初・いつものこと。(2) [10.02.13.]
「腹巻き君、何してやがる」
「……」
「あ?」
かすれた声が聞き取れず、口元に耳を寄せた。
「どこへ行く?」
「……水、持ってこようと。行っていいか?」
ようやくチェーンから手が離れ、サンジは男部屋へ戻った。
いつもと違う様子に戸惑った。
よくよく考えたら、いや、考えるまでもなく、許可を得る必要なんてないだろうと気付き、だんだんとムカついてきた。
ムカつきながらも、キッチンに寄り、しっかりと水を換えてやっていることには気が付かない。
文句の一言二言と思いながら、格納庫に戻ってきてみると、チョッパーはいなかった。これ幸いと、二言から三言に増やしてやるつもりで近づいた。
けれど。
ほんの僅かな間にも悪化したことが明白だった。
漠然とした不安がチクリとする。
「水、要るか?」
問う声に応えてこない様子に、手をゾロの額に当てた。
冷えた手に、寄せられていた眉間から力が抜け、うっすら目を開けた。
いつもなら、強固な意志と強靱な精神を雄弁に語る視線。
それが、無防備で力のない、どこか焦点が定まりきらないような視線。
それがゆっくりとサンジを捉えた。そして、一度とまばたきしてから捉え直した視線は、優しく柔らかもので、思わずサンジは見とれてしまった。
「……ぇな」
「え? な、何?」
ハッとして、顔を近づけた。目を見ていられず、視線をそらしながら、耳をそばだてる。
「手、冷てえな」
「キッチンで水触ってきたからな。気持ちいいか?」
「ほっとする」
ふうと息をつきながらかすれた小声で話すゾロ。初めて見る年相応な顔。否、それより幼く見える気さえする。
額に当てていた手の、今度は甲を首筋に当ててやると、やはり気持ちいいのか、目を閉じ、ふわりと表情を和らげた。
「サンジ、ついててくれたのか。ありがとう」
「い、いや、別に」
とっさに手を離した。
気付かないほど見ていたのかと、内心パニックだった。
幸い、チョッパーはそんなことには気にも留めず、持ってきた水の入った洗面器とタオルをおき、さっと診察する。
「辛いか? でも、もう少し上がると思うよ。ゾロだから体力に問題ないけど、脱水症状だけはちゃんと注意しろよ」
ゾロはドクターの言葉に小さく頷いた。
「ありがとな、ドクター」
「ううん、ごめんな。でも、これ以上弱いワクチンじゃあ……」
ゾロは僅かに首を振り、小さな医者を気遣い微かに笑ってみせた。
その様子を見て、サンジはそっと離れようとした。
が、しかし。
「だから、何だっていうんだ、筋肉毬藻」
またもチェーンを掴まれた。声が出ないらしく、口だけが動いた。
何なんだ。
「キッチンの片付けが終わってねえんだよ」
それを聞くと、ゾロはようやく手を放した。
本当に何なんだよとブツブツ言いながら、サンジはキッチンに向かった。
そこは既に無人で、食後に使っていたカップやグラスは綺麗に洗われていた。
こういうことをしてくれるのは、大抵ロビンだ。昔と違って、幸せな気持ちでできる事がとても嬉しいのだと話してくれて以来、有り難く甘えさせてもらうことにしている。
まだ残っている片付けを済ませ、日誌を付け、食材を考慮しながら明日のメニューをざっと考える。
そうしながらも、先ほどのことがつい頭の中を占めてしまう。
何故、アイツは引き留めたりしたんだ? アイツでも心細くなったとか?
何故、俺は不安など感じたのだろう。どれだけ重傷を負っても、心配はしても不安になったことなんかなかったのに。
初めて見た表情に目を奪われてしまった。チョッパーが来た気配に気付かなかったなんて、それだけ見とれてたっていうのか。
……見とれてた!?何で藻に見とれるんだ!!そんなことあるわけないっつーの!!
らしくない姿を見たから、こっちまでらしくなくなることないじゃないか! ……ん? 何かよく分からなくなってきたぞ。
一人ぐるぐる考えていると、扉が開いた。
驚くより早く、とっさに立ち上がり、駆け寄って支えた。
「何してやがる!」
「水」
「……そうか」
サンジは、まずゾロを椅子に座らせ、水を飲ませた。
「飲んだか? じゃあ戻るぞ」
「仕事は?」
「まだ終わってねえよ」
「じゃあ、いい。終わるまでここにいる」
「はあ!?」
「手が空いてからでいい」
思わずポカンとするサンジなど気にもせず、ソファに横たわった。
何だかいつもと勝手が違い、文句を言うタイミングを逃してしまった。
仕方ない。臨時用にラウンジに置いてある毛布を持ち出し、ゾロにかけてやり、自分の仕事に戻った。
ノートを片付け、ゾロのもとへ行くと、どうやら寝入っているらしい。
確かめようと、目深に被っている毛布を指でちょいと捲ってみた。
峠を越えたのか、先程までのような苦しそうな様子は少し治まっている。そうっと額に手を当てる。眉間の皺が取れ、穏やかな表情になる。それに釣られるように、自分も穏やかになっていることを、サンジは自覚していた。
起こすのは可哀想だな。このままここで寝かせてやるか。また水とか起きた時に困るだろうから、俺様が一緒にいてやるか。ナミさんに、毬藻の世話を頼まれちまってるしな。それに、そんな優しいジェントルマンな姿に、ナミさんもロビンちゃんも「素敵〜」とか思ってくださるかもしれねえしな。うん。
そんな御託を並べて、自分も毛布を持ち出して、ソファの側に座った。
自分の心の中にあるものには気付いていない振りをして、もう一度ゾロの顔を覗き見て、サンジも眠りについた。
早くケンカができればいい、調子が狂う。そう思いながら。
end.
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