君に首ったけ





「好きなところよりも、嫌なところの方が多く言える自信があるわ」

 隣で不満気にそう零した少女は、ジェイドに目を向けることなくまっすぐ前を見つめたままだ。
主語も前後の話からの脈絡も何もなかったが、ジェイドには彼女の言わんとしていることが分かる。なにせ彼女の話の八割は自身の番、ジェイドの片割れ、つまりはフロイドのことなのだから。

「随分と気に入っている子がいるみたいね」

 モストロ・ラウンジへと繋がる廊下を眺めながら、彼女は表情もなく呟いた。

「ああ。今年異世界から来た監督生さんのことですね。小さくてびくびく怯える姿が小エビみたいなのでフロイドは小エビちゃんと」
「そうそう、その小エビちゃん」
「……男ですよ?」
「知ってるわ」

 一応確認してみたが、監督生が男なことは知っているらしい。つまりは男に対しても嫉妬しているということか。さすがに心が狭いんじゃないかと呆れた目で隣の彼女を見下ろせば、ジェイドの言いたいことを読み取った彼女が「違うわよ!」と異を唱えてきた。

 そもそも、なぜ自分が片割れの番と一緒にいるかと言えば、それもこれも今隣にいる彼女が原因だった。
 今日の前の日。つまりは昨日。ジェイドは久々に学校もラウンジのシフトもない休日を前に、嬉々としてリュックサックに山登り用の道具を詰め込みながら、明日のスケジューリングを頭の中で組み直している時だった。

「もしもし?ジェイド?」

 机の上に置いていたスマホが震えて、着信が来たことを知らせる。ディスプレイに表示された名前を見て出るか出まいか一瞬迷ったが、無視したほうが後から面倒なことになると渋々応答ボタンをタップした。すると口調からも随分と苛立っていることが感じ取れ、ああまたかとジェイドは心の中でため息を吐く。

「またですか?」
「そうよ。またよ」

 もはや取り繕うともせずに、肯定して見せた彼女にジェイドは今度こそはあ、とため息を吐いた。

「それで?僕の兄弟は今度は一体何をやらかしたんですか?」

 何度吐いたか分からない言葉を今日も繰り返し、ジェイドは明日の予定を諦めた。

「ちょっと。ジェイド聞いてるの?」

 ジェイドが昨日のことを思い返している間、どうやら彼女は何かを話していたらしい。どうせフロイドへの不満をつらつらと語っていたのだろうが、如何せん興味がないので全て耳を通り抜けていった。それを正直に言うと怒られることが分かっているのでジェイドはニッコリ笑って答える。

「ええ、もちろん。聞いていましたよ」
「はいウソ。どうせ興味ないから他のこと考えてたんでしょ」

 ジェイドの見え透いた嘘はあっさりバレて、「そんなんじゃ女の子にモテないわよ」と彼女は悪態をつく。生憎顔だけはいいのでモテなかったことはないが、それを彼女も知っているので単なる嫌味なのだろう。

「それで、僕の片割れはいったい何をやらかしたんですか?」

 昨日電話で聞いても「明日話す」と言って教えてくれなかった「原因」をもう一度尋ねる。明日話すと言うことは、会いにくるということで、ジェイドは面倒ながらも彼女が学園内に入れるよう手続きを行なった。夜も更けていて許諾されるかギリギリではあったが、副寮長権限で至急扱いとし、なんとか学園側から許諾を取ったわけである。
 そんなジェイドの苦労も露知らず、彼女はのほほんと首から「Visitor(来客)」と書かれたネックストラップをぶら下げている。ネックストラップと着飾った姿がちぐはぐで少しおかしく、ジェイドはくすりと笑った。

「私以外を背中に乗せたそうね?」

 海の中にあるモストロ・ラウンジは、オクタヴィネル寮からガラス張りの長い廊下を経た先にある。海中にありながらも太陽の光が降り注ぎ、水の揺らめきとあわせて神秘的な空間を作り出していた。その光を浴びながら、彼女は不満そうに言い放つ。

「おや、バレてしまいましたか」
「バレるも何もフロイドが自分から言ってきたのよ。『小エビちゃんと川下りしたんだぁ。楽しかったよ」って」
「僕もアズールとグリムくんを乗せましたけどね」
「ジェイドのことはどうでもいいわ」
「おや、寂しいことを仰るんですね」

