短編

温いだけでは孵れない


「お。苗字サン?」
「黒尾くん?」
「ドーモ、お久しぶりデス」
「ひ、久しぶり……どこか行くの?」
「ちょっと用事があって夜久ん家に寄っただけ。今日は苗字さんが来るからってすぐに追い出されたけど」
「そ、そうなんだ……?」

ジリジリと照り付ける太陽に噴き出す汗、衛輔くんとの待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間の十五分前だった。ちょっと早すぎたかな。持ってきたハンドタオルで額を抑えると、ふと自分に影が差して……見上げればそこには懐かしい同級生の姿。懐かしい、なんて言っても彼に最後に会ったのは卒業式のときだから、実際は半年は経たないくらい……だろうか。相変わらず背の高い黒尾くんは私を見下ろしてニヤリと笑った。

「順調そうで何より」
「それは……」
「今日はなに?デート?」
「えっと、衛輔くんの家に行くの。駅までは迎えに来てくれるって」
「へぇ、衛輔クン」
「な、なに?」

にやにやと笑う黒尾くんの前は久しぶりなせいかなんだか居心地が悪い。まだ何も言われてないのに、身体がカッと火がついたように熱くなり、そして気持ち言葉尻も小さくなってしまう。
同時に黒尾くんってこんな感じだったな、なんて少し懐かしくなった。特に衛輔くんと付き合ってからは、私もよく揶揄われていたから。

「いーや?卒業するまでは確か夜久くんって呼んでた気がするなって思、っあ゛だっ!!?」
「なーにしてんだよ、黒尾」
「ちょっとやっくん、いきなり飛び蹴り食らわすのやめてくんない!?」
「名前がデカくて怪しい男に絡まれてたから、つい」
「絶対分かっててやってただろ!つか駅まで出てくんなら一緒に家出れば良かったじゃねーの」
「……んでお前と一緒に名前との待ち合わせに来なきゃいけないんだよ」
「アッ、そっか。ごめんねぇ配慮が足りなくて。今日は名前サンとお家デートだもんね、"名前"サンと」
「あ゛?」
「うおっ!まぁ邪魔すんのも野暮なんでここらで退散しようかね」
「早くどっかいけ!」
「はいはい分かったよ。じゃ、苗字サンもまたな」
「う、うん。またね、黒尾くん」

ひらひらと手を振って去っていく黒尾くんを見送り、それから隣に立つ衛輔くんを見上げる。黒尾くんのちょっぴり胡散臭いところは相変わらずだけど、そんな黒尾くんといる衛輔くんもなんだか懐かしい気がして少し嬉しくなってしまった。
そうしていると衛輔くんとも目が合って、「こら」って優しく頭をチョップされる。

「なーに変なのに絡まれてんだよ」
「変なのって。黒尾くんだよ?」
「変な奴代表じゃねえか」
「ふふ、ひどい」

どちらからともなく繋がれた手。ミンミンとセミの大合唱が響く並木道を歩いて、途中のコンビニで飲み物とお菓子を買ってから一人暮らししている衛輔くんのお家にお邪魔した。

「お邪魔しまーす」
「テキトーに座って」
「う、うん」

大学進学と共に一人暮らしを始めた衛輔くんのお家に来たのはまだ片手で数える程度。それでも流石に初めて来た時よりは随分と慣れて、テキトーに、と言われてもどこに座れば良いか分からず立ち尽くさない程度にはなっていた。

いつもの定位置に座った私は買って来たものを机の上に並べて、衛輔くんはゆっくりその隣に座る。
横目に見た衛輔くんにぴくりと反応して、夏休み前の試験が終わって久しぶりに会ったから少しだけ緊張しているのかなぁ、なんて本当に緊張してるのか冷静なのかよく分からない分析をしてみる。実際はこうすることで落ち着こうと必死で、私の胸は今もドキドキと忙しなく動いているのだけれど。

