3




彼女が何やら言っていたが、それを無視してジェイドはまたカウントに目をやる。ようやく左の数字が「3」になって、このペースでは食堂のランチタイムが終わってしまう。彼女を急かすようにジェイドは声をかけた。

「さて、本当にはやくしないと昼休みが終わってしまうかもしれません。次にいきましょう」
「はぁい。次ジェイドどうぞ」
「では、貴女の幼少期はどんな子どもだったんですか?」
「そりゃもう、趣味は読書のお淑やかな女の子で、周りからは高嶺の花と……」
「カウントが動きませんね」
「……」
「『素直に』、お話されてはどうですか?」
「もう! なんで分かるのかな! 外でばっかり遊んでて毎日傷だらけでした!」

 投げやりに吐かれた言葉の後、右の数字が「3」へと変わる。ジェイドは可笑しくて少し声を漏らして笑った。

「ふふ、なぜ嘘をついたんですか」
「少しくらい見栄張らせてよ」
「少しどころじゃありませんでしたけどね」

 拗ねたように口を尖らせたのを見て、今度こそジェイドは声を出して笑った。なんともくだらない所で見栄を張るのが面白くて、我慢できなかった。

「ふ、あはは!」
「ちょっと、なんで笑うの」
「だって貴女、すぐバレるのに、ふっ、」
「笑いすぎじゃない?」

 ジェイドが口に手を当てて爆笑しているのを見て、隣の彼女は少し冷静になったらしい。「そんなに笑われるとは思わなかった」と言いながら、ジェイドのツボが収まるのを待っている。しばらくしてやっと笑いが収まってきたジェイドは、はーと息を吐きながら、また彼女へと目を向けた。

「すみません。次、貴女ですよね。どうぞ」
「ジェイドの子どもの頃はどんな子だったの?」
「僕ですか?」

 てっきりまたフロイドの話を聞かれるものだと思っていたので、ジェイドはきょとんと呆気に取られた。

「うん。どんな子だったの?」
「そう、ですね……沈没船や陸に近い浅瀬で、陸の物を集めるのが好きでした」
「陸の物? 例えばどんな?」
「布……陸で言う服や、砕けたガラス瓶、流木なんかもありましたね。それから船の中には本があって」
「本? 読めるの?」
「それほど時間が経っていない物であれば触ることはできますが、結局は海流でボロボロになって溶けてしまうので、じっくりと読んだことはありませんでしたね。沈没船であればサメが隠れている可能性もあって、ゆっくりしている暇はなかったので」
「サ、サメ……随分と危険な遊びだったんだね……」
「ええ。フロイドとはよく一緒に度胸試しのようなことをしていたので、その一環です。今はもうしませんけど」
「あー、度胸試しのスリルとかフロイド君好きそう」
「今でも競争事は好きみたいですけどね。さて、次の質問にいきましょうか」
「そうだね。どうぞ?」
「それでは……」

 ジェイドは、次は何を聞こうかとしばし考える。こうやって改めて質問し合う機会を得ると、案外何を聞いたらいいのか分からない。難しくなくて、答えやすい質問。それでいて、彼女を知ることのできる質問。

「……フロイドの、どこがお好きなんですか」

 本当はこんなこと聞きたくないのだけれど。いくら彼女がフロイドに対して恋愛感情を抱いていないと主張しても、ジェイドから見れば彼女がフロイドを好きな気持ちと、ジェイドが彼女を好きな気持ちは何の違いもないように感じる。だからどうしても確認しておきたかった。

 彼女がフロイドのことを知りたい気持ちと同じように、ジェイドも彼女のことを知りたかった。今までの質問は別に面倒だから彼女の真似をしていたわけではない。ジェイドだって、同じように好きだから彼女のことを知りたいと思ったのだ。

 どうして彼女がフロイドを好きなのか、自分とはどう違うのか。ジェイドにはどうしても知る必要があった。だから聞きたくないと思いながらも、ジェイドは彼女に問いかける。フロイドのどこが好きなのかと。

