3

「――銀」
「……ん?」

軽い振動を感じて目を開けると、そこには凪の顔があった。
ちらりと窓の外を見ると、分厚いカーテンの隙間から光が差し込んでいる。

「……寝過ごした……?」

ぽつりと言うと、凪がはずした腕時計を銀の鼻先に突きつけた。
はちじさんじゅっぷん……。
八時三十分?
銀はがばっと起きると、

「嘘だ……」

と、凪を見ていった。
凪は少しむくれたように頬を膨らませ、

「なにが」

と、やはり不機嫌な口調で言った。
が、銀はそれを気にせずに、全くもって疑わしげにゆっくりと口を開いた。

「……時計戻してないよな?」
「戻してない」

凪は大げさに溜息を吐いて肩をすくめると、銀の耳を軽く引っ張った。
少し強くひっぱったから、痛かったのだろう。
手を離すのと同時に引っ張られた耳を前足で抑えた。
小さな狐が前足で耳を抑えているというなんともファンシーでファンタジックな光景に、凪は思わずクスクスと笑った。
まあ、言ってみればその狐が人間の言語を話していると言う時点ですでにファンタジックかつ非日常的なのだが、凪にとっては『銀』という存在はそういうものであり、それ以外の何でもないので、それは最早凪にとっての『日常』なのだ。驚くに値しない。
――最も、仮にいきなり銀以外の言葉を発しない存在が言葉を発したからといって、凪が驚くかどうかは不明である。
凪はふう、と息をつくと、ひょいとしゃがんでソファーにいる銀と自分の目線の位置に合わせると、

「やる事があるんだから早く起きたんだよ」

と言った。
服に付いていた雪を軽く払う。
凪はコートに耳あて、手袋、マフラー等、外に出て行くような格好をしていた。
衣服の端々に雪がついていることから、もう外に出たあとなのだろう。

「……雪かき?」
「おしい。雪下ろし」

首を傾げて問うと、そんな返答が返ってきた。

「溶けて屋根から雪が落ちてくる前に降ろしとかなきゃ危ないからね」
「……朝からお疲れ様だね」
「本当に」

凪はコートを除く防寒具をはずすと、暖炉に薪を適当に組み合わせて、新聞紙を丸めた物に火をつけてその中心に放り込んだ。
少しずつ紅い火がその中に広がる。
火がちゃんと点いた事を確認すると、凪はぐっと伸びをして立ち上がり、リビングに隣接――と言うかカウンターを挟んだだけで空間的にはほとんど別れていないに等しい――しているキッチンに向かった。
そして、適当にパンと野菜、卵などを取り出すと、朝食を作り始めた。
時々欠伸をしながら調理を進めている為、怪我をしないか若干心配になるが、意識はちゃんと起きているらしく、怪我したり物を落としたりせずに調理を終えた。
出来上がってまだ湯気の立つ朝食を持って凪がリビングに戻ってきた。
凪はテーブルの上にそれを置くと、少し離れた場所にココアを置く。
銀の分だろう。
凪が軽く目で示すと、銀は人方に戻ってココアの入ったマグカップを両手で挟むように持った。
そして、ふうふうと表面を吹きながら、ゆっくりと口に運んだ。
その行動があまりにも見た目の年齢にあっていて、あまりにも120歳を超える妖怪には見えなかったので、凪は笑って銀の頭をくしゃっと撫でた。

「何?」
「いや、気にしないくていいよ」
「……」

不思議そうな銀に、凪はにこっと笑ってトーストにかじりついた。
銀はまだ納得していなさそうな表情をしていたが、別にたいした問題じゃないだろうと判断すると、再びココアに口をつけた。
あまい、少しだけ苦い味が口の中に広がった。

「……要もつれて来ればよかったのに」

銀がぽつりと言う。
小さな声だったが凪に聞こえていないと言う事は無いだろう。
しかし凪は聞こえなかったかのように無言のまま、スクランブルエッグを口に運んだ。
聞こえないふりをしているのだろう。
その様子に、銀はほんの少しだけ溜息を吐いて、日本にいる凪の従兄弟の事を考えた。





第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -