▼ 斉藤

ぐっと彼女の頭に手をやって抱き寄せたけれど、文句どころか身動きひとつさえ返っては来なかった。まるで人形を抱いているようだった。彼女と同じ顔、同じ声、同じ匂い、同じ温もりの人形を。

灯りのない部屋は昼間と言えど四隅になると薄暗い。膝の間にいる彼女の頭と腰を尚も引き寄せて耳元辺りに唇を寄せた。女の子独特の、緩くあまい香りがした。

目を合わせることができなかった。そのたゆたうように流れる美しい髪にさえ、視線を這わせることができなかった。綺麗に骨の浮き出た細い手首の先の白い指が俺に向けられていないことくらい、ちゃんと知ってた。だから彼女の存在を心のどこか隅の方に置いておくだけで、よかったんだ。…なんていうのは少し言い訳っぽいけどさ。

「可笑しいよね、」

まるで誰かに赦しを請うように、呟いた声は彼女の艶やかな髪の中に消えた。いつか触らせてもらいたいと思っていたけれど、今こんな気持ちで撫ぜることになるなんて。

「凄く悲しいんだ」

それでも彼女はなにも答えなかった。ただ否定するわけでも肯定するわけでもなく掴んだ俺の肩で彼女のしなやかな指に力が篭った。恐怖を感じて動けないのかもしれない、本当は助けを呼びたいのに声が出ないのかもしれない。それならそれで、好都合だよ。

「好きだよ。このままキスして押し倒して、俺だけのものにしてしまいたいくらい」

微かに彼女が空気を飲むのが聞こえた。ああ、彼女は人形なんかじゃなかったと小さく落胆する自分に気付く。泣いているのかもしれない。けれどお互いどんな表情をしているのかなんてわからないから、俺は続ける。

「名前、」
「聞こえるよ」
「…、え?」
「斉藤の、この、心臓の音。聞こえる」

彼女の声は震えてなどいなかった。寧ろはっきりと、聞かせるような優しい響きであるほどだった。

「どこにいたって、聞こえてる」
「え…」
「斉藤は、わたしの、聞こえてない…?」

俺の胸に手を押し当てて顔を上げた彼女は瞳を潤ませていた。震えていなかったのではない、震えないように努めていたのだということにようやく気がついた。俺がなにかを言おうとして、けれど言葉が見付からなくてただただ彼女を見つめていたら、とうとうその瞳から涙が溢れ落ちた。悲しそうに眉が寄せられる。
(ああなんて綺麗なんだ、と)

聞こえてるよ

伏せられた睫毛から流れるその雫が本当に綺麗で、宝箱かなにかに入れて永久に取っておけたらいいのにと思った。
耐え切れなくなったように彼女が俺の胸に顔を押し付けた。肩や指先が微かに震えていた。

好きだよと囁くように耳元に送ると、彼女は声を上げて泣いた。
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