「え!? フロイド君の好きなところ!? 言っていいの!? 全部かわいくて好きなんだけどね!? でもまずは顔かな! 普段は口も目も下にさがってるのに、楽しいこととか面白いことがあったらすぐに目元がゆるゆるになるの! かわいくない!? あとね、初めて会った時は身長が高いし顔も無表情だったから怖い人なのかなって思ってたんだけど声がね、すんごいかわいいの! いや低いんだよ? 低いんだけど、ゆるーく喋るでしょ!? でもテンション上がってる時は早口になって声色もスキップするみたいに一音一音跳ねてるんだよね。それがもうかわいくて……ウッ好き……本当に推し……ギャップがありすぎる……生まれてきてくれてありがとう……あとね、」
「あの、」
「なに?」

 ジェイドの予想を遥かに超える勢いで、目をキラキラとさせながらフロイドへの愛を語り出した彼女に、ジェイドは若干慄いた。いつもフロイドが好きだ好きだと言ってはいるが、好きなところを話して良いと許しが出るとこんなにも暴走するのか。

 しかしながら、ジェイドが聞きたかったのはこういうことではない気がする。既にカウント自体はされているが、ジェイドはそれを気に留めることはせず、質問を重ねた。

「貴女がフロイドを好きなことは知っています。でもそれを、貴女は恋愛感情ではないと言っていますよね。どうしてそう思うのですか?」

 ジェイドにとっては思い切った問いかけだった。いつも「フロイド君は推しだからそういうのじゃない」と簡潔に言い切ってしまう彼女から、ジェイドは今までその先を聞き出せなかった。もし彼女が「フロイドのことがそういう意味で好きなのだ」と気づいてしまったら、もう後戻りが出来ないから。でも、いい加減にハッキリさせないと、ジェイドは一生フロイドに勝てない気がした。

「うーん、なんていうか……フロイド君には健やかでいてほしいって気持ちが一番で」
「すこやか」
「そう。別に付き合いたいとかではないし……でもフロイド君の顔を見たら今日も一日頑張ろうって思えるし、好き! とは思うんだよね。フロイド君に恋人ができても別に良……いわけではないかもしれないけど」
「良くはないんですか」
「だって推しに恋人……いや私は部外者だから何も言えないけどね!? でも推しの熱愛報道は一大事だし……」
「熱愛報道」
「もちろん推しには幸せになってもらいたいし、将来素敵な家庭を築いてもらって、出来ればその様子をたまにでいいからマジカメで見せて欲しいなとは思うんだけど、それが自分だったら……とは思わないんだよね」
「なるほど……?」
「まあ兎に角、私はフロイド君に対して恋愛感情はないよ。兄弟からしたら気になる気持ちも分かるけど」
「そういうわけでは……」
「あっでもフロイド君に好きって言われたら絶対ときめく……それ映像にして売って欲しい……ねえモストロ・ラウンジでフロイド君のチェキとか売らないの!?」
「ときめ……予定はありません」
「やってみない!? あのかわいさは絶対商売になるよ!? フロイド君のかわいさを利用しないんてアズール君、正気!?」
「ここは男子校なので需要がないんです」
「あるじゃんここに!!」
「貴女みたいな人が多くなったらフロイドが危ないので」
「くっ……!確かにフロイド君のかわいさなら変な人が寄ってきてもおかしくない……そうしたらフロイド君に危険が……うう……諦めるしかないのか……」

 項垂れてしまった隣の人物を尻目に、ジェイドは扉の上に目をやる。右側の数字は、先程ジェイドが確認してからまた一つ数字を刻んで「5」を指し示している。どうやらそれぞれ別の質問だと認識されたらしい。数が進んでいるということは、彼女が嘘をついていないということで、つまりは彼女の言う通り「フロイドには恋愛感情を抱いていない」ということになる。それは喜ばしいはずなのに、どうにもジェイドの心は晴れない。

 フロイドにもし好きだと言われたら彼女はときめいてしまう。じゃあ、もし自分が彼女に好きだと言ったら、少しは自分のことを意識してくれるのだろうか。フロイド以上に好きだと、思ってくれる日がくるのだろうか。いくら考えても彼女がフロイドよりジェイドを見てくれる想像がつかなくて、フロイドに勝てる日は来るのだろうかと思う。

