823本目の花の先(5/7)

「過去のことは思い出したが今のままでも俺は別に良いと思っていたんだ」
上げていた顔を伏せ、元親はぽつりと言った。
「あんたが覚えているか、覚えていないかはわからなかったけどあんたはずっと俺の傍にいて幼い頃から俺を見守って相手してくれていたんだ。昔とは違うんだって思えたから……。でもやっぱりあんた覚えていたんだな」
「幽霊としてそのまま在り続ける我がどうして過去を忘れられようか」
「そっか。そう、だよな……」
気まずい沈黙が流れる。
「なぁ、自分を殺した相手になんであんたは憑く気になったんだ。俺のこと、憎んじゃいねぇのか?」
それは我の台詞よ。
元就は思った。
『別にどうでも良い』と何故言える。
過去は過去、今は今とそんなに簡単に割り切れるものなのか。
それならば何故、我を縛った。記憶を取り戻した。
歯痒い感覚に元就は耐えていた。
そもそも見守った覚えもない。
ただ我には他に行くべき場所が無かったのだ。
貴様以外、現世で我を認めることが出来るものはおらぬ。
話しかけるようになったのも相手をするようになったのもそう、言わば成り行きよ。
音にせず、心の内で答える元就の言葉はまるで自分に言い聞かせているようであった。
「俺はあの時あんたを恨んだ」
突如放たれた恨みの言葉に元就は戸惑う。
言われて当然の言葉だ。覚悟もしていた。
それでも改めて聞かされた言葉はその胸を抉った。
現世で慣れあってしまったせいであろうか。
「今でも許せるかと問われれば正直言うと戸惑う。でも俺も行き過ぎたと思っている。独りで突き進むしか無かったあんたを俺は更なる孤独に追い込んじまった」
後悔の念が窺える言葉。
元就の脳裏に自分を殺したときの鬼の姿が蘇る。
あれほどの憎しみを持って殺しておきながら後悔することが出来るのか。
元親の告白に元就はただ聞き入った。
「それでも今が幸せなら……こうして幽霊と人であっても一緒に居て、話し合うことが出来るのならばそれもいいかと思っていた。そりゃ、あんたからしたら話せる相手は俺だけかもしれねぇけどだからこそ俺がいっぱい付き合ってやりゃあいいとさえ思っていた」
元親が今の状態を幸せと感じていることに元就は密かに驚いていた。
「でもこのままでいればいつか俺は毛利を置いて逝ってしまう。また孤独にさせちまうんだ」
再び言われた孤独という言葉に元就の眉が動く。
それからしばし元親は黙り込んだがやがて意を決したように深呼吸をして再び語り出した。
「だから俺の願いを聞いてくれ」
改めて真剣な面差しで己へと向き合う元親を元就は見つめた。
「頼む。生まれ変わって来てくれ、毛利」
静かな空間に放たれた言葉は残酷とも言えた。
「貴様がそれを申すのか」
怒りすら感じるような重い声の響きに元親の体が固まった。
だが、怯んだのも一瞬であり、その口は再び願いを告げる。
「ああ、言う。過去はどうであれ、俺はあんたに人としてまた人生を歩んで欲しい」
「戯言を……!」
一触即発の空気。
だが、幽霊である元就が元親を傷つけることは出来ない。
それは元親にしても同じことで、だから乱闘染みたことにはならないはずだった。
そう、触れ合うことも現状では叶わないのだ。
「我が儘なのはわかってる。でもあんただってもう独りは嫌だって思っているんじゃないのか?俺のとこから消えずにずっと一緒に居てくれたのはそういうことなんだろう?」
問う言葉に思わず喉が詰まったのはそれを認めているということだ。
長い長い孤独の年月は毛利元就という存在を希薄にさせた。
信じられるのは己だけ。
そう思っていた自身さえも信じられなくなる恐ろしさ。
誰でもいい。見て、聞いて、話して、この存在を認めて欲しい。
そう元就が願うようになったのも自然の成り行きであった。
赤子であった元親が元就へと笑いかけた時、本当に嬉しかったのだ。
鬼の呪詛であった孤独の哀しみは元就を泣かせることは出来なかった。
だが、孤独から解放された喜びは既に無いはずの体の内から涙を流させた。
あの時、笑う赤子を撫でる真似事をしながら元就は泣いていた。

