短編

ゆくては果敢ない


「あれ?苗字髪切った?」
「うわ、それセクハラなんですけど」
「はぁ?」
「やだークロオさんってばへんたーい」
「髪切ったかって聞いただけだろ」
「それがセクハラだっつってんの!なに?そんなに私のことが気になりますかぁ?」
「別に気になってるとかじゃなくて目に入ったから聞いただけですぅ〜お前になんか興味ねえわ!」
「あっそ!私だって黒尾になんて興味ないし!」

 ふんってお互いに顔を背けて、自分の席に着く。隣で見ていた友人は、呆れた表情でそれを咎めた。

「……よく下足から教室に上がって来るまでのこの短時間に喧嘩できるよね」
「……したくてしてるわけじゃないもん」
「今のはあんたが悪い」
「だって!……黒尾が髪、気付いてくれるから……」
「気付いてくれるかなってウザいくらいソワソワしてたの誰?」
「…………もおおお私のバカ!」
「わかってんのね、一応」

 机に項垂れて、ゴン、と鈍い音が鳴る。やっちゃった。またやっちゃった。今だけは誰にも表情が見えないからって、涙目をそのまま閉じた。
 クラスの黒尾と私は所謂喧嘩友達っていうやつで、ほんと、お互いにああ言えばこう言うっていうか、毎日めちゃくちゃしょうもないことで小学生みたいな喧嘩を繰り返している。

 ほんとは喧嘩がしたいわけじゃなくってただ普通に喋りたいだけなのに、黒尾を前にするとどうしても素直になれずいつも可愛くない物言いをしてしまう私。
 ツンデレとかよく聞くそんな可愛いものじゃない。可愛げはゼロ。

 だって恥ずかしいんだもん。黒尾のことが好きだから。普通に目を見るのも恥ずかしいし、笑い合ってるとことか想像できないし、それに常に緊張してるからああいうやりとりの方が楽っていうか。
 それで勢いに任せて言ってしまったことに後悔するのはいつものこと。黒尾、嫌な思いしたかな。顔はムッとしてたよね。あぁ最悪、また嫌われる……

「……まぁ黒尾も突っかかってくるから、どっちもどっちだって」
「……でも今のは私からだったもん」
「名前以外の女子には優しいじゃん、黒尾」
「…………追い討ち」
「そうじゃなくて!そんだけ名前に気許してんじゃないの?」
「……そんなことないと思うけど」

 のろのろと顔を上げこっそり黒尾の方に視線を向ければ、「!」バチリと重なった視線。だけどまたさっきみたいに眉を顰めた黒尾はすぐに顔を逸らすから、私は更にダメージを受けてしまった。

あー無理。今のはキツイ。私もう今日は頑張れない、既に帰りたい。

「……終わった」
「毎日聞いてるしその後も毎日性懲りも無く喧嘩してるじゃん」
「今度こそマジで……終わった……」
「気にしすぎだってばぁ」

 友達からの励ましを受けても自己嫌悪の沼からは抜けられない。そのうちチャイムが鳴って友達が席に戻っていくのと同時に先生が入ってきて、一限が始まってもずっとさっきの黒尾との会話を思い出してはまた後悔する、を繰り返していた。

 そこから次のチャイムが鳴るまで、全然集中できなかった気がする。だめじゃん私。教材をまとめて教室を出て行く先生の後ろ姿を見送っていると、トントン、と肩を叩かれ私は後ろを振り返る。

「?」

 すると後ろの席のヤマダが、自分の前髪あたりを指差して「切った?」なんて……また朝の黒尾との会話を思い出させるようなことを。

「うん……前髪作っただけだけど」
「いいじゃん、全然雰囲気違うな」
「そう?」
「おー、俺この方が好き」
「どうも……じゃあジュース奢って」
「いやなんでだよ」

 笑いながらも「昼休みで良ければ」なんて言うヤマダに冗談だよって私も笑う。これだよ。こういうのを黒尾としたいのに。
 どうして黒尾以外とはできるのに、一番本命の黒尾にはああなってしまうのか。永遠の謎である。

 そうして朝のは流石に感じ悪かったなって謝ろうと決意したくせに、全然タイミングが掴めずにもう六限。最後は体育だし着替えと移動があるから話に行けない。もう無理かも、って勇気が出ないのも全部体育のせいにする私、ほんと意気地なし。