「ジェイド? 大丈夫?」

 何も言わないジェイドを不思議に思ったのか、先ほどまで落ち込んでいた彼女は目を瞬かせながら問いかけてくる。

「……はい。問題ありません」
「そう? お腹空きすぎて電池が切れちゃったのかと思った」
「まあ、それは否定できませんが」
「マジ? やばいじゃん。早くここから出よう。私にジェイドを担げなんて無理言わないでね」
「ふふ。さすがに非力な貴女にそんなこと言いません」
「そりゃジェイド達に比べたらそうだけどさあ……」
「さて。先ほどの質問が二回分でカウントされたので、僕があと五回、貴女が六回質問しなければなりませんね」
「あっ本当だ。じゃあ私も二回分聞こうかな」
「どうぞ」
「んーと、じゃあ……ジェイドはフロイド君のどこが好きなの?」
「フロイドの、好きなところ」

 フロイドの好きな所なんて山ほどある。でなければずっと一緒になんていない。でも、改めて言葉にするとなると難しい。

「そう、ですね。まずフロイドは、僕が絶対に選ばないような選択をします。利益なんて度外視で、それなのに最後には彼にとっての利をちゃんと得ています。僕にはできない芸当です」

 一つひとつ思い出しながらジェイドは言葉を紡いだ。

「それから、フロイドはあれでいて真面目です。目的を達成するためならば労力は惜しみません。いえ、彼の中では労力は労力ではなく……そうですね……ただの『過程』でしかない。必要ならばやる、不必要ならば絶対にやらない。明確に線引きされています。周りから見れば無意味な選択も、フロイドにとっては価値のあるものです。だからこそ彼は天才だと呼ばれるのでしょうね」

 ジェイドにはそれが面白くて仕方がなかった。大抵のことは難なくこなすが、飽きてしまえば中途半端でも止める。しかし、自分が興味を持ったものには自分が満足するまでやる。そうやって生きてきたフロイドが、今まで読みを外したことはない。他人から見れば一見無駄なことでも、彼の中ではやり遂げるまでのプロセスが明確に繋がっている。

「僕と同じ顔、同じ遺伝子、同じ体をしていながらフロイドの思考は僕とは全く違います。好きなものも嫌いなものも、まるっきり違います。でも、お互いの考えていることは分かるんです。想像できないのに理解できる。それが不思議でたまりません。僕達は、そんなお互いが好きなのです」

 天才。飽き性。愉快犯。周りからどう評価されようとフロイドの在り方は変わらない。そして、それはジェイドも同じだ。いくら周りから理解されなかろうと、ジェイドにとってはフロイドが分かってくれさえしたらそれで良かった。二人は、お互いにとっての唯一無二だった。だからジェイドはフロイドを嫌いになれないし、なりたいとも思わない。いくら彼が自分にとっての恋敵なのだとしても、それ以上にフロイドのことが好きだと言える。だからこそ困っているのだが。

 ジェイドが話し終えるのをじっと待っていた彼女は、少し経ってからくふくふと笑う。

「ジェイドも私に負けず劣らず、フロイド君のこと好きだよね」
「……大切な兄弟ですから」
「二人ほどお互いのこと大切にしてる兄弟、他に見たことないもん」
「そうでしょうか」
「そうです」

 彼女のフロイドへの愛はジェイドから見ても異常だと思うので、そんな彼女に「同じだ」と言われるのは些か不満なのだが、それを否定するのもなんだか違う気がして、ジェイドは何も言わないでおいた。

 ◇ ◇ ◇

 お互いがそれぞれ順番に質問をし合い、ようやくお互いのカウントが「9」になった頃には、この部屋に閉じ込められてから一時間近くが経とうとしていた。腕時計を確認しながら、外と同じ時間軸だった場合、食堂のランチタイムは絶望的だとジェイドは内心肩を落とす。

「これ楽しいけど結構時間かかったね……」
「そうですね。出る頃には次の授業が始まっていそうです」
「うぇ私達、次の授業飛行術なんだけど
「もう一時間ここにいましょう」
「逃げたってバルカス先生のことだから補習あるよ」
「はあ……」

