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 目を覚ますとそこは、白磁色の世界だった。

「これは……」

 ゆっくりと瞼を開いてまだ働かない頭で前後の記憶を辿ると、最後に見た風景があの白い光だったことを思い出して、ジェイドは慌てて身を起こす。警戒するように周りを見渡すと、どこもかしこも真っ白。家具なんて一つもなく、教室ほどの広さがある部屋にジェイドは居た。

 自分の隣には彼女が同じように寝転がっていて、ジェイドは一瞬ヒヤリとしたが、ゆっくりと上下する胸を見て、彼女が眠っているだけだと分かり安堵した。とりあえず彼女が目覚めるまではここから動けないだろうし、そもそも一面を白に囲まれたこの空間は、ジェイドの予想が当たっているなら「妖精のイタズラ部屋」だ。まさか話を聞いた当日に自分が巻き込まれることになるとは、随分と都合が良い。パックごときの妖精が命に関わるような難題を突き付けてこないことは分かっているので、ジェイドは現在の状況を少しばかり楽しんでいた。

 さて、まずはどこかに記されているであろう課題を見つけることが一番だ。彼女が眠っている間にさっさと見つけて、あまりにも簡単すぎる課題だったら隠してしまうのも良いかもしれない。そもそもこの部屋と外、つまりは自分達がいた世界との時間の進み方が同じかさえ分からないのだから、それを計ってみるのもありだろう。そういえば気を失う前、彼女とぶつかりそうになった生徒がいたが、あの人は目の前で突然消えたジェイド達を認識しているのだろうか。それとも前後の記憶がないだとか、はたまた彼も別の部屋に飛ばされてしまったのか。ここを出てからも調べることはたくさんありそうだ。

 ジェイドはこれからのことを考えてワクワクしながらも辺りをぐるりと見渡し、この部屋を改めて観察する。広さは学園内にある教室と然して変わらない。ただし、出入り口と思われる扉は一か所のみ。これまた真っ白な両開きの扉には、真ん中にそれぞれ取っ手がついている。鍵穴らしきものは見当たらないが、果たして本当に開かないのだろうか? ジェイドはそれが気になって扉の元まで長い足を運ぶ。

 近くで見てもやっぱり鍵穴は見つからなくて、ならば本当に開かないのかと取っ手に手をかけて押したり引いたりしてみたが、そもそも扉は一ミリたりとも動く気配がなかった。念のためスライド式を疑ってみたが結果は同じで、扉はただそこに佇んでいるだけだった。なるほど、たしかに言葉通り「出られない部屋」だなとジェイドは思いながら、もう一度扉を観察する。鍵穴がないとなれば鍵開け魔法も使えないし、やはり課題をクリアするしかないのだろうか。

 そういえば魔法は使えるのかとマジカルペンを手に持ってみたが、うんともすんとも言わない。どうやら魔法は使えないらしい。ならばこの部屋の課題は、と扉の辺りをぐるりと見まわして、ジェイドは扉の上部に何やら「0」と記されている電光掲示板が二つ並んでいるのを発見した。

「ふむ」

 ジェイドは口元に手を当てて思案する。最初が0ということは、これ以上減ることはないだろう。つまりはタイムリミットがあるものではない。何かを数えるのか、はたまた点数をつけられるのか。課題を見つけられないと真相は分からないが、何かを客観的に計測されるだろうことは読み取れた。

「おや?」

 扉の上の数字へと目を向けたことで、ジェイドは扉の上部、電光掲示板の下にあるドア枠に何か小さな紙が置かれていることに気がついた。腕を伸ばせば簡単に手が届いて、手が触れるとカサ、と音を立てるそれをジェイドは掴み取る。四つ折りで折られた紙は小さく、開いてもジェイドの掌の半分程しかなさそうだ。とりあえず開いてみようと四つ折りを丁寧に開き、ジェイドはメモを確認する。

