「ちょ、ちょっと待って!」
「ええ、何でっスかぁ」
「ここ教室っ」
「頭に“誰もいない”がつくっスけどね」
にっこー、なんて擬音がつきそうなくらい満面の笑顔の黄瀬くん。それはモデルのときに見せているようなクールな笑顔じゃなくて、わたしだけが見れるそれだと思うと胸がきゅんと高鳴る。
……状況が、今の状態じゃなければ、のはなしだけど。
「なまえさぁん」
「な、なに」
「キス、したいっス…」
「はいストップー!」
再度ずいっと近付いてきた黄瀬くんのくちびるを片手で防いで、近距離にあるその顔から逃げるように顔をそらす。なんで、と聞こえてくるような不満そうな視線がわたしを刺した。それからすぐに、黄瀬くんの表情は捨てられた子犬みたいな寂しい顔になる。わたしがこの顔にめっぽう弱いこと、黄瀬くんはわかってやっているのだろう。だけど、わたしにだって理性があるのだ。
「黄瀬くん」
「なんスか?」
「自分が大人気モデルだってこと理解してるの?」
「そんな、照れるっスよ〜」
「褒めてない!」
そう、わたしが恐れているのはスキャンダルだ。いくら人がいないからって、こんなところでそういうことをしていたらいつ誰に見られてしまうかわかったものじゃない。黄瀬くんはわたしと付き合っていることを隠すつもりはないらしく、バスケ部の面々にはもうばれているらしいけれど。
「なまえさんはなんでそんなに隠したがるんスか?」
「…だって」
「俺が彼氏じゃ、恥ずかしい?」
「そっ、んなわけ…ないじゃん…」
「じゃあ、なんでっスか?」
真剣な瞳で見つめられれば黙っていることなんてできなくて、ふう、と息を一つはいて、わたしはくちを開いた。
「黄瀬くんの可能性を潰したくない、から」
「…俺の?」
「黄瀬くんは大人気のモデルで、いまからもっともっと人気になると思う。そんなときに彼女がいるなんて記事になったら…」
「人気が落ちちゃうかも、って?」
「……」
「じゃあ逆に言えば、なまえさんはスキャンダル如きで俺が潰れると思ってるんスね」
「っ、!」
違う、そう言おうとしたはずなのに言葉は喉の奥に押し込められて、じわりと瞼の裏が熱くなる。
「スンマセン、ちょっといじわる言ったっス」
「ううん、わたしもごめん」
「謝らないで。なまえさんが俺のこと心配してくれてるのはよくわかってるっスよ、でも、」
黄瀬くんはそこで言葉を切ってわたしをぎゅうっと抱きしめた。耳元にくちを寄せられて、いつもの黄瀬くんからは考えられないくらい弱気な声で拒まないで、と囁かれる。
「黄瀬く、」
「なまえさん」
「なに…?」
「俺は、モデルとかキセキの世代とかそんなの関係なくて。黄瀬涼太としてなまえさんがすきなんスよ?」
「うん、知ってるよ」
「なまえさんは?」
「え?」
「なまえさんは、俺のこと好きっスか?」
「…うん。大好きだよ、黄瀬くん」
ありがとうっス、そう言ってへにゃりと笑った黄瀬くんが顔を近付けてくる。今度は止めることなくそのまま目を瞑ると、やさしく黄瀬くんのくちびるとわたしのそれがくっついた。
Chu*