 お昼も逃し、多少疲れているところに追い打ちをかけるように、ここから出られたとしてもすぐに授業が始まると知った彼女は、嫌そうな顔で項垂れた。次の授業が飛行術だということをすっかり忘れていたジェイドも、同じように項垂れる。文字通り妖精のイタズラに踊らされている二人は、これが終わったら早々にパックを追い出すように学園長に抗議しようと誓った。

「まあ次で最後だし、さっさと終わらせようか」
「そうですね。それで、最後の質問は何になさいますか?」
「フロイド君の誕生日は何をあげたらいいと思う?」
「……ご自分で考えたらどうですか」
「推しに迷惑のかからないもの、現金しか思いつかない」
「……そうですか」

 結局、最後までフロイドのことなのかとジェイドは苦笑した。ジェイドについて聞かれたのはあの一回のみだ。それでも全てフロイドについて聞かれると思っていたので、まだマシな方なのだろう。やっぱり彼女の頭の中はフロイドでいっぱいで、そこに入り込める余地はあるのだろうかとジェイドは思う。それでも今更諦めるつもりなんてないのだが。

「そうですね。フロイドは物の価値よりもそれが面白いかどうかで判断するので、お金をかければいいというわけでもありません」
「だよね! 面白いもので……でも形に残らない消耗品……」
「? なぜ消耗品限定なんですか?」
「推しに渡すものは消費できるものじゃないと迷惑になるんだよ」
「フロイドはアイドルでも何でもないのですが……」
「アイドルのフロイド君……!?」

 話が脱線しそうな気配を察知し、ジェイドは畳み掛けるように言葉を続けた。

「消耗品でフロイドが喜びそうな物といえば、お菓子ですかね」
「ペンラ何色……? お菓子かあ。でも普通のお菓子だと面白くないよね?」
「そうですね。目新しい何かが必要です」
「目新しい……市販のお菓子じゃ無理そうだな……作るか……」
「貴女、料理できるんですか?」
「出来ないからトレイ先輩にお願いする。お金は払う」
「そうですか……」

 なんとも彼女らしい回答に「まあ頑張ってください」と言ってジェイドは笑った。

「ところで、僕も同じ日が誕生日なんですが」
「知ってるよ」
「僕のプレゼントは悩んでくれないんですか?」
「だってジェイドへのプレゼントはもう決まってるし」
「え」

 まさか数ヶ月は先の誕生日に貰えるプレゼントがもう決まっているだなんて思わなかったので、ジェイドはきょとり、と目を瞬かせた。

「何をいただけるんですか?」
「誕生日まで秘密でーす。今言ったら面白くないでしょ?」
「それはそうですが……」

 いつもであれば「それもそうですね。楽しみにしています」と笑顔で返せるのに、なんだか今日は胸が擽ったくて、どうしても答えが気になってしまう。フロイドよりも先に選んでもらえたことが嬉しくて、何をプレゼントしてくれるのかはやく知りたくて、でもきっと彼女は教えてくれない。こういう時の彼女は口が堅いのをジェイドも知っているので深追いはしないが、やっぱり知りたくてソワソワしてしまう。そんなジェイドを見て、彼女はまるで幼な子を見るような目で笑った。

「そんなに楽しみ?」
「はい。待ち切れそうにありません」
「そんなこと言っても教えないからね。誕生日まで首を長くして待つがいい」

 ジェイドが眉を下げてみせても、彼女はやっぱり喋る気はないらしい。ニコニコと楽しそうに笑っている。ジェイドはやはり駄目かと早々に見切りをつけ、仕方なく十一月まで待つことにする。彼女が自信満々に言うくらいなのだから、きっと面白いものなのだろう。と言っても、彼女から貰える物であれば何でも嬉しいので、結局ジェイドは何をプレゼントされても、たとえ購買部で買ったキャンディ一個であろうと喜ぶのだろう。それが自分でも優に想像できる。

「さて、いよいよ最後の質問だよ。何にする?」

 ジェイドの方のカウントが「10」になったのを確認して、彼女はジェイドに問いかけた。最後の質問はジェイドからで、この質問に彼女が答えればいよいよこの部屋から出られることとなる。結局どうやって嘘と真を見分けているのか、この部屋にかけられた密室の魔法はどういったものなのか、他にも気になることはあるがそのどれをも解明することは出来なかった。

