朧月夜(2) [10.01.06.]
「もう一度味わえるなんて思わなかったわ。お茶もお漬け物も、本当に美味しかった。練り切りにはもっと驚かされたけれど。ごちそうさま。ありがとう」
「喜んでいただけて、俺の方こそお礼を言いたいくらいです、レディ♪ この上ない幸せ〜♪」
「これで本当に心置きなくいけるわ」
『いける』?何処へ?
サンジのその心の動きを読みとった様に、女の色素のない瞳に金色が宿ったような気がした。その色に、サンジは「あれ?」と何かが心を過ぎった。
女は席を立ち、座ったままのゾロに向き合った。
「触れていい?」
「いちいち聞くな」
クスクス笑いながら、白い指で緑の髪を梳いた。
愛情に満ちたその仕草と表情。サンジは思わず見とれた。ふとゾロに視線をやると、軽く目を瞠った。不機嫌に見えるその表情。サンジには、今にも泣き出しそうに見えた。
「いい男に育ってて嬉しいわ。独りじゃないことも、本当に嬉しい。信じる道を、信じるままに進みなさい。……元気で」
「ああ……」
「サンジさん」
「あ、はい」
「貴方も、自分を大事にね。ありがとう。」
その微笑みは慈愛に満ち、消えてしまいそうなほどの儚い美しさだった。目の奥に宿る強く優しい光りが、またサンジの心を掠めた。
「それじゃあ」
女は一度ゾロを抱きしめると、フードを被り、部屋を出ていった。
「おい、お送りしなくていいのかよ。レディ!」
サンジは全く動かないゾロを後目に、女の後を追うが、ドアの外にはもうその姿はおろか、気配すら消えていた。
「ったく!こんな夜中に女性を一人歩きさせるなんて、てめえはよう」
文句を言いながら振り返ると、ゾロは座ったまま、ただ真っ直ぐに女の消えた外を眺めていた。いつもと変わらない憮然とした表情なのに、サンジにはやはり泣き出しそうに見えた。
なんて思われるかとか、いろいろ躊躇したが、ままよと決めた。
「昼間、ナミさんとロビンちゃんが『白い鬼』の話を聞いてきた」
ゾロは、何の反応も見せない。
「10年くらい前、この島を救うのに『見えない剣』を振るったそうだ」
「見た奴はいるのか?」
「当時5才のガキが1人」
「俺は一度も見せてもらえず終いだ」
「……言いたくねえならいいけどよ、あの……」
「最後に会ったとき、既に残り少ねえ命だった。だから、もう今生の別れは済んでいる。いつ死んでも不思議はねえ。むしろ、今生きていることの方が不思議なくらいだ」
らしくなく、小さな声で、独り言のように。
「さすがに東の果ての味は、なかなか扱われちゃいねえらしくて、あれから口にしてねえって聞いたらよ、飲ませてやりてえなって」
サンジはそっとゾロの頭を胸に抱き寄せた。
「俺の髪は、母親譲りだそうだ。俺が生まれたときにはもう色素を失ってたから、俺も見たことはねえが」
「……え?」
「孝行なんて、したくてもできねえ環境だったからな。こんな形でしてやれるなんざ、さすがグランドラインだな」
そういって小さく笑う声さえ、サンジには泣き声に聞こえる。
ゾロは、サンジの腰に手を回し、抱きしめた。
「ありがとな」
「何がだよ。茶をお入れしただけだ。礼を言われるほどのことじゃねえ」
「それでもだ」
「まあ、綺麗なレディにお目にかかれたことは至福の時だったなあ♪」
「言ってろ。……てめえに会わせられるなんてな」
「あ?」
「何でもねえよ」
「しかし、本当に美女だったなあ。見事なプラチナブロンドに、淡い桜色の唇。まさにスノーホワイト!」
「ありゃ白髪だ、白髪」
「うっせえな。あのお美しさにはプラチナブロンドがお似合いだろう」
「訳分からねえ」
「レディの素晴らしさが分からねえやつだな、全く」
「てめえのそれは病気だろうが」
「カッチーン! 藻には人間の感性っていうものが理解できねえよなあ」
「アヒルは口と脳が繋がってなさそうだな」
だんだんいつもの軽口の応酬になっていく。
ただ、その間もゾロはサンジの胸から顔を上げることなく、サンジの手はゾロの髪をずっとなで続けていた。
一通り言い合うと、ゾロが少し腕に力を込めて言った。
「あっさり信じるんだな」
「あのお美しさに、あの若さだ。信じたくねえさ、スノーホワイトが毬藻を生んだなんて!しかしな、あの目を見ちまったら、そりゃあ仕方ねえよ」
「目?」
「ああ。そっくりだった。同じって言っていい次元だな」
「そうか」
「神々しいまでの美貌が遺伝しなかったのは残念だったな。いや、むしろ不幸中の幸いなのか?」
「なんだそりゃ」
軽く吹き出しながら顔を上げたゾロに、もう泣き出しそうな様子は感じなかった。
サンジは、安堵した気持ちを隠し、いつものように笑って軽いキスをした。
淡い月だけが出ている夜だった。
end.
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