Secret garden(5/5)

降り下ろされる鋭い鉤爪――。
それはサッチの額を掠めた。
真っ赤な血が流れ落ちる。
小さな額に斜めに走る傷が付いた。
けれどそんなことはどうでもいい。どうせ元より傷のある顔だ。もう一つや二つ、増えたって構わない。
それよりも目の前の相手を止めなければ――。
荒れ狂う鳥はサッチのことを認識してはいなかった。
その目に浮かぶのは狂気。自身を阻害するものは誰であろうと容赦しないという眼差しだ。
だが、サッチもまた退くわけにはいかなかった。
なぜなら目の前の相手はサッチを想い、あの場所に通い続け、同じ悪魔を喰らい、身を落とし、サッチのために飛び狂っているのだから。
「マルコ! 俺だ!!」
甲高い雄叫びを上げる鳥に向かって叫ぶ。
今度は長い金色の尾が振られた。
長い鞭のようなそれはサッチの体を弾き飛ばす。
「うっ……!」
背を石壁に打ち付けてサッチが呻く。
闇が薄れ、視界が霞む。
けれどそんなことにかまってはいられない。
鋭い鉤爪が迫っていた。
「……いい加減にしろよ」
空気が揺らいだ。
薄れた闇がさざめき、そのただならない雰囲気と再び開いた翠の視線に鳥の動きが止まった。
一種の本能だったのかもしれない。
何か思いあぐねるように翼をはためかせ、空中で静止する。 鋭い鉤爪は未だにサッチの方を向いていたがその動きは緩慢としていてそれ以上動く気配がない。
漂う剣呑な空気。
それは周囲にも伝染し、二人を狙うのならば今が絶好の機会にも関わらず、誰も手出しはしない。
ゆったりとしたそれでいて短い時が過ぎた。
その時を裂いたのは他でもないその時を作り出した張本人。
漂う闇がふらりふらりと空を掻き混ぜたかのように動いたかと思うとその体の内側から更なる闇が溢れ出した。
その闇の速度に、鳥獣の持つ野生も追いつかない。
巨大な闇が青い鳥の体を覆い尽くした。
どこかでまた悲鳴が上がる。
 
体を包み込む温かい感触。けれど視界は暗い。
その瞼を押し上げても目に映るのはただ一色の黒。
真っ暗な闇の中にマルコは一人だ。
けれど怖くはない。心臓はとても穏やかだ。
どこか懐かしいとも言える落ち着いた感覚にマルコは疑問を覚えた。
こんな暗い空間で自分は何故こんなにも安心を覚えるのだろうか。
ぼんやりとした世界をさ迷っていた意識が覚醒して行く。
鮮明さを増した闇の中でまず見つけたのは明るく輝く宝玉だった。自身の瞳に絡むように煌めく翠玉。
夢現の中、その存在をはっきり捉えた時、マルコは小さく悲鳴を上げた。上げても仕方がなかった。
その体は何より求めて止まなかった相手に抱かれていたのだから――。

闇が青を包み込んだ時、鳥の姿も消えた。
鋭く物を切り裂いていた鉤爪は丸くなり、サンダルを履いた小さな足となった。雄叫びを上げたくちばしは緩く息を吐き出す柔らかな唇に。そして燦然とした炎を撒き散らした青いその身はサッチの知る小さな少年へと姿を変えた。
先程まで羽ばたいていた体はその力を無くし、重力に従う。
急激に襲ったその重みにサッチはなんとか耐えた。
浅いながらもその唇が呼吸をしているのを見てサッチはホッと息を吐いた。
大丈夫、生きている――。
自身の闇で包み込んだ時、加減出来るかどうかわからなかったのだ。だが、その身に危険はないようだ。
何故、マルコが鳥の姿から本来の人の姿を取り戻せたのかその詳しい理由はわからなかった。わからなかったが自身の闇を受けて荒れ狂うマルコが止まったのは事実だ。そしてその体を傷つけることなく、自分は相手の体を抱いている。
目を覚ましたマルコはサッチを見て初めひどく動揺を示したが言葉を掛ける前に抱きつかれた。
マルコが闇の中でその肌の温もりを感じたように、サッチもまたマルコの温もりを感じた。
とても嬉しかった。
泣きたくなるほどに。