 パックは下級の妖精ではあるが、随分と手の込んだ魔法を用意してくれたらしい。さすが「イタズラ好き」として有名なだけはある。果たしてこのイタズラから彼らが得るものはあるのか甚だ疑問だが、何百年も飽きることなく今現在までパックがイタズラ好きとして名を馳せているということは、そういうことなのだろう。

 ジェイドは考え込むポーズを取りながら、しばし考える。さて、最後は何を聞こうかと。

 彼女と同じように、彼女の誕生日に渡すプレゼントの候補を聞いてもいいがそれもなんだか面白くない。せっかく嘘か真か判断できる部屋の中にいるのだから、普段は聞けないことを聞いてみたかった。悩んでいた素振りをジェイドはすぐに止めて、彼女に顔を向ける。なるべく笑顔で、心の中なんて見せないで。それは一番、ジェイドが得意なことだった。

「フロイドと僕、どちらの方が好きですか?」
「え……フロイド君……?」

 分かりきっていた答えを彼女は戸惑いながらも口にした。今更それに傷つかないわけではないが、それでも諦めるつもりにはなれない。それに即答されなかっただけマシだろう。自分の気持ちが分かっただけでも良いか、と思いながらジェイドは扉の上のカウントに目を向ける。

「え、」
「あれ……?」

 二人して目を点にして、暫しの間固まったまま動けなかった。右側に配置された、彼女の回答数を表すカウントは、「9」のまま変化がない。この数字が意味することは、彼女の回答は「正しくない」ということで。即ち。要するに。つまりは。

 頭の中で「まさか」をたくさん並べてみたけれど、どうやったって行き着く結果は同じで、ジェイドは思わず隣の彼女に目を向ける。未だ驚いたままカウントを見つめている彼女も、ジェイドの視線に気がついたのだろう。ゆっくりとジェイドと顔を合わせ、二人の視線が合う。それから。

「……っ!」
「え、」

 彼女の顔が今まで見たことがないくらい赤く染まったのを、ジェイドは目の前で見てしまった。なんだそれは、どういうことだ。自分も頬が熱くなってくるのを感じて、ジェイドは柄にもなく狼狽えた。

「あの、」
「っ、」

 ジェイドは恐る恐る彼女の左手に触れる。どれくらいなら力を入れても大丈夫なのか、嫌がられてはいないのか、そんなことを気にする余裕もなく、ぎゅっと手を握る。ジェイドはただ必死に彼女に問いかけることしか出来ない。

「これは、どういうことですか」
「どう、って」
「フロイドと僕、どちらが好きなんですか」
「だ、だからフロイド君だって」
「カウントが動きません」
「……」
「『素直に』答えなければ」

 彼女はジェイドから目を背けて、ウロウロと視線を彷徨わせている。そんなこと許さないとでも言うかのように、ジェイドはもう一度ぎゅっと手を握った。

 少しくらいならば期待しても良いのだろうか。「フロイドの方が好き」という答えが嘘ならば、その意味は。

「お願い、答えて」

 ジェイドの声は、自分で思っていたよりも小さかった。喉が渇いて仕方がない。頬が熱い。心臓が痛い。でも、そんなもの気にしている余裕はない。今彼女の口から本当の答えを聞きたい。

 言葉を発してからの数秒が、数分にも感じられた。目の前の彼女の口が動くのがスローモーションに見える。彼女が顔を上げて、口を開いて、それから。

「わ、分かんない!」

 彼女の口から飛び出したのは、肯定でも否定でもなかった。どちらでもない、中間の言葉だ。

 彼女が叫んだ瞬間に、扉の方からカチリと音がする。二人はその音に釣られて扉の方に目を向け、先ほどまで隙間さえなかった両開きの白い扉が、少しだけ開いているのが見える。ジェイドが慌てて扉の上のカウントに目をやると、左右どちらの数字も「10」を表示していた。この部屋から出る条件をクリアしたことで扉の鍵が解除されたらしい。ジェイドはそれに気を取られ、一瞬の隙ができてしまった。

