500,000 リクエスト企画

この手から零れ落ちる程の好きを



「研磨っ」
「……」
「はぁ……!」
「……」
「う……け、研磨っ」
「……」
「はぅあっ……!」
「……」
「……なにあれ、突っ込まなくていーの?」
「いいよ、放っといて」

 胸を抑え教室の床に蹲る私に、研磨と黒尾さんのそんな会話は聞こえていなかった。うう……胸が痛い。良い意味で。そう言ったのが部活だったなら、虎あたりが「良い意味で胸が痛くなることがあるか?」なんてすかさず冷静なツッコミをくれるのに、今虎はいない。部活じゃないから。
 ある、超あるよ、めちゃくちゃあるよ! 好きな人の前だといつでも良い意味で胸は痛くなるでしょ!? って、熱弁したいのに!

「っていうかどうして黒尾さんがここに!? こんにちは!」
「コンニチハ……今更?」
「ちょっと今自分の中の萌えと照れと嬉しさとキュンが葛藤してまして! 周りが見えてなかったですすみません!」
「ごめん全然分かんねーわ」
「つまり私が研磨くんのことを研磨……と! 呼べるようになったんです! きゃー!」
「おー……」
「拍手ありがとうございます!」
「研磨は超無反応だけど」
「ずっとこんな感じだからね」

 一瞬顔を上げて呆れたように息を吐いた研磨く……研磨は、すぐにまた手元のゲームに視線を戻してしまう。でもそれでいいんだっ。今真っ直ぐこっちを向かれてしまうのも、それはそれで恥ずかしい。
 入学したときから……ううん、それよりもずっと前、中学の大会で見かけたときに一目惚れして以来、私が研磨のことを好きなのは黒尾さんにも研磨本人も公認の事実。

 いつもこうして愛を叫んでいるけど付き合ってはなくて、でも私はこうして休み時間に研磨のところにきて(悲しいことに同じクラスですらないから……)お喋りできるのとか、部活でのかっこいいプレーを間近で見られるのとか、そういうのだけで幸せで仕方ない。

 それなのに最近、更に幸せなことが起きてしまった。

 三年生が引退して、黒尾さんが主将になった我が音駒バレー部。代替えした最初はどこのチームでも経験するいざこざもあったりしながら、それを乗り越えて一年生の間でもちょっと絆が芽生え始めたのだ。

「てか苗字ちゃんって最初っから研磨って呼んでるイメージだったわ」
「えっ、そうですか!? それは出会ったときから私たち夫婦みたいってことですか!?」
「ちょっとやめてよ」
「うっ……研磨嫌そう……でもその顔も好き……」
「苗字ちゃんいつもそんな感じだし?」
「好きって気持ちは思った時に伝えるものなんですよ!」
「おお、名言感」
「……」
「……あ、それで黒尾さんはもしかして部活の連絡ですか?」
「あ、そうそう。さっき研磨に渡したんだけど……ついでに苗字ちゃんにも渡しとくわ。はいどうぞ」
「ありがとうございます!」

 諸連絡が書いたプリントを貰い、他のクラスにも行かないといけないからって早々と去っていく新主将・黒尾さんを見送った私たち。……研磨は相変わらずゲームをしてるけど。

 さっきから一転して静かになったこの場所は、研磨のクラスの人も誰も来ない。昼休みの賑やかな教室の中で切り取られたみたいにここだけ空気が微睡んでいて……外からの日差しもぽかぽか、ちょっと眠くなるくらいだった。
 それが気持ち良くて、私もようやく大人しく研磨の前の人の席に座らせてもらう。そして、逆さまで研磨のゲーム画面を見守ることにした。

 会話がなくたって幸せな時間。
 こういうとき、研磨は黙ってても私に見えやすいようにしてくれる。そういうところも好き。無意識かもしれないけど、なんやかんや言ってちゃんと見せてくれるの。

 ゲームの内容はちょっとよく分からないけど……でもプレイしてる時の研磨は、いつも通り無表情なようで実は楽しそう。見てて飽きないのだ。
 私は画面を見つめて、研磨を観察して、画面を見つめて、研磨を見て、研磨、画面、研磨、研磨、画面、研磨、研磨、研磨……

「なに」
「うわっ!?」

 いきなり顔を上げた研磨と、食い入るようにして見てたせいでかなり顔を近付け過ぎていた私。
 至近距離で目が合って、「あ……」なんて息を吐く頃には研磨の方が素早すぎるスピードで後ろに身体を逸らしてしまった。
 一瞬間近で見た研磨の、男の子なのに綺麗な肌に見惚れているうちに。

「ちっ……かい!」
「ご、ごめーん!? つい夢中になってて!」
「ていうか今苗字、全然ゲーム見てなかったでしょ」
「えっ気付いてた!?」
「あんま顔見ないで……」
「えっなんで!?」
「なんでも!」

 え!? 怒った!? 怒らせた!?
 普段は研磨が声を荒げるなんてことほとんどないからちょっと焦る。怒っても怖くないけど、怒ってるところもちょっと可愛いとか思っちゃってるけど、でも怒らせたいわけじゃないのにー!