「お互い十個の質問に素直に答えないと出られない部屋……?」

 なるほど、と心の中で呟きながらメモに落としていた視線を、もう一度「0」と書かれた電光掲示板に戻す。これらはジェイドの予想通りカウントとして機能しているのだろう。

 他に何か、と思い扉を観察してみたが他に気になるような箇所は見当たらない。この部屋には扉以外に目立ったものがないし、ジェイドはこれ以上の散策は無駄かと思い、未だに部屋の真ん中で眠っている少女に近づいた。起きる気配はないかとしゃがんで顔を覗き込み、穏やかな顔でゆっくりと息をしている彼女の頬に、ジェイドは無意識に手を伸ばした。手袋をはめた自分の手が彼女に触れるのをじっと見ながら、もしこのメモを隠して課題が分からないと言ったら、彼女はどんな顔をするんだろうと考えた。どうせ、「フロイド君に会えなくなるじゃん!?」と騒ぐのだろう。そうして落ち込んで、絶望して、泣いて。その全てが自分ではなくフロイドが起因であることが気に入らない。

 自分の片割れを羨ましく思う日が来るなど夢にも思わなかった。彼女はこれは恋ではなくただ「推し」に対する愛が爆発しただけだという。愛が爆発ってなんだ、それは恋とどう違うんだ。そもそも爆発するほど好きならば、それを恋愛の好きだと思わない理屈はどこにあるんだ。

 彼女がフロイドに向ける感情と、自分が彼女に向ける感情のどこに違いがあるのか、ジェイドにはさっぱり分からない。毎日好きだと背中を追いかけるくせして、フロイドと番いたいわけじゃないなんて、彼女の中の「恋」は一体どういう形をしているのだろう。

 ジェイドが目の前の少女を見下ろしながら悶々としていると、彼女の瞼がゆっくりと持ち上がるのが目に入る。ジェイドは、あ、と思いながら慌てて頬に触れたままだった手を引っ込めた。まだ眠たげな瞳のまま、ぼーっと宙を見つめ、やっとジェイドを認識したらしい彼女は、寝起き特有の掠れた声で「じぇいど……?」と目の前の人物の名前を呼ぶ。ジェイドはそれがなんだか気恥ずかしくて、さっき感じていた不快感が一気に消え去ってしまったような気がする。これだから嫌なのだと心の中で呟いて、それでもジェイドはいつも通り口元と目元に弧を描いて笑みを浮かべる。

「おはようございます」
「ん……あれ、ここどこ……?」
「イタズラ好きの妖精に閉じ込められたようです」
「は!?」
「あの時の白い光は、朝に先生が言っていた妖精だったみたいです。僕も見事に巻き込まれてしまいました」
「うわ〜なんかごめん。と言いたいところだけど楽しそうだね」
「色々気になっていましたので」

 彼女は「ふーん」と相槌を打ったあと、きょろきょろと周りを見渡し、起き上がってこの部屋を調べるようにウロウロとしだした。彼女の注意が自分から逸れたことで、ジェイドはそっと自分の手へと視線を落とす。先ほど手袋越しに彼女に触れた感触を思い出して、ジェイドは手袋を取ってから触れれば良かったと少し後悔した。こんなときフロイドだったら「もう一回」だなんて言って彼女に手を伸ばすのだろうが、生憎ジェイドにそんな勇気はない。こういう所なのだろうな、と頭で理解しながら、でもやっぱり納得できない気持ちもある。はあ、と息を吐いてジェイドは立ち上がった。

「本当に真っ白なんだね、この部屋」
「ええ。あの扉と電光掲示板以外に気になるものはありませんでした」
「魔法は?」
「使えません」
「ありゃ。じゃあやっぱり課題をクリアするしかないのか」
「そのようですね」
「それで? 課題は何?」
「さあ?」
「惚けてないで早く言って。どうせ私が寝てる間に色々探ってたんでしょ?」
「僕も怖くて怯えていたものでなんとも」
「そんな性格じゃないでしょ。それにジェイドが『気になること』を放っておくと思えないし」

 まあ、確かにその通りなのだが。せっかくなら外とこちらで時間の流れが違うのか、外からこの部屋は認識可能なのか、認識できるなら外からこの部屋の扉を開けることは不可能なのかなど、色々試したいことはあったのだが。彼女にバレてしまっているのでは仕方がない。

 ジェイドは渋々、ポケット中に仕舞っておいた紙切れを取り出して手渡した。

「えーと、『お互い十個の質問に素直に答えないと出られない部屋』……?」

 彼女はジェイドから受け取った紙を見ると、文字を追うように目を滑らせたあと、紙を見つけた時のジェイドと同じような反応をする。

「どういうこと?」
「言葉通りの意味だと思いますよ。お互い質問には正直に答えなければならない」
「質問って言ってもどこにあるわけ?」
「……そういえばそうですね」

