その花の名は――。(5/6)

「すげー綺麗だな。ほら、もっとよく見ろよ!」
すでに見えていると言うのにさらに前へと押し出される。
誤って足元の海に入ってしまったらどうするつもりだろうか。
小言が浮かんだが嬉々とした相手の様子を見て言うのは止めておいた。
改めて相手も見つめる海の先を見る。
目の前には赤い鳥居があった。
青い海の中、真っ赤な鳥居が荘厳を漂わせ佇んでいる。
「なぁ、毛利。あれ見て思う事は無いか?」
「ああ、美しいな」
世界遺産にも登録される厳島神社。
なぜ元親がこの場所を旅行先に選んだのかはわからないが確かに見る価値はあったかと思う。
「ああ、本当に綺麗だよな……」
声の調子が落ちたその穏やかな物言いにふと鳥居から視線を外し、その顔を窺い見る。
それはたまに見る憂いを持った顔だった。
なにか遠くにある別の物を見るようにその青い目が鳥居の立つ海を見つめている。
「そういえば思い出したことがある」
遠くを見つめる横顔にぽつりと言葉を放つと猛然とした勢いでこちらを見た。
「何をだ……!」
急に掴まれた両肩が思いがけない力に悲鳴を上げる。
必死な様子に驚くも平静に言葉を返した。
「夢の中のことだ」
途端、肩にかかる力が失われる。
一瞬、呆けた顔はわずかな落胆を見せたのち、また海を見つめた。
「で、夢の何を思い出したって?」
話を繋げようとしているのだろう。
何を期待していたのか問いかけたいが雰囲気がそれを許さない。
「……昔からよく見る夢の話よ」
代わりに自分の話を始める。
思えば海を見つめる元親を見て、なぜ夢のことを思い出したのだろうか。
それもどうでも良いことか。
「よく見る夢の中では我は花園の中にいる。地面全てが花に埋め尽くされた美しい景色ぞ」
「へぇ……」
「歩いても、摘み取っても、花は綺麗なままでそこにいると温かい気持ちになる。……だが何かが足りなかった」
「……」
「それを思い出したのだ」
「それはその夢のことか?それとも夢の中で足りなかった物をか?」
「足りなかった物ぞ。正しく言えば、それまで忘れていた事柄よ」
海を見ていた眼差しが自分に向いた。
その青い瞳をじっと見つめ返す。
「色とりどりの花に出会う前に我は暗闇にいた」
変わらない視線に、淡々と言葉を紡いでいく。
「何も見えぬ。何も感じぬ。ただ何も無い空間に我は一人佇んでいた。あの花園が天上にあるとするならばそこは暗闇の底。我は孤独だった」
ただ漫然と話を聞いていた顔が初めてその色を変えた。
それに気づくも静かに話を続ける。
「何も無いゆえに何も感じないがそれでもそこは冷たく寂しい場所だった。我は出て行きたいと思ったがそれでも体が動かない。暗い闇に囚われて足が動かないのだ」
「ッ……」
言葉を呑み込み、何かに耐えるような顔から視線を外し、また青に浮かぶ赤い鳥居を見る。
「その暗闇にやがて色が現れた」
「色……?」
言葉を繰り返す元親に黙って頷き返す。
「初めは薄紫色だった。真っ暗なはずの暗闇でなぜその色だけ見えたのかはわからないが確かに見えた。上から舞う様に落ちてきたそれが花だと気がついたのも今思うと不思議だがな。まぁ、なにせ夢の中の出来事だ」
「……」
「驚いても状況は変わらない。薄紫色の花を手に我は孤独に在り続けた。だが、そうしているとまた落ちて来たのよ。今度は桃色の花だった」
食い入る様な視線を感じながら静かに話を続ける。
「次は黄色、その次は赤。そしてまた紫、白、青……。とにかく毎度違う花が落ちてきた」
暗い世界にひとつまたひとつと色が増えていく。
心が慰められるようだった。
「それで……あんたはどうしたんだ?」
再び見た元親の目は驚くほどに真剣な様子を映していた。
「何も。言ったであろう、足が動かなかったと。だが、その花を見て感じていた冷たさや寂しさは和らいだように思う。だが、それ以上に出て行きたいと願う様になった」
この花たちがいた場所は一体どんなところであろうか。
花の向こうの世界に惹かれていた。
「それで?」
さらに続きを求める声がしてまた話し始める。
「花はそれからも暗闇に降って来続けた。そして落ちて来るたびに我はさらに外を願った。そうして繰り返されるうちに暗闇はただの暗闇では無くなっていた」
色とりどりの花のあるその場所は一面の暗闇とはもはや違った。
恐ろしいほどに真っ黒だった闇の色さえ、和らいで見える。
外を求める意志も強くなり、動かないはずの足がいつしか軽さを覚えた。
「花のある向こう側へ。そう思い続け、手を伸ばした。動かないはずの足も動く様に足掻いた」
そして時は訪れた。
足掻き続けた足が暗闇を蹴り、伸ばし続けた手が暗闇を進み、上から舞う花を掴んだ。
「暗闇から抜け出た先の花の光景はまこと美しかった」
そうして両の手を見つめる。
そういえばあの時手にした花はどうなったのだろうか。
「……不思議な話だな」
元親の言葉を聞き、微笑して応えた。
「こうして話してみると何てことはない夢の話だがな。我にとっては今まで思い出せなかったのがおかしいほどによく見た印象強い夢よ」
「そうか……」
「元親?」
突如、片手で顔を覆った相手に怪訝として向き合う。
微かに震える体は泣いているようだった。
「どうした。具合でも悪くしたか?」
そっとその額に手を伸ばすと触れる前に腕を掴まれた。
そのまま相手の腕の内へと囚われて力強く抱き締められる。
「すまねぇ……」
何を謝ることがあると言うのか。
わけも告げぬままに抱きしめる相手の顔が肩へと埋まる。
濡れた瞼が肌にあたり、ひやりとした。
抱き締められたことは幾度もあるがこれは様子が違っていた。
夏の日差しも相まって体が焼けるように熱い。

「……落ち着いたか」
一時がたち、体が離された。
そよぐ潮風が心地よい。けれどもう少しだけ抱き合っていたかった。
「ああ、すまねぇ。いきなり変なことしちまって悪かったな」
「恋人同士であればあんなもの普通よ」
苦笑いを浮かべる相手に言葉を放つと驚いた表情を見せる。
そのまま日頃の思いをぶつけた。
「元親。貴様が何を遠慮しているのか、躊躇っているのかは聞かぬ。けれど我は出来ることならもっとこうして触れ合いたい」
そうして離れた体に再び身を寄せる。
「貴様は我を好いているのだろう?」
確信の言葉だがあいまいな態度がその自信を減じる。
もしその口から否定の言葉でも放たれたらきっと耐えられないだろう。
その考えを打ち消す様にぐっと相手の腕を握り締める。
「そうだな……」
聞こえた声に相手の顔を見上げる。
憂いを少しだけ含んだような、けれど清々しい笑顔がそこにあった。
「俺が好きなのは元就、お前だよ」
呼ばれた名前に胸がざわめく。
返事を返そうとする前に包み込む様に抱かれた。
さきほどとはまた違う、背を撫でる優しい温もりが伝わる。
「なぁ、元就。愛してるぜ」
再び耳元で囁く声に嬉しさが溢れ出る。
交わした口付けは潮の味わいがした。

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