 それなのに今の研磨は素っ気なく、遂にゲームをやめて机の上で顔を埋めてしまった。
 フードまで被って完全にシャットアウトの体勢。うぅ、やらかした……
 こうなるともう次の授業が始まるまで研磨は起きないだろう。本当に寝たのか、寝たフリかは分かんないけど……

「研磨?」
「……」
「研磨くーん」
「……」
「……ごめんね?」
「……」

 返事は返ってこなかった。イヤホンしてるもん、多分聞こえてない。もう一度、ダメ押しで名前を呼んでもやっぱり返事はなくて。
 あーあ、まだ時間あるしもっとお喋りしたかったんだけどなぁ。でも今回は私の自業自得……うう。しょうがない。
 諦めて自分の教室に戻ろうと、私は椅子を引いて立ち上がる。

「私帰るね」
「……」
「え?」
「……」
「……研磨?」

 帰ろうと、したのだけれど。一歩踏み出したところでツンって何かが引っ掛かって、後ろに引っ張られるみたいな感覚。
 反射的に見下ろせば、控えめに私の手首を掴む研磨。だけど顔は相変わらず伏せられたまんまだし、何も言わない研磨に私は困惑。

「研磨? どうしたの?」
「……」
「ね、寝ぼけてる? とか?」
「……」
「あっもしかして赤ちゃんみたいに反射で掴んじゃった!? きゃああ何それ可愛い!」
「……うるさい」
「わっ、ごめん!」

 パッと手を離されて、でもまだよく分かんないから首を傾げる私。相変わらず教室の喧騒はどこか遠くのように聞こえ、私と研磨の間には束の間の沈黙が流れた。
 そうして渋々って感じ身体を起こした研磨に、何故かちょっとだけドキドキしたり。

「……帰りなよ」
「えっ!?」
「自分の教室、帰ろうとしてたんでしょ」
「でも研磨が引き止めるから……まだ帰らない!」
「……じゃあゲーム、見とく?」
「え?」
「さっきの続き」
「え、み、見る!」

 よく分かんないけど、まだ帰らなくて良いんだー!
 さっきのゲームは起動しっぱなしだったみたいで、ボタンを押すとスリープモードが解除される。ってことはやっぱり寝るつもりはなくて、ただの寝たふりだったのか。え、寝たふりって。寝たふりする研磨、可愛くない? 

 やっぱり私が見やすいように画面を少し倒してくれるのも、こうやってお昼休みに一緒に過ごしてくれるのも嬉しい。全部嬉しいし、好きすぎて苦しくなっちゃう。胸が痛い。良い意味で。

 画面を見入る研磨は瞬きが少なくなる。試合のときに相手を観察するみたいにジッと画面を見つめて、(多分)強い敵を倒したときに少しだけふーっと息を吐くのも私知ってる。あ、今ちょっと口とんがってるの可愛いな。……負けそうなのかな? 悔しそうなのも可愛い……

「ねぇ」
「はい!」
「……全部声に出てる」
「え!?」
「静かにして」
「ごめんなさい!」

 また怒られる!? って思ったけど、いつの間にかまた画面じゃなくて研磨ばっかりになってる私に研磨は今度はちょっとだけ気まずそうに目を逸らして……それから小さく笑った。……え、笑った!? 今笑った! 笑ったよなんで!?

「苗字、さっきから一人で百面相してる」
「う、嘘!?」
「ほんと。……ほんと見てて飽きないよね」
「え、……研磨ゲームしてたよね、今?」
「ゲームしながらでも見えるよ」

 ……そう言った研磨は、既にもう私のことなんか見ていなかった。だけどなんか、さっきより楽しそうなのは……気のせいなのかな。そうじゃなかったらいいな。
 研磨の意識はゲームにばっかり向いてると思っていたのに、案外私のこともちゃんと見てくれているのか。うぅ……好きだ。好きすぎて辛い。

「研磨」
「……」
「……」
「……なに」
「……ふふ」

 やばいなぁ。さっきは返ってこなかった返事に、こんなにこんなに嬉しくなっちゃうんだもん。
 やっぱり最近の私は、幸せすぎて仕方ないのだ。



2022.12.23.

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