 彼女の言う通り、紙に「質問」と書かれている割には、この部屋に他に何か書かれているものが見当たるわけではなかった。この部屋に存在しているのは自分達と扉、電光掲示板、それからこの紙切れのみ。彼女も扉の上の数字の意味が分かったのか、それを見上げながら扉の方へと近づいていった。

「うーん。向こうからの質問がないってことは、私達二人がお互いに質問しあえってこと?」
「でしょうか。試してみましょう」
「オッケー。えーとじゃあ……好きな食べ物は?」
「タコのカルパッチョです」
「あ」

 ジェイドが彼女の質問に答えた瞬間、左の「0」と書かれた方が「1」の表示に変わった。どうやら彼女の見解は合っているらしい。

「こんな簡単な質問でも良いとなると、ここから出るのは簡単そうですね」
「だねー。でも素直に、ってことは嘘は駄目なのかな」
「それも試してみましょう。貴女の好きな食べ物は何ですか?」
「ユニコーンの煮物」
「……変わりませんね」

 明らかに嘘だと分かる答えを口にした彼女だったが、右側に設置された電光掲示板の数字に変化はない。どうやら本当に嘘ではカウントされないらしい。

「今度はちゃんと答えてみてください。貴女の好きな食べ物は?」
「フロイド君の作った物全て」
「……はあ」

 分かりきった答えだったが、ジェイドは思わず呆れからため息をついてしまった。相変わらずブレないな、と思ったのである。彼女の言う通り、彼女の好きな食べ物はフロイドの作った料理全てだ。恐らくフロイドが作ったというだけで彼女の中ではどれもこれもが最高傑作で、優劣をつけられないのだろう。

 実際に右側の「0」を指し示していた電光掲示板は「1」の表示に変化し、やはりこの部屋では何らかの仕組みで、自分達の回答が嘘か真かを判別しているらしい。一体どんな仕組みなのか。いかにもアズールが飛びつきそうな便利な構造をしているが、これが解読できたら警察は苦労しないだろうなとジェイドは考えた。そもそも魔法が使えない今は、どうやったって解析は出来ない。

 お互いのカウントがそれぞれ「1」になったことで、紙切れの指示通りだと、あと九個ずつ質問をし合えばこの部屋から出られることになる。それも簡単すぎてつまらないが、閉じ込められたのが昼食を摂る前ということもあって、そろそろお腹も空いてきたし仕方がない。さっさとここから出てしまおうとジェイドは隣の彼女に目を向けた。

「どうしたんですか?」

 そこには、顔を両手で覆って俯いたままプルプルと小刻みに震えている彼女がいた。一体何事かとジェイドが声をかけると、彼女は体勢を崩さぬまま言う。

「どうしてフロイド君と一緒に閉じ込められなかったんだ……! そうしたらあんなことも、こんなことも合法的に聞けたのに……っ!」
「一体何を聞くつもりだったんですか」

 心の底から悔しいとでも言うように漏らされた声に、ジェイドはまた呆れながら彼女を見つめた。普段からフロイドの機嫌がいい時は何かしら質問をして情報を仕入れているようだが、あれでも我慢していたらしい。彼女の言う「あんなことやそんなこと」が一体どこまでのラインを基準にしているのか知らないが、碌でもないことを聞こうとしていることだけは分かった。

 まだ悔しがっている彼女を無視して、ジェイドはまた降下してしまった気持ちから目を逸らすように「さっさとここから出ましょうか」と話しかける。彼女も「そうだね……」となんとか返事をして扉の上のカウントを視界に収めた。

『どうしてフロイド君と一緒に閉じ込められなかったんだ……!』

 彼女がそんなことを思うのは当たり前で、ジェイドもその言葉に傷つかないわけではなかった。彼女の言う「好き」が色恋を指すわけではないことを彼女の口から聞いても、やっぱり普段の熱烈な態度から、ジェイドはどうにも納得できないでいる。ならば彼女がそれを「恋」だと思う前に自分のものにしてしまおうと。それも今のところ成果はないが、今更こんな言葉ひとつで落ち込んでいる暇はない。ジェイドは本心なんておくびにも出さず、にこやかな笑みを顔に貼り付けて問いかける。