 明日はちゃんと話せるかなぁ……無理だろうなぁ。でもせめて、なんか話したい。いつもは喧嘩ばっかりだけどなんやかんやでよく喋るのに、今日は朝のあの一件から全然話せてないんだもん。……自分のせいだけど。
 明日も怒ってて口聞いてくれなかったらどうしよう。嫌だなぁ、あんなこと態度取らなきゃ良かったなぁ……なんて、今日何十回目かの後悔をしたときだった。

「サボりですか」
「えっ」
「全然コート入んないじゃん」
「さ、さっき出たから……」
「ふぅん」

 突然、まさか黒尾の方から話しかけてくるとか全然予想してなくて、思わず普通に答えてしまった。体育館の端で座り込んでいた私の隣に、同じように黒尾もしゃがみこんで。ふわりと香る制汗剤の香り、こんな状況でも心臓はドキドキと忙しなく動き出す。

 え、なに、えっ。内心パニックだった。黒尾が話しかけてきた黒尾が話しかけてきた黒尾が話しかけてきたって頭の中はそればっかり。
 なに?怒ってる?それとももう怒ってない?それだけが気になって、今日ずっと口にしたかった謝罪の言葉すら出てこない。

 ほら、こういうとこだよ私。ここですぐ素直に謝れる女子が可愛いんだって頭ではわかってるのに、やはり黒尾の前じゃどうしてもそんなに可愛くはなれないのだ。
 そんな私を、黒尾はどう思うのだろう。

「……お前ヤマダと仲良いの」
「え」
「……今日話してたじゃん」
「な、え、見てたの?」
「たまたま目に入ったんですぅ」

 ……なにそれ。てか別に仲良くはないし、普通だし。クラス一緒なんだから分かるじゃん。意図が読めない黒尾の質問に、思わずその顔を見上げてしまう。
 別に何かを企んでるとかそういうのではないらしいけど、感情の読めないその表情がじろりと私を見つめるから私は逆に顔を逸らしてしまった。

 どく、どく、どく。心臓の音、速い。

「前髪、褒めてもらってたじゃん」
「そ、そこまで聞いてたの?」
「ヤマダにはセクハラって言わないんだ?」
「!」

 やっぱり怒ってるじゃん!また勢いよく顔を上げてしまって、さっきから変わらない黒尾の瞳が私を捕らえる。でも今しかない、って。なけなしの勇気を振り絞って、私は言葉を絞り出した。

「あ、朝……ごめん」
「ん?」
「いや、その……感じ悪かったなぁ、って……」
「セクハラとかイチャモンつけてきたことデスカ?」
「そう、です……」
「まぁ、そうだな」

 う゛。私が悪いんだけど、でも、でも。謝ったのに返ってきたのは許すとかじゃなくて、そうだなって……どっち?
 正直黒尾に謝るなんて初めてで、なんだか居た堪れなくて今すぐ逃げ出したい。好きな人に謝罪しなきゃいけないのって辛すぎる。恥ずかしいとかやるせない気持ちがむくむく湧いて、震える拳を誤魔化すようにぎゅっと握り込んだ。

 すると黒尾はそんな私に追い打ちをかけるようにはぁあって大きいため息を吐くものだから、ぐっと涙腺が刺激される。最悪、最悪。授業中だし周りにみんないるし、何より黒尾の前で泣いてたまるかって瞼に力を込めるけど……その分ツンと鼻の奥が痛くて。

「……」

 早くどっか行ってよって。また俯いてそれだけを願っていた私の顔を、あろうことか黒尾は覗き込んでくるから。

「えっなんで泣きそうになってんの」
「……知ら、ない」

 見られたくない顔を見られてしまった。泣いてないけど、でもそう言う顔。

「え?なに、ごめん」
「……なんで黒尾が謝るの」
「……女の子泣かせたから?」
「……」

 女の子、なんて。思ってないくせに。今日の朝友達が言ってた、黒尾って他の女子には優しいじゃんって言葉が今更効いてくるなんて。

「泣いてないし」
「えー……じゃあ泣きそうになってる」
「なってないってば……」
「なに、どうした?腹痛い?」
「違うから、っ」

 もうほっといてよ。いつもはこんなことで泣いたりしないのに。黒尾が今日一日話しかけてもくれなかったしこっちを見てもくれなかったのが、思ったよりこたえているみたいだった。

 ずず、と鼻を啜ると少しだけ涙が引っ込んだ気がする。未だ私を覗き込んだままの黒尾から視線だけを逸らして、だけどそれすらも黒尾は許してくれなかった。急に私の頬に手を添えて、ぐいってちょっと強めに顔を上げさせられて……ほら、私のことなんて全然女の子扱いしてくれないじゃん。