「毛利、お願いだ」
尚も切に願ってくる元親に元就は唇を噛み締める。
「簡単に言ってくれるわ……我の過去の行いを貴様も知っておろうが。今更転生を願ったとして地獄に堕ちるやも知れぬぞ」
実際、地獄のような場所があるのかも元就は知らなかったが我が儘が過ぎる鬼への精一杯の皮肉だった。
「なら足掻けよ」
聞こえた強い口調の台詞に元就は驚いた。
立ち上がった元親が厳つい顔で真正面から元就を見ていた。
「地獄に落ちるって言うのならそこから這い上がって来いよ。文字通り屍を乗り越えてでも」
予期しない元親の言葉に元就の顔は唖然とした表情になっていた。
「生まれ変わって来いよ、毛利」
懇願の表情へと変わる顔を見て元就はその目を閉じた。
「阿呆が……」
本当になんと我が儘な鬼であろう。
今は餓鬼としか言えぬ子供だが元よりこやつは子供のようなところが抜けていなかった。
天下よりも海を渡り行くことを選ぶ自由さ。
立場や状況を理解していながら仲間や友を守るために必死であらがおうとする身勝手さ。
そしてかつては敵でもあった己の言葉を鵜呑みにしてしまう純粋さ。
策として嵌めたことではあったがその真っ直ぐさにはずっと眩しい物を感じていた。
気付かぬ頃はそれがすごく煩わしかった。
生まれ変わる。
元就とてそれをどうしたら良いのかわからないのだ。
望まれても思う様に約束を果たせるとは限らない。
もし仮に上手く転生を果たせたとしても元親たちよりずっと遅れて転生することになる元就は現世で再び会うことは叶わないのではないのだろうか。
そんな不安も生じていた。
「俺はいくらでも待つ」
またしても響いた声に元就は目を開けた。
真っ直ぐな眼差しに貫かれる。
「大人になっても、じいさんになっても、ずっと。あんたが生まれ変わると信じて待っている。どこに生まれ落ちても探し出してやる。もし今の世で会えなかったとしたらまた待つ。次の世でもそのまた次の世でもあんたに会えるまでずっと待ってる」
本気で述べているだろうその言葉に元就はまたしても呆れた。
「救いようの無い馬鹿とはこのことか……」
小さく聞こえた元就の言葉に元親が反論しようと口を開いたが元就の手がそれを塞いだ。実際には塞ぐ真似事だ。
右手でその口を覆い、ふっと笑って見せる。
とても穏やかな顔であった。
「良い、わかった。貴様の策に乗ってやろう」
聞こえた元就の言葉に元親は目を輝かせた。
「本当か!本当にだな、毛利……!」
応えてくれた相手の言葉に興奮した元親がその体を抱き締めようと腕を広げたが閉じ込めようとした瞬間擦り抜けた体に慌てて離れる。
もし生まれ変わることが出来たならその時はその温もりを感じることが出来るのだろうか。
嬉しそうに笑う元親を見て元就は考えた。
生まれ変われる保証も再び会えるという保証も無い。
勢いだけではったりとも変わらない元親の言葉は到底信じられるものでは無かったがそれでも元就はその策に乗ると決めた。
誰も信用することの無かったかつての己。
再び生まれ落ちるために今目の前にいる相手の言葉を信じてみるのも悪くはないのかもしれない。
「えーっとそれじゃあ、どうすりゃいいのかな……」
案の定、口だけでどうしたらよいかわからない元親はその事実に気づいて困った表情を浮かべた。
その目はちらりと元就の方を窺うが元就とてその方法はわからない。
けれど不思議と不安はなかった。
何かに呼ばれるような感覚が湧き始めていた。
窓の外で沈み始めた日輪を見てから元就は元親を振り返った。
「長曾我部」
名前を呼ばれた元親がその顔を見つめた瞬間、透けた体が目の前まで迫ってきた。
空気が揺れる。
微かに何かが額に触れたような気がしたのはおそらく気のせいだろう。
何故なら幽霊である元就が元親に触れられるはずはないのだから。
それでも触れられない唇が額に口づける真似事をしたのは理解出来た。
「また会おうぞ」
言葉と共にその体がふわりと宙に浮く。
「おい、毛利……!」
慌てて元親は追いかける様に窓辺へと駆けた。
透ける体は窓から外へと出て、夕暮れの赤色に染まる。
沈む夕日の光を直視して元親の目が眩んだ。
ほんの一瞬の出来事。
だが元親が再びその姿を追った時にはもうそこには既に何もなく、呆然と空を見る元親を前に夕日すらもやがては彼方へと消えた。
「ずっと待っているからな」
最後に聞いたのは別れの言葉ではなく、再会の約束。
その約束を胸に元親は永遠になろうとも先を待ち続けることを改めて誓った。

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