「お互いあと九個ずつ質問する必要があるみたいですね。どちらから始めますか?」
「はい! 私から!」
「どうぞ」

 どうやらやる気を盛り返したらしい彼女は、意気揚々と手を挙げた。

「フロイド君って部屋にいる時は何してるの?」
「……」

 前言撤回。今度こそジェイドは顔から笑みを失って、ただただ無表情で彼女を見下ろした。

「貴女……こんな時まで……恥ずかしくないんですか……?」
「そんなもの気にしている暇はない。推しのことを少しでも知りたい。オタクはそういう生き物」
「本人に直接聞けばいいじゃないですか」
「そんなの無理だよ! 本人に気持ち悪がられたら死ぬ」
「人伝いに聞くのも充分気持ち悪いので大丈夫です」

 このことフロイド君には言わないでね? 絶対だからね? と必死でジェイドに問いかけている彼女は、それでも先ほどの質問を撤回するつもりはないらしい。諦めるつもりも誰かに譲る気もないが、この人をどうやって落とせばいいんだろう。ジェイドは若干滅入りながらも渋々答えてやる。

「雑誌やマジカメで気になる靴をチェックしたり、購買部で購入したお菓子を食べたり……好きに過ごしていますよ。ああ……この前は清流のあるところでしか育たない水中花を、水槽の中で水の流れさえ作ってやれば人口での育成は可能なのかを考えていましたね。結局途中で飽きて、枯らしてしまいましたが」
「さすがフロイド君……途中で結果が分かっちゃったんだろうなあ」
「そうでしょうね。フロイドの読み通り、水流さえ作ってやれば人口での栽培は可能なようです。とは言っても、四六時中水流を維持しなければならないので、仮に水中花を栽培できたとしても、育てるために使用した魔力消費と釣り合いが取れません」
「その辺の川でも育つもんねえ」

 彼女の言葉通り、今回フロイドが目を付けた水中花は特別貴重なものではない。寧ろ、川や水路のある地域であればどこでも育ち繁殖力も強いため、一部の地域では雑草と同じ扱いをされている。

 ただし、この水中花には沈静作用があり、古くから回復薬の原料として使用されてきた経緯がある。魔法薬学の観点から見れば、安価で大量に手に入るので初歩的な回復薬の精製には欠かせないアイテムだ。まあ今のところ絶滅するような品種でもないため、フロイドの仮説は日の目を浴びることはなさそうだ。

 ジェイドが再びカウントに目を向けると、左の数字は「2」に変化していた。どうやら他者に対する質問でも、答えさえすればカウントに反映されるらしい。ジェイドは口元に手を当ててふむ、と考える。必要なのは「質問」と、それに答えたという「結果」のみ。質問の内容自体は重要ではないということか。

「じゃあ次ジェイドね」

 どうぞ、とでも言うように彼女はこちらを覗き込んでくる。

「あなたは普段部屋ではどう過ごすんですか?」
「えー私の真似じゃん」
「気になったので」

 彼女は、ジェイドが面倒だから同じ質問をしたと思っているのだろう。顔を顰めてジェイドを咎めながらも、質問には答えてくれた。

「んー、私もマジカメで気になるお店チェックしたり、本読んだり……あとは勉強したり、かなあ」

 特に面白いことはやってないや、と彼女は続けた。

「貴女……自ら進んで勉強するタイプだったんですね」
「するよー。だってここの授業レベル高いし。魔力だけじゃどうにもなんないでしょ」
「確かに、そうですが」

 ジェイドは驚いたように目を見開いて隣を見下ろした。ジェイドは、彼女がそこまで勉学に魅力を感じていないことを知っていたので、彼女が自ら進んで勉強……予習復習を行っていることが不思議だった。彼女はジェイドの反応に怒った様子もなく淡々と言葉を続けた。

「まあそこまで勉強が好きなわけではないけど……せっかく名門校に通うんだし、やれることはやっとこうと思って。NRC出身だと就職にも有利だしね」

 期待された分落ちこぼれだった、なんてことがないようにしないとね、と苦笑しながらジェイドを仰ぎ見る彼女は、ジェイドが思っていたよりも将来を見据えていた。普段からフロイドに付きまとう姿ばかり見ていたので、彼女がそこまで思慮深い人間だったとは思いもしなかった。ならばなぜ彼女のことを好きになったかと思われそうだが、まあそこは閑話休題。

