15

――放課後。
図書室には何人の生徒が集まって、雑談をしたり、読書をしたり、勉強をしていたりした。
この学校の図書室は四階建で、中央が吹き抜けになっている。
各階ごとに、
「娯楽(雑誌や小説等)」
「学問(辞書や歴史書。英語や数学の参考書など、テスト前などによく活用される)」
「専門知識(医療や音楽について。学校では習わない深い知識についての本が多い)」
「その他(学校の資料や、過去の部活動記録等)」
と分けられている。
また、CDや映画のDVD等も貸し出ししており、その場に備え付けられたパソコンで見ることができるなど、暇を潰すにはかなりもってこいの場所だ。
そんな図書館の三階――専門知識のフロア――の、音楽の本棚の前に、恵はいた。
目に入る本を手にとり、ぱらぱらとまばらに読んでは本棚に戻す。
そんな事を繰り返していた。
開け放たれた窓から聞こえる音楽部の練習の音。

「――やってるなあ」

ほんの少し前まで自分はあそこにいたんだな。
と考えては少しだけ寂しい気持ちに浸る。
が、それをどこかへ追いやるように頭を振ると、手に持っていた本を本棚に返し、踵を返す。
ふいに、視界の端に鮮やかな金色がちらつく。
恵は思わず足をとめると、その色が見えた方向に視線を戻す。
そこにいたのは、やはり凪だった。
本棚にもたれかかって座り、周りには分厚い本が、散乱していると言っても過言ではないほどに置かれている。
そのおかげか凪の目の前にある本棚はがらがらになっている。
その中心にいる凪は、速いスピードで目と手を動かしている。

『……医学書?』

恵は本の側面に書いてある分類の表記を見る。

「――あれ?」
「っわ!」

不意に、やや高めの声が耳に入る。
凪が恵に気付いて顔をあげていた。
恵は急に凪が声を上げたことに驚いて、元いた場所から二、三歩後退りした。
凪はその反応に苦笑すると、

「ここ、使いますか?」

そう言って、立ち上がり、散乱していた本を本棚に戻し始めた。

「……使わない」
「?そうですか」

やや気まずそうに答えた恵に首を傾げつつも、ひょいひょいと本を元あった位置に戻していく。
そして、先ほどまで読んでいた本を最後に本棚に戻す。

「……いいの?」
「え?ああ、はい。もう読んでしまいましたから」

こともなげに言う凪に、恵は

「……あの量全部?」

と、訝しげに聞く。

「ええ」

凪は普通に頷いた。
恵は軽く額を抑えると、『ありえない』とでも言いた気に凪を見る。
その視線に凪は苦笑すると、

「恵さんはどうしたんですか?こんな所で」

にこりと笑って訊いた。
その言葉に恵は眉根を寄せた。

「図書室にいちゃいけないわけ?」
「いえ。ただ珍しいなあ、と」

笑ったまま言った凪に、恵は露骨にむっとした表情をすると、

「それは何?私に読書は似合わないと言いたいの?」

不快感を前面に出した声色でそう言った。

「さあ?そう聞こえましたか?」

凪は肩をすくめて言う。

「……」

恵はもう怒る気も泣いと言った風に軽くかぶりを振ると、くるりと踵を返した。
凪も足元に置いてあった鞄を取ると、何も言わずにそれについていく。

「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………ねえ」
「はい」

沈黙に耐えかねたように恵が口を開く。
ちなみに今二人がいるのは、図書館の外――つまり、廊下だ。
ここの図書館は各階ごとに出入り口がついているため、三階の廊下ということになる。
恵は歩きながら凪のほうを首だけ回して見る。

「何でついてくるの?」
「何か問題でも?」

不機嫌そうな恵に対して、にこやかに凪は返す。
恵は一瞬言葉に詰まると、

「だ、だって、あんたがついてくる理由が無いじゃない」
「僕がついていきたいからです」
「……ストーカー……」
「失礼ですねえ」

凪はそう困ったように笑うと、

「そうですね……貴方の事を知りたいから、ですかね?」

いつもと変わらない表情で、さらりと言った。

恵はその言葉に驚いた風な顔をすると、

「っきゃ!」

階段から足を滑らした。
話しながら歩いていたせいで、目の前を良く見てなかったのだろう。
体に来る衝撃を予想して、ぎゅっと目を瞑る。
が、

「……あれ?」

何時までたっても衝撃がこない。
恐る恐る目を開けると、目の前に先ほど落ちそうになった階段があった。

「前方不注意、ですよ……」

後ろ――それもすぐ近く――から、凪の声がため息交じりで聞こえた。
そして、凪が腰に腕をまわして、抱きかかえるようにして自分を支えていることを認識すると、

「――っ」

顔を赤くして、凪から離れた。
凪はその行動に首を傾げつつも、

「大丈夫ですか?」

と訊く。
恵は赤い顔のまま首を縦に勢いよく振る。
が、その瞬間、

「いッ!!」

右足首に激痛が走った。
がくり、とその場にしゃがみこむ。
ずきりずきりと休むことなく痛む足を、恨めしげに見る。
しかし、痛む足を睨んでみたところで何も変わらない。
立てるかと思い、動かしてみるが、少し動かすだけでもかなり痛い。
どうも立てないようだ。
恵がどうしようか考えていると、

「ひねりましたか?」

と、凪が覗き込んだ。

「保健室行きますか」
「行きたいけど歩けないからいけないわ」

恵はそう言うと、かすかにため息をついた。
――情けない。よりによって、こいつにこんな所を見られるとは……。
そんなことを考えていると、不意に体がふわりと浮く。

「よっと……」
「!」

小さく声をあげて恵を抱き上げたのだ。
俗に言う『お姫様抱っこ』でだ。

「ちょっ……!」

恵が慌てたように左足のみをばたつかせる。
普通の女子なら、赤くなるシーンなのだろう。
しかし、恵の顔色は青い。
何故なら、こんな所を凪のファンに見られたら、何を言われるか――というか、なにをされるか解ったものではない。
女の恨みは怖い。とても怖い。
それ以前に、変な噂が立つのはこっちからお断りだ。
恵は内心そう叫ぶが、

「暴れると落としてしまいますよ」

にっこりと笑って凪が言った。
凪は『落ちてしまう』ではなく、『落としてしまう』と言った。
つまり簡単に言うと、『大人しくしないと落としますよ』的なニュアンスだろう。
その上、顔が笑っている分嘘とも本当とも判断しにくい。
この言葉に、恵はぴたりと大人しくなった。
その様子に凪は笑うと、とんとんと、できるだけゆっくりと階段を降りた。
『ああもう!どうか誰にも会いませんように!!』
恵はただひたすらそう祈っていた。





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