823本目の花の先(2/7)

「ただいまー!」
「うるさい。戸が痛むわ」
勢いよく玄関の戸を開け、音が響くほどに閉めて入った少年に元就は話しかけた。
「うっせーな。しゃべる幽霊の方がよっぽど口うるせぇぞ」
「ドタドタと歩くな。またそんなところに鞄を放り投げて母親に叱られても知らぬぞ」
「あーもー、わかったよ!」
ソファーへと放った鞄を元親は取り上げた。
その後、わざわざ元就に向かって舌を出してから自分の部屋へと走って行く。
見えているし、聞こえている。
不思議なことに幽霊となった元就を元親だけは見ることが出来た。
これは過去の因縁が成すことであろうか。
赤子であった相手もやがて大きくなり、今では15歳になっていた。
戦国の世ならばもう元服していてもおかしくない頃。
だが今の世ではまだまだ子供扱いで学び舎にも通わなければならない“中学生”と呼ばれるものだ。
けれどそれでも大きくなったことには変わりない。
元就の足元を這っていた赤子はいまや真っ直ぐに立てば身長すらも元就を追い越そうとしていた。
立派に育ったものだと感慨深げに元就は元親を見る。
「どうした?」
「なんでもないわ」
「ふーん」
馴染み過ぎている。
幽霊である己に対してもはや何も感じず、普通に会話をこなす元親の姿に元就はそっとため息を吐いた。
己を孤独へと追いやった張本人。
それが現世では孤独から救った者とはなんとも皮肉な事である。
覚えていればなんとしたであろうか……。
そんな考えが過るものの今ある現状が崩れてしまうことを心は恐れていた。

かつて戦国の世を生きた二人の武将。
一人は日輪を信仰し、参の星を掲げ、兵を駒として扱い、己が家の名と領地を守るべく采配を振るった毛利元就。
もう一人は荒れ狂う海を自由に渡り行くことを選び、仲間と友を守るべくその碇槍を振った長曾我部元親。
同じ瀬戸内に住まうものでありながら両者は相反していた。
時に敵となり、時に同盟を結び、最後には偽りと怒りの中に終末を迎えた。
勝利したのは長曾我部元親。
元就はその碇槍に貫かれ、短き一生を終えた。

史実では表面的なことしか記されていないだろう事実を元就は再び振り返っていた。
今更恨むつもりは無い。むしろ恨まれるべきは自分だということもわかっていた。
自身の行いが人の道理としては過ちであったことも理解している。
それでもあの時はああするしかなかった。
毛利を守るという使命を負った自分にはそれが例え修羅の道であろうとも進むしか他に道は無かった。
かつての自分ならばこのように悔い改めるような考えすら持たなかっただろう。
けれど時は流れた。長い時が。
鬼が最後に放った呪詛。
“永遠の孤独”
その宣言通りに元就は霊となり、世を彷徨い続けた。
半透明ながらある体も見とめて貰えなければ無いと同じ。出せる声も聞いて貰えなければ無いと同じ。
誰もその姿を見てとめない、掛けられる声も無い。
ただ意識だけがあるだけの不確かな存在感は意志を持っているはずの己ですら疑いを感じるようになった。
昇る日輪、沈む日輪。際限なく孤独に巡る日々が心を捨てたと思っていたあの頃はまだ人であったのだなと感じさせた。
それでも泣くまでには至らなかった。
泣きたいと思っていても泣くに泣けない状況であったとも言える。
成仏の仕方などわからなかった。行くべき場所はどこにあるのか。
それがわからぬように鬼が言葉で縛ったのであろうがやがてはそれを解くことすらどうでもよくなっていった。
このまま考えることを放棄し、空気と同化して消えるのが我の終わりであろうか。
そう思いはすれどもそう考えている時点でまだまだ終わりは来そうにもない。
既に十数万を超えた回数目の日が昇ろうとしていた。
虚ろな存在である己には眩しすぎる日輪の威光から逃れる様に元就は瞳を閉じた。
「これは……」
閉じていたはずの目が開いた。
微かな声がその耳に聞こえていた。
それは聞き覚えのある声だった。そしてこの気配。
かつて感じたことのある感覚に元就は打ち震えていた。
失ったはずの体が熱を持っているような不思議な感覚。
思わず辺りを見回したがそれらしき影は無い。
それでも確信した思いが胸をざわめかせていた。
薄くなった体が、魂が、引き寄せられる。
自分でも訳がわからないうちに辿り着いた場所は今の世では大して珍しくも無い一軒の平屋であった。

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