逃げ切る覚悟はおありでしょうか?おまけ




 ここ最近、フロイド・リーチは不機嫌だった。それもこれも、自分の片割れのせいである。もううんざり、いい加減にしてと思いながら、どうするべきかフロイドは購買部横のベンチに全身を預けて考えていた。

 ◇ ◇ ◇

 陸の学校に進学してすぐの頃、どうやら気に入った人間を見つけたらしい片割れは、随分と楽しそうだった。あの時は別に特別な感情を持っていなかったと思う。実際に「怯えながらもマジカルペンを手放さずに、隙を窺って僕を倒そうとするのは無謀で好印象でした」と全く訳がわからないことを言っていた。

 それがいつの間にやら恋に変わっていたようで、事ある毎にジェイドのお気に入りの話を聞かされるのにはうんざりした。「僕の前では警戒心しかないのに、それ以外では全く警戒しないところが愚かで可愛らしい」やら「食堂のメニューに彼女の好きなビーフシチューが追加されたのですが、初日ということもあって人気で彼女の目の前で売り切れたそうで。絶望している姿が非常に可愛らしかったです」やら、それを聞かせて何がしたいんだというどうでもいいことばかりだった。因みに好きになった理由は「彼女、動物言語学が得意なんですがルチウスさんと話している時の無邪気な笑顔がその、もう一度見てみたいと思って」とのことらしい。それを聞いてもフロイドは理解が出来なかったが、それを言うとフロイドが理解するまで説明しようとすることは優に想像できたので口をつぐんだ。


 学年が一つ上がってしばらく経った頃、ある日ジェイドは今まで以上に浮かれてラウンジに入ってきた。それはもうルンルンと、頭の上に文字まで見えそうなくらい。その様子だけでお気に入りのあの子と何かあったんだろうなと予想がついたが、聞くと面倒なことになるのでフロイドは興味もないしそのままスルーしようとした。

「フロイド!聞いてください!あの子と番になったんです!」

 それもこの浮かれポンチの前では通用しなかったが。その後も延々と惚気を聞かされ、アズールが「仕事をしろ!」と怒鳴り込んでくるまでフロイドは自分の片割れの餌食になったのである。アズールに怒られたのだってジェイドが離してくれなかったせいなので、フロイドは完全にとばっちりだった。それでも怒らなかったのは、隣の片割れには何を言っても無駄だと分かっていたからだ。せめて惚気はよそでやってくれと思ったが、あの子が実は雌だなんて事を他の奴らに洩らすわけにはいかないので、必然的にジェイドの話し相手はフロイドかアズールの二択になるのだ。

◇ ◇ ◇

 フロイドがジェイドの話を聞き流すことを完全に習得した頃、寮のベッドで寛いでいると、自分より後に戻って来たジェイドが制服を脱ぎもせずベッドに倒れ込んだので、フロイドは何事かと片割れを見た。

「ジェイド、何してんの」
「……」
「制服脱がないとアズールに怒られるんじゃねぇの」
「……」
「おい、聞いてんの?」

 フロイドが何を言おうと何も返さず、動きもしない片割れにフロイドはきっと番と何かあったんだなと思った。思いはしたが、何かしてやろうとは思わなかった。だって、陸では他人の恋路に茶々を入れると馬に蹴られるらしいので。あと、日々惚気を聞かされている身としては今くらい解放されてもいいだろうと思ったので。フロイドはそれ以上何も言わず、また自分のベッドに沈んだ。


◇ ◇ ◇


 年が明けて学園の授業も再開し、ホリデー中は休業していたモストロ・ラウンジでの仕事が再開してもジェイドの元気が戻ることはなかった。寧ろ悪化している。授業やラウンジでの仕事中なんかは今まで通り何事もなかったようににこやかに過ごしているのだが、寮に戻った途端ダメになる。感情のない表情で着替えもせず自身のベッドに倒れ込み、そのあと動かなくなるので毎回フロイドが「まだシャワー浴びてないじゃん!はやく浴びてきて!」やら「ジェイド!制服!アズールが怒る!」と片割れを注意するしかなかった。自分の分はやらないが、動かなくなった片割れを放置すると更に面倒なことになるので仕方なく、必要最低限の世話は手伝ってやった。さすがに何度も言われたらジェイドも動き出し、シャワーは自分でやってくれたのでそこは助かった。出来れば注意される前に最初から自分でやってほしいのだが。

