短編

バッドでもエンドでもない何か



初めての彼氏だった。高校に入ってすぐ付き合って、今まで二年間。同じクラスでお互いが一目惚れだったというだけの馴れ初めにしては、順調な交際だったと思う。初めてこんなに人を好きになった。まだ高校生なのにバカじゃないの、って思われるかもしれないけど、将来この人と結婚するんだって思ってた。そのくらい大切だった。だから。

"別れたい、ほかに好きな人ができた"なんて言われてアッサリと振られたとき、ほんとに何を言われたのか理解できなかった。冷静なときに考えればこんなしつこい女は嫌だと思うが、泣いて縋った。そんな私を見て、困ったように"ごめん"って言うと、彼は足早に教室を出て行ってしまった。


「ひ、う、…ッく、うう…」
「、苗字?」
「……ッ!菅原ぁ…」


誰もいない放課後の教室。その扉が躊躇いなく開けられて、続いて呼ばれた名前に反射的に顔を上げれば、そこにはクラスメイトの菅原の姿。

黒いジャージを着ているから部活中なのかな、と今の私にはそれぐらいしか考えられなかった。菅原は私の元まで歩いてくると、目の前で立ち止まる。


「なんで、泣いてんだよ」
「…振られた、」
「え?」
「ほか、に、好きな人が、できたんだって…っ」


言葉にすると、また新たにボロボロと涙が落ちてくる。俯いたまま顔は上げられなくて、スカートには既に小さなシミがいくつもできていた。

そんな私に菅原は持っていたタオルを差し出して、それから黙って頭に手を置いた。そのじんわりとした重みを感じたまま、黙っている菅原の目の前で泣いた。

こんなに人目を憚らず泣いたのは何年ぶりだろうか。ようやく落ち着いてきた頃には、さっき顔を上げた時よりも少し外が暗くなっていた。一体どれくらいそうしていたのだろう。菅原が、遠慮気味に口を開いた。


「…大丈夫?」
「…大丈夫では、ない、かも」
「そうだよなぁー…」
「てか、ごめんね、菅原…部活」
「いや、今日自主練だったから。抜けても問題なかったし大丈夫」
「うん…」
「それに、苗字泣いてんのにほっとけねーじゃん?」


目があった菅原は、困ったような、心配そうな、なんとも言えない表情をしている。そりゃあ、教室に来たら泣いてるクラスメイトの女子がいたら、困惑するし気まずいよね。そう考えると、途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「ほんとごめん…」
「だからいいって」
「でも…」
「俺が苗字についといてあげたいから一緒にいるんだべ?気にすんな!」


ああ、優しいなぁ。菅原とは、特にめちゃくちゃ仲良いわけでもない、たまに話すかなってぐらいの関係。私とあの人が付き合っていたことは知ってるだろうけど、それについて話したことはないと思う。そこまで親しくない人だからこそ、今の自分に丁度いい心地よさがあったのかもしれない。気付いたら、ぽつりぽつりと溢す私の話を黙って聞いてくれていた。


「昨日まで、当たり前に一緒に過ごせて、当たり前に夜電話したりして、当たり前に好きって言えたのに…終わっちゃったなんて…実感、ないや」
「……苗字」
「なんか私、こういうとこ、重いんだろうね…結構長く付き合ってたのに、なぁんにもわかってなかったなー…」
「…あいつバカだなぁ」
「へへ…菅原は、優しいね」
「苗字限定だけどな」


なんて言って、ちょっと笑う菅原はかっこいい。優しくて、気遣いもできて、"菅原の彼女になる人は幸せなんだろうなぁ"なんて。気付いたら声に出ていたみたいで、それを聞いた菅原はきょとん、とした顔をした後、またさっきみたいに私の頭を撫でた。


「じゃあ俺にしとけば?」
「え、?」
「俺だったら、苗字のこと、幸せにしてあげられるかもよ?」
「え…そ、れは…」


言われた意味がわからなくて、その言葉を何度も頭の中で繰り返した。目の前にいる菅原は、相変わらず私の頭に手を置いたまま。見上げて、腕の隙間から見える菅原の頬は少し赤い気もする。


「ど、ういう…意味?」
「苗字は俺みたいなのがいいんじゃないか、ってこと」
「…菅原」
「こんなタイミングで悪いけど…こんなタイミングだからこそ言わせてもらう。苗字のこと、ずっと好きだった」
「うそ…」
「だから、これから、覚悟してて?」


まるで何かのドラマの世界かと思った。そう思ってしまう私はどこか現実味のない今の状況を理解していなくて、そしてどこか客観視している。先程までの涙はもう止まっているけどきっとひどい顔をしている私を、菅原はすごく優しい顔で見つめていた。菅原のこんな顔、見たことなかった。ううん。こんな顔だけじゃない。私は菅原のこと、ほとんど何にも知らない。なのに菅原は。


「やっと巡ってきたチャンスだからな…逃さねーよ?」


赤い顔しているくせに、ニシシ、と悪戯っ子みたいに笑う。私、単純なのかもしれない。さっきまで、この世の終わりってぐらい悲しかったのに。だからこれも、まだ高校生なんだから、ぐらいに言われて許されるかもしれない。今目の前の人が、どうしようもなく気になってるんだから。


「菅原、」
「ん?」
「私、いまドキドキしてる、かも…」



19.12.04.



- ナノ -