「よう、今日も陰気なツラだな兵長殿」

そう言って笑ったうどの大木はなまえ班のブリュッケ。上司が上司なら部下も部下か。
無視してすれ違おうとしたあいつはいつものように女の香水の匂いがしたが、ふと俺は足を止める。なぜなら知った香りだったからだ。



女王様と犬





ブリュッケは俺が立ち止まることをわかっていたに違いない。
くわえ煙草を壁でもみ消して放り投げると、人を食ったような笑みを浮かべて言った。「そんなに見つめんなよ」照れちまうなどと心にもないことをほざきながらわざとらしく肩をすくめる。

「ブリュッケよ。テメェのふざけた態度や乱れきった生活について今さら言及するなんざ時間と労力の無駄だとこれまで黙認してきたが、今度という今度は事と次第によって調査兵団から外れてもらう」
「ずいぶんとご機嫌斜めじゃねぇか、おれがいったいなにをしたってんだ?」
「とぼけるな」

ぴりぴりと重たい殺気が周囲に満ちる。昼間でも薄暗い廊下を照らす飾台の蝋燭の火が揺らめき、照らした奴の表情はあいも変わらずいけ好かない。
赤毛と同じ色をしただらしのない顎ひげを撫でながら、ゆっくりと歩み寄ってきたブリュッケはその体躯をかがませ俺の耳元に顔を寄せると、色気を含んだ低い声で囁いた。

「なぁおい、知ってるか?なまえのやつ足の指先まで赤ん坊みてぇに柔らけぇんだ。なかなかおれ好みの―――」

言い終わらないうちに奴のこめかみに拳を叩き込む。よろめいたところで足払いをかけて床に引き倒し、身体に圧し掛かってその首を掴み締め上げた。
頭の中は真っ白だった。ブリュッケがうめく声が冷たく静まり返った通路に反響する。

「っ!」

突然奴の膝で背中を強打され、手の力が緩んだ隙をついて今度は俺が引き倒されて強かに後頭部を打ちつけた。
胸倉を掴み片膝を乗せられただけだというのに、肺を押しつぶされそうな圧力で呼吸さえままならない。
薄闇の中でちらちらと蝋燭の光を反射し、まるで燃えているように見える奴の赤毛を毟らんばかりに掴むもびくともしなかった。

「ったく相変わらず凶暴なガキだ。立体起動装置じゃ敵わねぇがな、体術はおれのが上だっつぅの忘れたか」
「馬鹿力がっ・・・」
「テメェも馬鹿だろ。なにが“調査兵団から外れてもらう”だ」

全部オチャメな冗談に決まってんだろ、と悪びれもせず吐き捨てたブリュッケが俺の上から身体を起こして立ち上がる。

「リヴァイよ、おまえさん朝食以降なまえに会ったか?」
「あ?」

知るか。どこぞで餌付けでもされてんじゃねぇのか。
悪態をついた俺を呆れ顔で見たブリュッケは新しい煙草をくわえ、ぱたぱたとポケットを探りながら舌打ちした。

「なんだよおれの最高傑作を見てねぇのかよ。早く会いにいけバカヤロウ。んで謝れ、ひれ伏せ」
「人間さまにもわかるような言語で話せよゴリラ野郎」
「説明させんなよめんどくせぇから。要するにうちの班長泣かせたら殺すって意味だわかったかキツネ野郎」

やはり意味がわからない。俺の人間としての要求は奴には難しすぎたらしい。

「口の減らねぇジジイだぜ」
「おまえさんもなクソガキ」
「これいらねぇのか、そうかわかった」

手の中にある小さな銀色のそれをちらつかせると、途端に奴の顔色が変わった。

「さっきはごめんねリヴァイきゅん。いい子チャンだからそれオジサンに返そうねぇ」
「気色悪い、寄るな万年性病患者」

女好きで名高いアルバート・ブリュッケが唯一女より優先するもの。共に戦う班の仲間、そしてこのジッポライター。
顔面を狙って力の限り投げつけるもあっさりと受け取めたゴリラは、至極大事そうに指でひとなでしてたばこに火をつけ、いつものように他の誰よりも美味そうに吸っていた。