 ジェイドの状態は思っていたより深刻なようで、これにはアズールも参っていた。仕事はこなすものの今までより効率は悪く、フロイドに注意されるまで動かない。とにかく仕事と授業以外は使い物にならなかった。

 そしてジェイドはあの日から毎日、番を陰から見守っていた。決して話かけたりはせず、何なら姿も見せない。彼女がこちらに気づく前にさっとその場を離れる。気持ち悪いくらい彼女を陰から監視し、不審な輩が近づけば慈悲もなく再起不能にしていた。彼女の周りにいた友人たちはジェイドの嫉妬からくる殺意の篭った視線に恐怖を覚えながらも、特に何か言ってくることはなかった。

 ここでやっと冒頭に戻る。さすがにフロイドも今のジェイドには嫌気がさし、うんざりしていた。もういい加減何とかならないかと購買部のベンチで力なく全身を預けていた時、近くでした誰かの足音と知っている香りに顔をあげる。その人物を目に捉えた瞬間、フロイドは笑みを深め、逃がさないようにすぐさま彼女に近寄った。

「クマノミちゃんじゃーん」
「どうも……」

 困ったような表情でフロイドに挨拶する彼女からする香りは、彼女自身のものではない。彼女はどうやら雌の匂いを誤魔化す魔法薬を使っているようで、彼女自身の香りをフロイドは知らない。それでも、自身の片割れの香りを嫌と言うほどさせている人物なんてここには本人を含めて二人しかいないので、フロイドはすぐに気づいたのである。独占欲の強さを表すようなマーキングに、我が片割れながらおっかないなと思う。まあ自分も番には同じことをするだろうが。

 話を聞くと図書館に本を返しに行くだけだというので、これは好都合と彼女と話すべく強引にベンチに座らせる。戸惑ったような声が聞こえたがフロイドの気にすることではない。一番の最優先事項は、今も近くで彼女を見守っている片割れと目の前の彼女を何とか仲直りさせることなので。何やらきょろきょろと忙しなく周りを気にする彼女にフロイドは、ああと見当がつき教えてやる。


「ジェイドならここにはいねぇけど」
「!そ、そうですか」

 ここにはね、と心の中で呟く。ほっとした様子の彼女に早速本題を切り出すべく、口を開く。今のフロイドはとにかく早くジェイドの調子を戻すことしか考えていないので、遠回しな言い方なんてしない。

「ねえ、いつまで喧嘩してんの?はやく仲直りしてよ」
「け、けんか?」
「ジェイドがずっとうじうじしててさー。部屋でキノコでも生えんじゃね?ってくらい。オレまで気ぃ萎えんの。すんごいウザい」
「ジェイドさんが?」
「そう。だから早く仲直りして!ジェイドが悪かったならちゃんと謝らせるから!」

 フロイドの苦情に彼女は首を傾げて、意味が分からないとでも言いたそうに告げる。

「あの、そもそも喧嘩なんてしてませんよ?」
「じゃあなんであんなにジェイドはうじうじしてるわけ?」
「うじうじしてる理由は分かりません……というかそもそも関係ないと言いますか」
「はあ?なんで?」
「だってもう別れてますし……」
「……は?」

