▼ ジェイド

火のないところに煙は立たぬ、とはよくいったものだと思う。
けれどそれでもわたしは彼の後ろに立っていた。慣れてしまったのだと感じる反面、情けないことにやはり怖くて足が動かないのだ。

「どうしました?名前中尉」

は、と我に返り瞳をしばたたく。戦場でぼうっとしていたこともあるのだろうけど、彼がわたしに呼びかけたのはきっと手元を見つめ過ぎたからだ。わたしは慌てて背筋を張り深く息を吸った。ここは戦場だ。そしてわたしは軍人なのだ。

「いいえ、なんでもありません。カーティス大佐」
「そうですか」

彼、カーティス大佐はにこりと笑って掴んでいたものを無造作に手放した。そこまではいい、なにも可笑しなところはないはずなのに。その笑顔に反して彼の掴んでいたものは余りにも目を向けたくないものだった。

「私が気持ち悪いですか、名前中尉」
「…いいえ、カーティス大佐の行為はすべてマルクトのためです。気持ち悪いなど、滅相もございません」

わたしはそれをわざと見ないように目を瞑った。誰が好き好んで凝視したがるものか。自分たちが殺した敵国の兵士の死体など。それでも自分の上司がこの場を動かないのだから、勝手に帰るわけにもいかない。

「さて、…そろそろ帰りましょうか」

そういって背筋をしゃんと張ったカーティス大佐の赤い瞳とかち合う。わたしはもう1度背筋を張ると小さくはい、と呟く。どこか頼りない、小さい声になってしまった。きっと、やっと帰れるという安堵から来たものだと思う。

「顔に出ていますよ」
「す、すみません、」
「いいえ、 まあ普通の人間ならばなんら可笑しくない反応です」
「ですがわたしは軍人です、」
「軍人だって人間ですよ」
「…そう、です が、」

足の長い大佐に小走りでついてゆく(グランコクマに帰るまでにこの死体が続く森を抜けなければならない)(薄暗くて、不思議な鳥の鳴き声が聞こえる気持ち悪いところだ)。

それにしても大佐にしては妙な突っ掛かりを見せたな。確かにわたしたちは軍人である前に1人の人間であることに間違いはないけれど、それは戦場では通用しない。
大佐だってわかっているはずなのに。

「名前」
「はい」
「理性を持っているものの、人間は本能や感情に従順な生き物です」
 

言い切ると大佐は歩みを止めた。ザア、と風が木々の葉をきつく揺らす。遠くに濁った池の見える木陰だった。わたしも同じように少しだけ距離を取って大佐の後ろで止まる。そして赤の瞳を見上げた。
すべてを見透かす、いや、貫くといった表現の方が正しいかもしれない。そんな瞳に見下ろされわたしは口を噤むしかなかった。

「私が言っている意味は、わかりますね」
「わかります、が、 そこからなにを仰りたいのかは、 …わかりません」
「そうですか。では簡潔に言いましょう。あなたに戦場は似合いません」
「 、それは軍人を辞めろ、と そういうこと ですか?」
「そういうことですね」
「先ほどのことは自分自身でも不注意だと思いました、けれどそれで、…っ」
「先ほどのことだけではありませんよ。あなたには前々から言うつもりでした」

そこまでいうと大佐はわたしに背を向けて何事もなかったかのように歩き出した。わたしは慌てて走り出す。冗談じゃない、ここまで女の身で勝ち上がってきたのに、戦力だってそこいらの男よりはあるはずだ、勉強だって血の滲むような思いでしてきた。
それなのに辞めろだなんて、納得できない。
わたしは縋るような気持ちで大佐の前に飛び出した。

「どうしてですか、カーティス大佐、…!」

大佐はわたしを少し細めた瞳で見た。薄っすらと軽蔑の意が込められているようにも見て取れたが今はそれどころではなかった。今まで影でいろいろ言われたことはあったが、こんな風に真正面から切り出されたのは初めてだ。わたしはついカッとなって大佐に詰め寄る。
けれど大佐は顔色一つ変えず眼鏡のブリッジを押し上げ息を一つ吐いた。

「そうやってすぐ熱くなるのは感心しませんね」
「説明をお願いします、カーティス大佐。…納得できません」
「あなたのように本能や感情に左右され易い人間は軍には要らないと言っているのです」

大佐の言葉には重みがあった。大佐は軍を、戦場を知らない人間ではない、寧ろ誰よりも熟知している人間だ。その中での生き方を知っている。わたしなんかとは比べ物にならないほどの人間を殺し、数え切れないほどの人間に恨まれ、これからも予想することのできないほどの人間を殺めてゆく。大佐には見合うだけの言葉の重さがある。

「…申し訳ございません、」
「納得して頂けたみたいですね。それでは帰りましょうか」
「けれど大佐、…気持ち悪いとは、本当に思いませんでした。ただ怖かったんです」
「その恐怖がいずれ死に繋がるとは思いませんか」
「思います、 でも軍を辞めたくありません。戦場は、わたしが1番人間らしくいられる場所です」
「…皮肉なものですね」
「わかっています」
「では、くれぐれも私を置いて先に死なぬよう、約束して下さい」
「はい、 カーティス大佐…」

火のないところに煙は立たぬ、とはよくいったものだと思う。わたしの上司は確かに噂通り死霊使いだ。戦場では常に冷静で適切な判断を部下に下す。決して苦の表情は見せない。それどころか不敵に笑ってみせるのだから並大抵の人間では真似できないことだと思う。
それがわたしの上司、ジェイド・カーティスだ。

けれどそれでもわたしは彼の後ろに立っていた。
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