「名前」
「うぁ、……はい」
「緊張してる?」
「う、……」
「オイコラこっち向け」
「……衛輔くん厳しい」

顔を逸らしてもまたすぐ呼び戻されて、肩がぶつかる距離で見つめ合う。一年前、私と衛輔くんがまだ高校生で付き合ったばかりの頃はこんなこと勿論できなかったのに。
最初はお互いに照れていたのに衛輔くんばかりが私を置いてこういうことに慣れてしまったのか、今ではこうやって頬を赤くして衛輔くんから離れようとする私を甘く咎めるようになってしまった。

「……黒尾と何話してたんだ?」
「なに、って……なんでもないよ。衛輔くんのお家に行くって話をしただけ」
「ふぅん」
「あと、呼び方、ちょっとだけ揶揄われそうになった、」
「呼び方」
「……呼び方」

高校生の頃は周りの目を気にしてたのもありいきなり呼び方を変えるのは恥ずかしくて、ずっと苗字で呼び合っていたのに。
流石に名前呼びくらいはもう慣れたけど、だけどああやって改めて人から言われると初めて名前を呼んだ時のあのなんとも言えないむずむずした気持ちが蘇ってくるようだ。
夜久くんと苗字、から衛輔くんと名前に変わった瞬間。私の中ではあれは大進歩だったと言える。

「照れ屋なのは変わんねぇな」
「……衛輔くんも」
「でもあん時みたいに遠くから眺めるだけじゃ、名前ももう物足りないんじゃねえの?」
「そ、れは、」
「あれも可愛かったけど」
「かわっ……あ、あの時黒尾くんのこと見てるって勘違いしてたくせに!」
「はぁあ!?それは忘れろ!」
「無理だもんっ」

衛輔くんにバレていないと思いながら遠目にその練習風景を覗いていたのも、そのことには気付いていたけど黒尾くんを見ていると衛輔くんが勘違いしてたのも、全部もう一年前の話。いま二人して顔を赤くしながら言い合っているこんな姿、黒尾くんに見られたらまた笑われちゃう。
そこでふぅ、と一息吐きながら顔の熱を逃がそうとパタパタ手で仰いでいると、スッと落とされた影。「え」驚いて見上げれば、もう衛輔くんの顔が目の前に迫っていた。

「ん、っ?!」

優しく重なった唇は緩く下唇を噛んで、また離れていく。
鼻の先がぶつかる距離で衛輔くんはゆるりと笑って。

「……可愛い」
「……い、いつの間にそんなこと言えるようになったの……衛輔くん」
「……前にも言ったけど」
「……言われた、けど……なんかこう……!そん時と全然違うもん!」
「は?」
「い、いい、言い方が!あと目とか、雰囲気とか?全然違うもんっ……余裕があるっていうか、その……」
「、よく分かんないけど」
「……分かんなくていい、けど……」
「?」
「……衛輔くんはどんどんかっこよくなっていくから……困る」
「ぶっ……!」
「え?」
「……それはずるいだろ」

コツンとおでこをぶつけて、一瞬ひきかけたのにまた真っ赤に染まってしまった衛輔くんがドアップに写った。言いながら、きっと私も同じような感じになっているんだろうけど。

「……名前」
「……衛輔くん?」
「もっとこっち来て」
「え」

衛輔くんのその視線に捕まったままの私は、ぐいと腰を引かれて衛輔くんに倒れ込む。どくん、どくん、って大きく鳴る胸の音が衛輔くんに聞こえたらどうしよう。

「……もっと欲しい」
「へ、……」
「……名前、」
「え、え、衛輔、く、っ」

ゆっくりと床に押し倒された私は、カーペットのお陰で背中は痛くなくても緊張で胸は痛い。え、なに。天井を背景にする衛輔くんなんて初めて見るからパニックになって余計動けなくて。
ただただ真っ直ぐに見つめる衛輔くんの顔もちょっと緊張しているような、最近はあまり見なかった表情が付き合ったばかりの頃とリンクする。

「……いい?」
「…ぃ、あ、うん、」
「ほんとに?」
「……衛輔くんなら、嫌じゃない、よ……」
「……やっぱ名前、可愛いな」
「えっ、んんっ、」

今度はさっきより深く唇が重ねる直前……一瞬だけ見えた衛輔くんの目は、真夏の太陽のようにギラギラとしていた。


21.08.08.
title by 星食
夜久衛輔 2021's birthday.



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