かの者を一振りの剣(つるぎ)とたとえるならば、その者はそれをおさめる鞘(さや)である。
ようこそこちらは楽園になります
とかなんとか、よだれたらしたエライじいさんが寝言でむにゃむにゃ言っていたけど、そんなことは私にはどうでもいいことで今はこの穏やかな日差しの下でとろとろとまどろむ時間の方がよほど重要である。あーいい気持ち―――
「である、じゃねえんだよこのクズが」
「あいたっ!いたたたたたたた。えっちょ、なにこれすごく痛い」
「当然だろ頭踏まれてんだ。わりと本気でな」
目を開けてみてみれば硬いブーツの底がぎりぎりと仰向けに寝転がった私の額を踏みつけていて、今にも頭蓋が陥没骨折しそうだ。わあすごい、まるで巨人に噛み潰される予行演習みたいだよ全然ありがたくないや。
「ああリヴァイ、リヴァイくん。私が悪かったよ」
「なにが悪かったか言え」
お母さんかこいつは。無表情のはずがどこか楽しそうにひとの頭を踏みつけているように見えるのは気のせいだといい。
それから彼の問いに答えるべくしばらく考えて、
「今朝寝坊したこと?」
間髪入れずに頭への重圧が増した。どうやら違うらしい。
「干してあったリヴァイのスカーフでニコたちとハンカチ落とししたことか」
ああうん、これも違うのね。
「あ、わかった」
額の上のブーツがぴくっと反応する。ああなるほど、もうこれしか思いつかない。
「リヴァイも昼寝したかったのに私が置いていったからだ。もぉ、このさびしがり屋さんめあだだだだだだ!砕ける!砕け散る!」
「自分で気づくだろうというおまえに対する俺の期待も砕け散ったわけだ。一緒に砕けろ」
本気で他人の頭を潰しにかかってきたよこのひと!まさか壁の外じゃなく内側で死を感じることになろうとは夢にも思わなかった。
「えへへごめんね」
「ごめんで済んだら憲兵団はいらねぇんだよ」
「なにそれ意味わかんな、痛い痛い痛い」
苦しむ私を見下しながらひとしきりグリグリと踏みつけて楽しんだリヴァイは、いくらか満足そうな顔をしながら(といっても顕微鏡で見てようやくわかるレベルの表情の変化だ)ようやく足をどけてくれた。
やっと拷問から開放され喜ぶ間もなく襟首を引っ掴まれて強制連行される。ああさようなら私の昼寝スポット。そしてこんにちは執務室。
せっかくリヴァイの目を盗んで脱出し、隠れて昼寝していたというのになぜこうも簡単に彼は私を見つけ出せるのか。
「おまえの未処理の書類がデスクに積み重なっている様がすこぶる不快だ。部屋も汚ぇ。早急に片付けろ」
「期限は?」
「今日中」
悪魔か。まだ期限じゃない書類もたくさんあるってのにこの潔癖めが。
だけど確かにそろそろヤバイっていうか完全にアウトなやつもいくつかあったな。嫌々ながらデスクについて一番最初に目に付いた書類を手に取る。えーと第104期新兵訓練成績上位10名のデータ確認とな。
細かい文字で詳細に書かれた内容に、早くも萎えてきた気持ちをなんとか奮い立たせる。なになに、エレ―――
「お、」
突然目の前に置かれたマグカップから立ちのぼる、私が最も好きなお茶の香りに顔を上げると、
「終わるまで監視するからな」
そう言って執務室の中央に置かれたソファに越し掛けたリヴァイ。彼の前のローテーブルの上にある色違いのマグカップを見て思わずにやつく。
そしてその瞬間額めがけて投げつけられた物体をひょいと避けた。危ないなおい。
「刺さって死んじゃったら、いの一番にリヴァイの枕元に化けて出るからよろしく」
壁に突き刺さって細かく振動するペンを引き抜く。先が折れていたのでそのままゴミ箱に直行だ。ごめんよ、恨むなら奴を恨んでください。
心の中でひっそりと合掌する私に殺ペン犯リヴァイが一言。
「たかがペン一本で死ぬようなタマかよ」
私はなまえ・みょうじ。なんのこたぁない、最後の砦として築かれた巨壁の中でつかの間の平穏を貪る人類のうちの一人である。
ただ、とても運が良かったことと、少し普通の人間よりも生き残ることが上手かった。それだけ。
だから巨人はこわいしペン一本でも死ぬときは死ぬ。
「―――それを終えたら俺のスカーフでハンカチ落としをした件について話がある」
加えて、巨人よりおそろしい形相の人間を目の当たりにしたら小便ちびりそうになるのなんてもはや自然の摂理なのである。
この窮地をどう乗り切ろうか。というか、乗り切れるのだろうか。
マグカップを手に取り一口飲む。お茶はこんなにもやさしい味なのに、目の前の彼がかもし出す怒気からは1ミリたりともやさしさ成分が感じ取れない。
多分今、私は悟りを開きまくった高僧のような顔をしていると思う。
残される班のみんなへ。もし私が壁の内側で死んだら犯人はリとヴァとイがつく人物の犯行です。ああでもなるべく助けに来る方向でお願いしたいなあ、なんて。
そんなことを思いながら少しでも時間を稼ごうと、できるだけゆっくり書類を片付けてやることにした。