 言われた言葉の意味が分からず、フロイドは小さく口を開けて固まってしまった。

「なんで……?ジェイドのこと嫌いになっちゃったの……?」

 フロイドの疑問を聞いた彼女は困ったような顔をしたあと、言うか言わまいかしばらく迷ってから口を開いた。

「嫌いになったわけじゃ、ないです」
「じゃあなんで?」
「えーと」
「教えてくれるよなぁ?」
「ヒッ……!」

 フロイドが少し脅かしただけで恐怖に包まれる彼女には悪いが、こっちは今後の生活がかかっているので気にする余裕はない。もうこれ以上、自分の片割れの介護をするのはごめんだ。青い顔をして震えるジェイドの番は、途切れ途切れに言葉を洩らす。

「ジェイドさんが、私に飽きてしまった、から……」

 目の前の人物から飛び出してきた言葉にフロイドは思考停止した。だって、絶対ありえない事だったので。ジェイドが彼女に飽きた?だったら何故今もフロイドに対して恨めしそうな視線を送ってきているのか。それに、ジェイドの調子が悪くなる直前まで、異世界から来た小エビちゃんから話を聞いては、自身の番の好きそうな物があるんだとフロイドに惚気てきていた。「カンザシ」やら「ワガシ」やら、聞いたことはないが、小エビちゃんの話を元に再現すべく、小エビちゃんから何度も話を聞いたり、実際に試作品を作って見てもらったりと、とにかく自身の番に尽くすべく足繁く情報集めに奔放していた。

 彼女の言葉にフロイドは、やっぱりぜってぇあり得ねぇわ、と結局同じゴールに行き着く。どうやら何かしらすれ違ってるらしいなと思い、面相くさいけどそれ以上に今のジェイドがうざいので、仕方なく一芝居うってやることにする。

 フロイドが彼女の右手をきゅっと掴むと、下げていた視線と再びフロイドへと戻した。

「フロイドさん?」
「じゃあ、クマノミちゃん。オレと番になろ?」
「は……?」

 意味が分からないという顔で、ジェイドの番はフロイドに問いかける。

「あの、今なんと?」
「たからぁ、オレと番になろ?」
「つ、つがい?」
「そ。だってもうジェイドとは別れたんでしょ?だったらいいじゃん」
「えーと、番ってその…人間でいう夫婦、ですよね?」
「うん。いいでしょ?」

 そう言いながら、彼女の右手を両手で包み込むように優しく握る。戸惑ったように慌てる目の前の人物と、殺気をさらに強くした自身の片割れにもう一押しと、フロイドは笑みを深めた。

「よ、よくはないですね…」
「えーなんで?いいじゃん」

 ぐい、と顔を近づけ、キスするような距離で静止する。逃げられなかった彼女は、フロイドの顔を見ると本気じゃないことが分かったのか、また困ったようなでフロイドを押し返そうとした。それよりも前に自身の片割れが近づいて来ていることにフロイドは気づいていた。

「何をしているんですか?」

 酷く冷酷な声だった。当たり前だ。自分の番に、手を出されかけていたのだから。目の前で信じられないとでも言いたげな顔をしているジェイドの番から顔を離し、声がした方を向いてやる。そこにはにんまりとしたフロイドとは真逆の、全ての感情を削ぎ落とした顔をしたジェイドがいる。

「フロイド、貴方何をしているのか分かっているんですか?」
「えー?だってもう別れたんでしょ?」
「……彼女は僕の番です」
「だったらちゃあんと捕まえときなよ」

 それだけ伝えて、フロイドは「じゃあオレは部活行くから」とその場から離れた。これでやっとジェイドも調子も戻るだろう。さっさと仲直りして誤解を解いて早く自分を解放してほしい。さながら自分は恋のキューピッドである。まあ、海の中では翼なんてあっても意味はないが。とにかく、明日からは普通の生活に戻れるだろうし、アズールからも褒められるんじゃないかとフロイドは上機嫌で部活に向かった。

 この数十分後、フロイドの元に『お話』しに来たジェイドの理不尽さにさすがのフロイドもキレて、第一次ウツボ大戦が始まってしまい、それに巻き込まれたバスケ部のメンバーから連絡を受けたアズールにジェイド共々、怒られ罰を受けさせられる羽目になるとは、この時のフロイドは知る由もないのである。


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