周囲は未だ目の前で起こったことが呑み込めていないのだろう。呆然と立ち尽くす人の影が見えた。
静まり返る広場で一風変わった笑い声が響いた。
「グララララ……収まったか」
マルコを抱いたままサッチが振り返ればそこに居たのはサッチをここまで連れてきた、マルコの父親の姿。
悠然と笑う姿は何もかもを見通しているように見えた。
「オヤジ……!」
マルコがサッチの胸から顔を離し、目の前の巨体を見つめる。
「馬鹿息子が。手間をかけさせるんじゃねぇ」
「……ごめんよい」
沈痛な声が響く。
サッチの服の袖がきゅっと握られて、その手は震えていた。
それだけでマルコがこの父親をどれだけ慕っているのかわかる。
「頼む、こいつのこと許してやってくれよ! 俺が悪いんだ!」
「えっ……?」
白ひげに物申すサッチにマルコは怪訝な声を漏らす。
「俺がこいつにちゃんと話さなかったのがいけなかったんだ!」
サッチは白ひげに訴えた。
そう、もっとはっきり示して置くべきだったのだ。
サッチはマルコに向き直り、改めてその口を開いた。
「……俺は仲間なんていらねぇ」
サッチの言葉にマルコがその顔を哀しそうに歪める。
まだそんなことを言うのかと問う目だ。
白ひげもまた同じだった。
けれどサッチはマルコの頭を撫ぜて言った。
「自分のために誰かが傷つくのは嫌なんだ。傷ついた誰かが自分のことを罵る姿を見るのも。だから出たくなかった――」
自身を見つめる青い瞳の前で翠玉が揺れ動く。
「嬉しかったんだ、本当は。こんな俺に声を掛けてくれて、仲良くしたいって言ってくれて、力を見せて恐れはしても、また会いに来てくれた――」
幸せそうに唇が緩む。
けれどその表情は再び固くなった。
「でも正直実を食べたってことを聞いて焦った。自分のせいで同じような運命を背負わせてしまったって――。そんなこと望んでなかったからきつく当たっちまった。さっき言ったように同じような辛さを味わう奴が生まれるくらいなら、仲間なんていらない。――けど、本当は嫉妬もあったんだ」
サッチの言葉にマルコは首を傾けた。
何に嫉妬したというのだろう。
「あの時見せてくれた炎は本当に綺麗だった。さっき鳥になって宙を舞っている時もそうだった。自分の持つ闇がお前のような輝く炎だったら少しは恐れられずにすんだんじゃないかって――」
思わぬ言葉にマルコは目を見開いた。
「馬鹿だろう? だからお前は何も悪くないんだ。お前が――、お前があんなに傷つくなんて思っていなかった俺が悪いんだ……」
申し訳なさそうにサッチは語り終えた。
その力を失った腕をマルコが力強く握りしめる。
「お前さんは悪くねぇよい。俺の方こそ自分の勝手を押し付けた。もっとお前さんの気持ちを考えるべきだったんだよい」
自身の浅はかな行動を振り返り、言葉を口にする。
同じ能力者になればその心を全て分かち合えるだなんて考えた方が愚かだった。
自身と他者は飽くまで違う人なのに――。
二人して互いの行動を振り返り、過ちを述べる。
未だ互いに体を触れ合わせる二人に白ひげが言った。
「――話は済んだか、馬鹿息子共」
言葉はぶっきらぼうでもその中にある温かみは疑いようがない。
二人は声の方を見上げた。
優しい、それでいて労わるような瞳が二人を見下ろしている。
「ずいぶん仲良くなったじゃねぇか」
満足そうに白ひげは笑った。
「オヤジ、怒ってないのかい?」
恐る恐るマルコが尋ねる。
最後まで渋っていたのにも関わらずマルコに実を与え、きっかけを与えてくれた誰よりも大切な人。
その忠告を無視して大丈夫と言い張った結果がこれだ。
街の者たちはきっと金銭で事を収めてもこの先自分たちに良い顔はしないだろう。
白ひげが嫌っていた無用な争い事を生んでしまった。