「あなた程の実力なら大抵の企業は欲しがるのではないですか?」
「いくら魔力量が多くても筆記の成績が悪いんじゃどうにもね。私、頭がいいわけではないし……」

 彼女がこの学園に通える大きな理由が、彼女の所持する魔力量だ。常人を凌駕する魔力量を持って生まれた彼女は、闇の鏡によってこの学園に通うことを許された。ジェイドやフロイドも魔力量はそこそこ多いが、彼女には到底及ばない。

「まあ、そんなことはどうでも良いか。次の質問いこ」

 何聞こうかなーとワクワクしている彼女は、「あっ!」と声をあげる。

「子どもの頃のフロイド君ってどんな感じだったの?」
「そうですね……」

 次もフロイドについてだろうと予測していたジェイドはやはりな、と思いながら幼少期の記憶を振り返ってみる。

「今よりもずっと破天荒で、突発的で、可愛げがありましたね。でも自分に素直なところと、自由なところは何も変わっていません」
「だよね!! 小さいフロイド君は絶対にかわいい……写真とかないの?」
「あるにはありますが、貴女に見せたら何をされるか分かりませんので」
「そ、そんな変なことには使わないからね!? 焼き増ししてデータ化もして毎日持ち歩いて拝むくらいしかしないよ!?」
「絶対に見せないと今改めて誓いました」

 そんなあ……と項垂れた彼女だったが、すぐに「じゃあもっと他に何かない!?」と食い下がるようにジェイドの腕を掴んできた。あまりの必死さに若干引かないでもないが、その腕を払うことはせずジェイドはふむ、と考える。

「ああ、昔はもっと気分のムラに波があって……今より頻繁に『ダメになる日』がありました。今まだマシな方なんです」
「ああ、フロイド君は普通の人より頭を使うから、子どもの頃は脳のキャパが足りなかったんだろうね」
「え?」
「あれ? 違う? そういうことじゃない?」

 ジェイドは目を見開いて、彼女は首を傾げて、お互いに顔を見合わせた。ジェイドは彼女が言わんとしていることは分かっている。分かってはいるのだが、それを彼女が理解していたことに驚いた。驚いた顔を隠そうともしないまま、ジェイドは彼女に問いかける。

「なぜそう思うのか、お聞きしても?」
「え? あ、うん。まず、フロイド君って頭が良い……っていうか頭の回転が早いじゃない? その場で何をすれば一番良いのかをきちんと選べるっていうか」
「そうですね。フロイドは何が最善か、何を選択すれば正解なのかを理解しています」

 ただし、その「正解」は一般的な解釈の話ではない。フロイドにとっての「正解」は「面白いかどうか」で判断され、それは必ずしも常人が望む正解というわけではない。フロイドからすれば普通の人が選ぶ選択肢はつまらなくて、面白くなくて、退屈で、なぜそれを選ぶのか彼には理解できないらしい。

「最善、そう最善だ。フロイド君は別に最初から正解が分かってるわけじゃなくて、頭の中でいくつもの『if』を考えて、出た結果から選んでると思うんだ。他にもたくさんの選択肢があって、なんならフロイド君が認識してないものもフロイド君の脳は演算してるのかも。それをその場でやってるんだから普通の人より脳を使うし、かといって脳の許容量にも限界はあるし……だから……なんて言えばいいんだろう?」
「……フロイドは、普通の人よりも使用している脳の割合が多い?」
「そう、そんな感じ。使う脳の割合が多い分エネルギーも使うから、『疲れ』が出るのも早いと思うんだ。子どもの頃なら特に。大人よりも小さい脳で、大人以上の選択肢を考えてるんだからそりゃ疲れるよね。それでジェイドの言う『気分のムラ』が激しかったんだと思う」
「……なるほど」

 彼女の見解は、実の所正しかった。話をよく聞かない、興味がないことには目さえくれない。そのくせやれば周りより上手く、たとえ出来なかったとしても、出来るようになるまでやる。その過程はフロイドにとって苦行ではない。それがフロイドが天才と言われる所以だ。

 そしてジェイドは、そんなフロイドが面白くて大好きだった。フロイドは生来の性質から短絡的だと思われがちだが、その実、思慮深い性格をしている。いくつもの「もしも」を考えては無意味な選択肢を排除して、また新たな「もしも」を算出していく。常人をはるかに超えた思考回路をコントロールする術を、あの頃の彼はまだ知らなかった。だからこそ子どもの頃のフロイドは「破天荒で、突発的で、今よりも気分のムラが激しかった」のだ。

