓子には見向きもされなかったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

「もう帰られるのですか?」

「今回はこの世界の地質調査に来ただけだ。余りお前の所に長居するのも何だからな。
…其れに、私が居ては居ずらい者も居ように」

 紅穂は明王が訪れるほんの数刻前に、やや強引にケレスを伴って出払ってしまった。アブカルも誘われたのだが、大丈夫だと言い含めて見送った。
 その後一応挨拶だと言って垣根の向こうから顔を覗かせた明王に茶を勧め、何故か現在のような状況に至る。

「…またいつでもいらして下さいね」

「気が向いたら寄らせて貰おう。馳走になった。貴様の茶は美味かったぞ」

 ありがとう、とアブカルが礼の言葉を言い切る前にその姿は掻き消えていた。
 入れ替わりに丁度のタイミングで紅穂とケレスが帰ってくる。

「ただいま!」

「お帰りなさい。二人ともどうでしたか?」

 抱き着いてくるケレスを受け止め後方の紅穂を見遣る。心なしかむくれているように見える。

「あのね!おっきいあながあったの!きのうまでなかったのにね、きょういったらあったんだよ!でもね、ちゃんとあぶなくないようにうめててね、いまはふさがってるの!もみほくんがここにはたねもうえられてるって!おはなのたね!なにがあったんだろうね!」

 ケレスが興奮気味に捲し立てる話を聞いて、思わず吹き出してしまった。それを見て紅穂が尚の事不機嫌そうに眉をしかめる。

「それはそれは楽しそうですね。明日は私も一緒に連れていってくれませんか?」

「いいよ!さんにんでおさんぽしよ!」

 向日葵のような満面の笑みを浮かべた少女と、水面に浮かぶ紅葉のように静かな面持ちの少年を見比べる。先刻自分の淹れた茶を誉めてくれた一柱の神と彼に付き添う女性も。
 いつか皆でお茶を飲んだり、まったり散歩したり出来るといい。この世界には見せたいと思える綺麗なものがたくさんあるのだ、それを是非彼等とも共有したい。

「早くまた地質調査に来ないものかな」

 近い未来の予感に胸を弾ませて、アブカルは呟いた。


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