ペトラになまえの阿呆を見なかったかと尋ねると、「お昼寝中です」と苦笑した。あいつは1日くらいまともに執務をこなす事ができないのだろうか。
隠れ昼寝スポットとあいつが名づけている場所のうちのひとつに、案の定大の字になって眠っているその額に拳を落としてやろうとして、はたと動きを止めてしまった。

「―――なまえ」
「んん?あ、リヴァイ・・・って顔ちかっ!びっくりした!」
「その顔はどうした」
「ふふん、どう見える?」
「霊長類ヒト科のメスに見える」
「他に言いようがあるだろうに」

きれいだとかかわいいとか色っぽいとか色っぽいとか!そう言ってだるそうに上半身を起こしたなまえの肩に、丁寧に巻かれた髪がやわらかく流れる。いつもは適当にひっつめているのに、酷く見慣れない光景だ。
なぜか落ち着かない気持ちをどうにかしようと、当初の予定通りあいつの額に攻撃を繰りだす。まったく力が篭っていなかった。

「おい」
「なにかねリヴァイくん」
「テメェんとこの班にはまともなのいねぇのか。誰とは言わないが特にブリュッケ」
「言ってんじゃん、指名しちゃってんじゃん。アルバートねぇあいつヤなとこもあるけどいい奴なんだよ。これこの通り、手先も器用だし?」
「それあのゴリラがやったのか」
「ただのゴリラじゃないよ。一芸もニ芸もあるゴリラさ」

マニキュアも塗ってもらったと見せられたあいつの爪を彩るボルドー。聞けば足の爪にまで塗ってあるらしく、さきほどのブリュッケとの会話を思い出して合点がいった。

「化粧の礼になにか寄こせって言われてね、私の香水をわけてやったんだ。なかなか気に入ってたみたいだからよかったけど、オッサンとお揃いの香りってどうよ?」
「笑える」
「少しでも笑ってから言え」

髪をかきあげる指先の赤がちらちらと俺の視界の端を行き来する。紛らわしいことしてんじゃねぇよ、と口をついて出そうになったのをなんとか飲み込んだ俺の顔を覗き込んだなまえが、

「どう?自分でもなかなか色気あるとおもうんだけど」

そう言って微笑んだ唇がいやに艶やかで、そこから視線を引き剥がす。
言葉を探している自分に苛立ちを感じる。「なんとか言いたまえリヴァイくん」ぷすりと頬をさしたなまえの人差し指を掴んで引いた。

「え」

なまえのぽかんとした間抜け面を見ながら口に含んだ指先に舌を這わせ、あま噛みし、また舌でなぞる。

「リ、リヴァ、イ・・・?」
「ん、」

中指、薬指と移動するその間片時も視線を外さない俺を見るなまえの顔が発火しそうな勢いで赤くなるのを見届ける。
じゅ、と音を立てて薬指を吸い、再びやわらかな指先の鮮やかなボルドーに、

「いっっったああああ!!」

思いきり歯を立ててやった。

「わめくなやかましい」
「ちょっ、おまっ、今本気で噛みつい・・・いったあああ!!」
「ぺっ、まずい」
「ツバ吐くな失敬だな!」

ギャアギャアわめいて地面を転げまわるなまえはどこをどう着飾っても根本的になまえでしかなかった。
血が出た!と大げさに詰め寄ってくるあいつの額を手のひらで押し返しながら息をつく。

「色気ってのはこうやって出すんだわかったか」
「セクハラですリヴァイ兵長」
「何とでも言え。それよりもまずおまえはやることやってから色気づけ、執務しろ阿呆」
「あーあ、色仕掛けで書類肩代わりしてもらおう作戦失敗だ」
「それでこそなまえだ、褒美に仕事を増やしてやるからありがたく思え」
「鬼か!」

恨みがましい目で俺を睨むあいつの襟首を引っ掴んで連行しながら、鼻孔をくすぐる甘やかな香りに顔をしかめて思わず「笑えねぇ」と小声でこぼす。

「なんか言った?」
「別に。前から言おうと思ってたがその香水は気にくわない。早急に変えやがれ。さもなくば今後一切俺に近寄らせねぇからな」
「・・・ハイハイ。仰せの通りに、お姫様」
「誰が姫だ」

女の子の指にいきなり噛みつくなんてと“自称女の子”のなまえがいつまでも小うるさいので、「ゴリラの髪の色に似ててムカついた」と言うと途端に静かになった。わけがわからん。


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