 彼女は、自分は頭が良くないと言いながら、他人を良く見て、きちんとその人の特性を理解している。相手がフロイドだからという理由もあるかもしれないが、ジェイドに対しても同じように、ジェイドの調子が悪い時には無闇に話しかけたりはしない。ただじっと時が過ぎ去るのを待っているジェイドを、彼女はただ見守るだけだった。

「ジェイドもでしょ?」
「え?」
「違うの? ジェイドも同じかと思ったんだけど」
「僕が同じ、ですか?」
「うん。そもそもフロイド君の思考を読めてるし、ジェイドは『先回り』が得意でしょ? ジェイドも頭の中では色々選択肢があって、ちゃんと選んでるんだなーって思うよ。ジェイドの場合はそれこそ『最善』を選んでるんだろうけど」

 彼女の言葉にジェイドは目を瞬いた。確かに彼女の言う通り、ジェイドも「最善」を選ぶのが得意だった。ただし、フロイドとジェイドの最善は少しばかり意味合いが違う。フロイドが選ぶ最善は「面白ければ何でも良い」が軸であるのに対し、ジェイドは「面白く、かつ自分の利になるもの」を軸にしていた。ジェイドの頭の中でもいくつかの「もしも」は算出され、そして淘汰される。彼も斯くして天才と呼ばれる片鱗を持ち合わせていた。

 ただそれを、ジェイドは表に出したことも、フロイド以外の誰かに話したこともなかった。ジェイドはフロイドほど不調に苛まれることがなかったので、フロイドと相対的に見るとある程度マトモだと評価されることが常だ。その方がジェイドとしても都合が良かった。天才で気分屋なフロイドと、頭は良いが温厚なジェイド。そう騙されてくれれば、獲物は捕まえやすい。

「……本当、よく見ていますね」
「これだけ一緒にいるんだから分かるよー」

 これだけ一緒にいても、分からない奴らもいたのだ。彼女と過ごしたのはたった一年。それだけで自分達の本質を見抜いた彼女にジェイドは改めて舌を巻く。頭が良くないと言いいながら、やはり彼女は自分で考える頭を持っている。

「あ! あともう一つあった!」

 思い出したかのように口を開いた彼女に、ジェイドは何だろうと視線を向ける。

「二人ともよく食べるでしょ? あれも脳をいっぱい使うからだと思うんだよね」
「確かに僕はたくさん食べますが……フロイドもですか?」

 ジェイドは確かに人よりも食べる量が多いことを自覚している。しかし、フロイドはそこまで量を食べているわけではなかった。食事は人並み、なんなら途中で飽きてしまいジェイドに押し付ける日だってある。そう考えると、フロイドが「たくさん食べる」枠組みに入るのか疑問だ。ジェイドの不思議そうな表情に気がついたのだろう。彼女は「ああ」と補足するように言った。

「フロイド君はお菓子を食べる頻度が細かいんだよ」
「ひんど」
「そう。休み時間だけじゃなくて授業中にもキャンディ食べたり、ご飯食べた後もお菓子食べてるよね。あとラウンジでのお仕事前にも何か食べてるの見かける」

 確かに、フロイドのポケットにはキャンディやビスケットなど、簡単に食べられるお菓子がよく入っている。ラウンジでの仕事が始まる前に何かを摘んだり、なんなら部屋もお菓子で溢れかえっていることはジェイドも知っていた。確かに彼女の言っていることは合っている。合ってはいるのだが、問題はそこではない。

「なぜクラスの違う貴女がそれを……?」
「あ」

 一瞬でやばい、という顔をした彼女からジェイドは一歩距離をとった。

「まさか貴女、フロイドを」
「違う! ストーカーとかしてない! そ、そりゃ学園内で何してるかなーとか思ってこっそり見ることはあるけどストーカーじゃない! 違うから! 断じて!」
「それを陸ではストーカーと呼ぶのでは?」
「ハッ……!?」

 彼女はいま気がついたとばかりに口に手を当てて驚いている。自覚のない行動こそ一番厄介で、よく今までフロイドに怒られなかったなと思いながらジェイドは口を開いた。

「くれぐれも、犯罪には手を染めないでくださいね」
「ジェイドがそれを言うの……?」


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