いや、無用とは言えない。マルコにとっては繋がりを持ちたかった相手と心を通わすことが出来てよかったのだけれど、それは結局私益に満ちたものに過ぎない。
言わば、子供のわがままだ。
青い瞳は不安げに白ひげを見つめる。
「怒るっていうのは相手が何も分かっていねぇ馬鹿相手の時だ」
「……」
「確かにお前がやったことは許されることじゃねぇ」
響く白ひげの声にマルコの肩がすくむ。
今度はサッチがその肩を優しく握った。
「だが、それを反省していないお前じゃないだろう?」
続く言葉にマルコが顔を上げる。
白ひげは本当に怒っていないようだった。
「お前もだ」
言葉を掛けられてサッチは驚いてその顔を見上げる。
「全てを自分のせいにするのはもう止めておけ」
黒い瞳が真摯にサッチを見ていた。
自身よりもずっと上の人に掛けられたその言葉にサッチの目頭が熱くなる。
「お前は今日から俺の息子だ」
「……息子?」
掠れた声が問い返す。
「あの戦いっぷりはすごかったからなぁ、海賊にだって向いてらぁ。どの道お前はもうあそこには戻れねぇだろう」
白ひげの言葉にサッチは今までの出来事を振り返る。
確かにあそこには戻れないかもしれない。戻れたとして、きっと自分はさらに窮屈な立場に身を置くことになるだろう。
それならばいっそ――。
そう思いを馳せるサッチの腕に不意に圧力がかかる。
見ればマルコがその腕を固く握り締め、期待を込めた面持ちでサッチを見つめている。
――ああ、この目はずっと自分を真っ直ぐに見つめていた。
目の前で光彩を放つ青にサッチの決心が固まった。
「……俺が息子で、あんたが俺の父親になるのか?」
サッチの言葉にマルコが口を開きかけたが噤んだ。慎重に二人の会話を待つ。
「ああ、そうだ。俺の船にいる奴らはみんな俺の息子よ」
そう言って高らかに笑う声は朗らかとしていて心地よい。
サッチは一呼吸置いて、そしておもむろに言葉を告げた。
「俺の名前はサッチ。これからよろしく頼む。――オヤジ」
最後は照れくさそうに言った。
サッチの言葉を受けて傍にいた青色が一層輝いた。
「嬉しいよい」
もっとたくさん言葉を掛けたかった。
だが、感極まる心が口に出来たのはその一言だけ。
言葉の代わりに、その体をめいいっぱい抱き締めることでマルコはその喜びを表した。その体をサッチも抱き締める。
自身を抱き込む震えた体を、サッチは悪くないと思った。
それどころかとても好ましい――。
白ひげが見守る中、騒ぎの去った広場で幼い二人は抱き合った。
先に待つことは何も分からない。
それでもあの白い檻の中にいるよりは素晴らしいことが数多く待ち受けていることだろう。不安もある。
大丈夫と言われた能力を自分はまだ信じきれてはいない。今回のマルコのように、過去の自分のように、また暴走して誰かを傷つけてしまうかもしれない。
けれど、きっと大丈夫だ。
独りきりの時とは違う。
自分のことを思っていてくれる人が居る限りきっと大丈夫。彼らは決して自分を見捨てず、救ってくれるだろう。
心の中でそう確信し、サッチはまだ興奮気味に自身を見つめる青い瞳に語りかけた。
「これからよろしくな、マルコ――」
言葉を受けたその顔が満開の花のように綻ぶ。
同様にサッチも笑った。
実に柔らかく晴れ晴れとした笑顔だった。




2011年9月発行の同人誌。「蒼の生まれた理由」と共に初めて書いたオフ本。
ネタのきっかけはツイッターの診断で出た「病院舞台で片思いの幼少マル闇サチ」でした。
書くうちに大分それた感じもしますが書ききることが出来て良かったです。
まさかここまで長くなるとは思いませんでしたが。
能力者やその能力の描写は楽しいので二人で出来て良かったです。


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