 しくしくと態とらしく泣き真似をするジェイドに、彼女は呆れた顔をした後、「はいはい。それで?なんで彼は私以外を背中に乗せたのかしら?」と再度問いかけてきた。どうやら逃してくれる気はないらしい。ジェイドはすぐにいつもの笑顔に切り替えて、正直に当時のことを話す。

「色々と非常事態だったんです。あのままでは凍え死んでしまうところでしたから」
「ふーん。それでわざわざ小エビちゃんとやらを乗せてあげたのね?」

 納得した風で、実の所納得していない彼女はあと数歩で辿り着くモストロ・ラウンジの扉を睨みつけている。この先に自身の番と、番のお気に入りがいるわけだが、さながら彼女は浮気現場に乗り込んできた本妻とやらなのだろうか。実際はフロイドは浮気なんてしていないし、監督生は突然気分の変わるフロイドのことを恐れているし、そもそも彼女は浮気現場を見にきたわけでもないだろう。

「ほんと、好きなところよりも嫌なところの方が多く言える自信があるわ」

 先ほど聞いたばかりの言葉を彼女は繰り返し、それからジェイドを仰ぎ見た。

「すぐに飽きちゃうし、気分がノらないとデート中でも予定変更して連れ回されるし、自分は束縛嫌いなくせに私が他の男の子と話しただけで割り込んでくるし。そのくせ、私という番がいながら他の人間に現を抜かしているし」

 一息で喋りきった彼女は、ふう、と息をついて「だから仕返ししにきたのよ」と続けた。

「そのためにあなたにお願いしたんだから、今日はよろしくね?ジェイド」

 にんまりと笑って右手を宙に浮かせた彼女は、また前を向いてジェイドが動くのを待っている。女性側からエスコートを要求させるなんて、自分もまだまだだなと少し反省しながら、ジェイドは彼女の右手に手を添えた。二人でゆっくりと歩き出し、扉の前まで来るとドアマンを担当しているスタッフが丁寧な立ち振る舞いでドアを開ける。ドアが開き切る前に、ジェイドは真っ直ぐ前を見たまま彼女に聞こえるように口を開いた。

「毎日貴方に会いたいと愚痴を零して、貴方の好きそうなものを見つけたら一々僕とアズールに報告して、錬金術で出来た宝石を貴方にあげるんだと綺麗な鉱石を厳選して集めているんですよ」

 主語なんてなかったが、彼女であれば分かるだろう。だって彼女はフロイドの話にしか興味がない。他の話は先程のジェイドと同じように聞き流してしまうのだから。
扉が開いてラウンジの中が露わになる。忙しなく働くスタッフの中に自分たちの目当ての後ろ姿を見つけた。

「かわいいでしょう?僕の兄弟」

 ジェイドが隣の彼女を見下ろすと、彼女も顔ごとジェイドの方を向く。その瞳には怒りも照れも宿っていない。

「知ってるわ」

 そう一言呟いて、視線を前に戻す。ジェイドもそれに倣って前を向き、一緒に店内へと足を踏み入れた。入り口付近のスタッフが「いらっしゃいませ」と華麗な所作で頭を下げたのを尻目に、二人はゆっくりと中へ進んでいく。隣の彼女が歩みを止めないまま、ジェイドに聞こえるように言葉を紡いだ。

「私が他の雄に現を抜かさないように連絡する度に好きって言ってくれたり、自分で作った鉱石を使ったアクセサリーを送ってくれたり、私が寂しがらないように陸でのこと逐一教えてくれたり」

 あと、自分の兄弟でも私が一緒にいるのを嫌がったり。

「かわいいでしょ?私の番」

 そう言って笑った彼女は、ただの恋する女の子だった。結局自分は程のいいダシにされたわけだ。最初から彼女はフロイドの浮気現場を見にきたわけではない。なかなか会えない番の元を自ら訪れただけのこと。それにはジェイドの「肩書き」が必要だっただけで、別にフロイドに仕返ししにきたわけではないのだ。ジェイドは苦笑し、本当に手の掛かる二人だとため息を吐いた。

「あー!?」

 聞き慣れた声がした後、すぐに「なんで二人が一緒にいるわけぇ!?」と店内に大きな不満が響き渡る。ドスドスと音がしそうなほど大股で近づいてくる自身の片割れを見て、ジェイドはやれやれとやっと繋がれていた手を離した。




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