▼ ティキ
あれ、おかしいな。ティキ、って髪がボサボサで瓶底メガネでだらしなくてでも優しさの漂ってる人じゃなかった?このノア紳士がティキって?同性同名じゃないの?
(…でも今、)
「う、そ…」
「嘘じゃないよ名前」
(確かにティキ、が)
「ティキが、ノ ア?」
(ノア?)
(ってことは、わたし達の敵?)
有り得ない、そう落胆の声を出そうとしたわたしの首をティキは片手で掴んだ。彼の動きはいつものだらけたものとはかけ離れていた。
なにもかもが鋭くて、そして殺気に満ち溢れている。わたしはそんなティキを真っ直ぐに見据えながら、彼の指が自分の皮膚にリアルに食い込む感触に集中していた。
ティキは目の前で興奮を抑えられないような表情で笑う。
「ねえ、もう1度聞くけど」
「オレが本当にティキであり、ノアであるのかって?」
にいっとティキの口角が上がっていく。ティキはわたしの首に手を掛けたまま じゃあ見せようかとシルクハットを捨てた。わたしの見つめる前でノア紳士の浅黒い肌が白く染まる。
「ティ、キ…」
「これでわかってもらえたかな、名前」
(ああ、)
髪がボサボサで瓶底メガネでだらしなくてでも優しさの漂ってる。わたしの中のティキのままティキは笑った。
(本当に本当にティキ、なんだね)
「紳士もなかなかだけどやっぱりわたしはボロボロのティキの方が好きだなぁ」
どうしようもなく身動きが取れずわたしの目から涙が溢れた。まだ話し足りなかったのに、頬の筋肉がムリに引きつって、下手な笑みしか浮かべられなかった。
「へえ、そう言われんのは初めてだよ」
細められたティキの瞳。わたしは涙で視界を歪めつつも彼から目をそらさなかった。恐怖の涙じゃない。どうしてかわたしは嬉しかった。ティキに首を締められながらもわたしはこの男を愛し、諦め切れないのだ。
救いようのない思念。ティキは今からエクソシストであるわたしを殺すだろう。報告書にあった通り臓器を抜き取って。
(ああでもティキにはもう心臓取られちゃってる)
(大袈裟に取り返しのつかないやつ)
「まさか名前がエクソシストだったとはな」
「知らなかったの?」
「いつも普段着だったじゃん」
「あ、そか」
「で、今日はようやく名前の仕事着を見れたってわけ」
なかなか似合ってんじゃん、ティキはそう囁くとわたしの首から手を離した。わたしは軽くむせながら地面に力なく座り込む。冷たいアスファルトが足を徐々に冷やした。
零れた涙を拭うこともできず、ただぼんやりとティキを見上げる。ティキは、目線を合わせるようにしゃがみ込んでわたしの目尻を親指の腹でなぞった。
「と言ってもお前は削除リストに載ってないんだよね」
「…バカね、ティキ。わたしはエクソシストよ。このコートが見えるでしょう」
「ふうん。オレは別に構わないけど」
わたしは体勢を立て直し、ティキから距離を置いた。正直、勝てるとは到底思えない。首を掴まれた時点で勝敗など決していた。
(落ち着け、)
今はとにかく落ち着くしか無い。冷静さを欠いてはなにもできない。わたしは一度小さく深呼吸した。
「名前はどっちのオレに殺されたい?愛した男に殺されたいタイプ?」
「趣味が悪いわね。わたしが戦うのはアクマとノアと千年伯爵のみよ」
「そりゃ有難い。こっちのが楽だし」
またも意地悪くニヤリと笑ってみせる。そのうち、白かったティキの肌は浅黒く変わった。額に先ほどのように聖痕が浮かぶ。垂れた前髪を掻き揚げる仕草が、もう二度と戻ることはないだろうあの日の面影にかぶった。
(そうだ、忘れてた)
「でも残念だな。愛しい名前を失うなんて」
「わたしが愛するのは最初から最期まで神だけよ」
「そんなとこも好きだよ」
に、とティキが笑う。わたしは一歩後退した。
(こいつはティキじゃない)
(ノア、だ)
(あのティキとは べつじん)
「さあ、そろそろお話は終わりにしよう名前」
「そう、ね」
「どうした?顔色悪いけど?」
(ああ違う)
(やっぱり、)
(べつじんなんかじゃない、ティキだ、わたしの知ってるあのボロボロで飄々としたティキだ)
歩みより方も首の傾げ方も口角の上げ方も前髪の掻き揚げ方も。
(ぜんぶあの日のままのティキ)
「…ティキ、」
(ティキなんだね)
いいよ、どんなティキでも愛したげる。ただし、神さまの次にだけどね。
「なんだ?名前」
「大嫌いよ、あなたなんて。世界で一番」
「 光栄だな」
まあ、心の狭い神に身を捧げたことを後悔するんだな。
本当にね。
さあ、始めましょう。あなたに壊されるならわたしの世界もなかなかのものになるんじゃない?あなたがわたしの名前をあの日のままの声色で呼んでくれる限り。
世界で一番大嫌い
ティキ、早く殺して。じゃないと、もう、
(なにもかも投げ出してあなたの胸に飛び込みたい、なんて思考が働いてしまうわ)