「なぁ、どうしたの?」
「なんもない!」
「はぁ?」

 授業中じゃなけりゃ、ここから走り去っていた。いや、でも頬を掴まれてるからそれは叶わなかったかもしれないけど。
 真っ直ぐ見つめた黒尾はもうさっきみたいな真顔じゃなくて、今はちょっとだけ困ったように眉を下げていて。
 こんな乱暴なのに、触れられたところから伝わる熱に体温を上げる私ってなんて滑稽なんだろう。

「どうせ、」
「?」
「どうせ、黒尾にとって私は女子じゃないもん!」
「なっ……え?何の話?」
「うっさい!バカ!」
「バカって言う方がバカなの知ってる?」
「バッ……」

 あ。耐えきれなかった涙が一粒だけ落ちて、それは黒尾の手を濡らす。でもこれ以上は意地でも出したくない、私は黒尾を睨んで涙を堪えた。

「えー……まじでなんで泣いてんの……」

 すると今度は優しく、頬に添えられた方の黒尾の親指が私の目元を拭うから。触れられたところがビリビリと痺れ、あぁ、ほんと……こういうの狡い。睨んでたその視界がゆるゆると滲み出した。

「泣いて、ないってば……」
「じゃあ質問変えるけど、俺にとって苗字が女子じゃないって何」
「……」
「なぁ」
「……」
「苗字」

 そんなの言わせないでよ。こういうときどこまでも黒尾は黒尾で、私は私だ。こんな風に物理的距離が近くても甘い空気になんてこれっぽっちもならない。というか、ほんとこれ以上は泣くって。

「……黒尾が」
「ん?」
「……私以外の女子には、優しいって……」
「え?」
「私、こんなんだし、口悪いし、全然可愛くも素直にもなれない、し」
「なに、」
「…………前髪だってほんとは黒尾に一番気付いて欲しかったのに」
「は、はあ?」
「ほら……黒尾そんな顔ばっかりするじゃん」

 瞬きをすればまたボロボロと零れ落ちた涙。いま一応授業中なんですけど。あろうことか今まで素直に言えなかったことを、ここで出してしまうなんて。
 こんなの失恋確定じゃん、誰かに見られてるかも。公開失恋。ほんと最悪。ぎゅうって胸が痛い。

 もう本当に離して欲しくって少しだけ身を捩るけど、黒尾がもう片方の手も私の頬を押さえるから逃げられなかった。まるで予測していたかのように、だけどその表情はちょっとだけ焦ってるみたいで。

「苗字さ、なんか勘違いしてるけど」
「して、ない」
「してるって」
「してない」
「してる」
「してないぃ」
「じゃあそれ、俺が朝見て可愛いなって思ったの知ってる?」
「…………え?」
「前髪。めちゃくちゃ可愛いなって思って、言おうとしたんですけど」
「!?」
「可愛い」

 って。本当に黒尾から発せられているのかってくらいに甘い言葉。何度も紡がれるその言葉が最初信じられなくて、でも黒尾は相変わらず真っ直ぐに私を見つめるから……嫌でも本当なんだって、信じるしかなくなってしまう。

 待って。待って!だって、なんで、なんで!?黒尾が私のこと可愛いって。いや絶対嘘じゃん!いつも可愛くないって言うし、他の子達みたいに優しくもないし、それに、……

「私に興味ないって言ってたじゃん……」

 私のは売り言葉に買い言葉。だけどは黒尾は、黒尾の口から、……黒尾の方から言ったくせに。もう朝の自分の態度なんて棚に上げて、またこんな責めてるみたいな言い方。
 なのに……なにその反応。どうしてそんな表情するの。黒尾は私の言葉に少しだけ頬を染めて、そしてちょっとだけ不貞腐れてるみたいに言ったのだ。

「めちゃくちゃあるっつーの」
「……な、っ」
「苗字は?いつもなんやかんや言って苗字と話せて楽しんでんの、……俺だけ?」
「そ、そんな」
「苗字の素直になれないとこも全部可愛いなって、思ってるんですけど」
「……」
「俺だけ?」
「……」

 ゆっくり、恐る恐る首を振ると、黒尾はちょっとだけ頬を緩ませて。何、……その反応。初めて見る表情に、ドキドキが止まらない。うそ、やばい。今絶対やばい顔してる。そう思った瞬間、黒尾が「その顔めちゃくちゃ可愛い」とかトドメを刺してくるから。

 もし今が授業中じゃなかったら、私は一目散に逃げてしまっていただろう。それくらい、気付いた時にはドロドロに溶かされそうなこの未知数の甘さが怖かった、なんて。


21.12.06.
title by ユリ柩



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