「!?」

 ジェイドが思わず力を抜いた瞬間、彼女はジェイドが握っていた手をするりと抜き取り、開いた扉の方に駆け出していった。捕まえようと手を伸ばすが、ワンテンポ遅れた動作ではどうすることも出来ず、ジェイドの腕が空を切った。彼女は扉の奥へと走り去り、そのまま何処かへ行ってしまった。ジェイドはそれを追いかけなければと思いつつも、そこから動けないでいる。彼女を追わなければならないことは分かるのに、未だ信じられない気持ちでジェイドはこの白い部屋で立ちつくす。

 ずっとチャンスはないんだと思っていた。彼女は自分に見向きもしないし、フロイドに対して恋愛感情はないとは言っていたけれど、それでもフロイドに入れ込んでいるのは誰が見ても明白で、彼女の言葉を信じたくても不安になってしまう自分がいた。ジェイドがアピールしてみても彼女には伝わらず、いつもフロイドばかりを見つめていた。

 こんな恋止めてしまいたかった。けれど、彼女を好きなことはどうしても止められなかった。

 結局ジェイドはこの気持ちを受け入れて、自分に興味のないあの人間をどうにか振り返させようと奮闘した。結果は芳しくなかったが、一度受け入れたこの恋を、もう止めようとは思えなかった。

「分からない……」

 ジェイドは、彼女が口にした答えをそっと呟く。更々諦めるつもりなんてなかったが、こんな答えを貰ってしまえばもう後戻りは出来ない。彼女の「フロイド君の方が好き」という言葉が嘘で、「分からない」が本当の答えになるならば、彼女の中ではジェイドのことをフロイドと同じくらい好きでいてくれているということなのだろうか。

 もしくは。

 少なくともまだチャンスはあると、そう思っても良いのだろうか。ずっと勝てないと思っていたフロイドと同じ土俵に立てたと思って良いんだろうか。

 ウツボは狩りをする生き物だ。追いかけるのも、時間をかけてゆっくりと追い詰めるのもジェイドの得意とすることだ。逃すつもりなんて更々ない。

「ふふ、」

 ジェイドは白に囲まれたこの部屋で一人笑い声を漏らした。誰が聞いても上機嫌なその声は、しかしジェイドしか聞いていない。

 そういえば先ほどもまた手袋をつけたまま彼女に触れてしまった。惜しいことをしたと思いながら、ジェイドはもう一度「ふふふ」と笑って、今度こそゆっくりと扉に向かって歩き出す。ジェイドが部屋を出た瞬間、白い扉は跡形もなく消え去り、ジェイドと彼女があの部屋に閉じ込められる前、眩い光を浴びた場所へと戻ってきていた。どうやら役割を果たすと消えてなくなるらしい。これでは調べるのも一苦労だなと思いながら、ジェイドは再び歩き始めた。

 まずは、この部屋に閉じ込められていたことを先生に報告して、それから食堂か購買部に向かおう。お昼を食べ損ねたと言えば授業一回分くらいは多めに見てくれるだろう。この部屋の仕組みをアズールにも相談したら、彼ならばこの部屋の秘密を解こうとするかもしれない。なんならわざと妖精のイタズラに遭遇すべく、妖精の出没場所を調べ始めるかもしれない。ならば被害にあった生徒達に詳しく話を聞かなければ。ある程度ならば傾向が掴めるかもしれない。そういえば、自分と彼女が被害に遭った際そばにいた生徒はどうなったのだろう。彼についても調べなければ。

「ふふ……はあ、お腹が空きました」

 授業中なのか誰もいない廊下を歩きながら、ジェイドは一人呟く。頭の中で一つずつ算段を立て、きっと寮か購買部か、それとも図書館かにでも隠れているのだろう彼女を想像してまた笑う。楽しくて楽しくて仕方がない。いつも以上に空腹を訴える自分の体が彼女を求めているのが分かって、やっぱり諦めなくて良かったとジェイドは思った。これからだ。これからなのだ。やっとスタート地点に立てたのだから、今はまだ焦る時ではない。ゆっくりと追い詰めて、油断したところをがぶり。

「素直になっていただかないと」

 逃がしてなんかやるものか。狩りはまだ始まったばかりなのだから。


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