▼ ティキ

伯爵邸の門を潜ると、中はシンと静まり返っていた。無理もない、時計なんて見なくたってわかるくらいの真夜中だった。伯爵はどうだか知らないけど他はみんな確実に寝てると思う。
ギギギと古びた音をさせる扉をできるだけ静かに閉めて(あんまり効果なかったけど)螺旋階段を上って行く。

コツコツとヒールが薄い絨毯の上を掠る。階段を上りきるとふ、と人の気配がした。
 
マリオネット

「…ティキ?」
「よお、遅かったな」
 
軽く手を上げて会釈したティキはわたしの部屋の前でその長身を持て余すように扉に寄りかかっていた。
髪の色が廊下の向こう側に同調していたけれど、彼の少し鋭くなった瞳はギラギラとしていた。

「すこし、 手間取っちゃって」

苦し紛れにそういった。
目をそらしたときに掴んだ服の裾は乾いた血のせいでパリパリしていた。指先からまた血生臭くなっていくようで怖かった。

「へえ、お前らしくないな」

その言葉に、ああ彼の目を真正面から見るんじゃなかったと心底後悔した(きっと知ってるんだ、ぜんぶ、なにもかも)。

わたしは居た堪れなくなってティキを押し退けて部屋の扉を開ける。手が震えて仕方なかった。これじゃあバレることを自分から望んでいるようなものなのに。

「ねえティキ、用事ならまたにしてくれない?わたし疲れてるの」

結局ティキはわたしがシャワーを浴びるまでソファで寛いでいた(ああ、ここで煙草は吸わないでっていつもいってるのに)。
髪から滴る水滴をタオルで拭きながらなるべくティキとは遠い、大きな窓際へ詰め寄る。
満ちてはいなかったけれど、月が綺麗な夜だった。

「いや、すぐに済むよ」

ポケットから携帯灰皿を取り出しながらティキがにっこりと笑った。その笑みに背筋が凍る(この人はいつだって闘争精神を隠せない)。
イヤな予感というよりもなにか冷たい絶望的な未来を感じた。米神がジクジクと痛む。
ああ、月が雲に隠れてしまう。

「わかってるよな?お前はオレら、ノアの一族だってこと」

静まり返った部屋に、ティキが煙草に火を灯す音だけがそっと響いた。完全に雲に隠れてしまった月を目で追いながら、窓に額を押し付けた。火照った身体を、それだけがじんわりと冷ましていく。

「今更なにいってるの?そんなこと、もう刻み込まれてるじゃない」
「 なら、いいんだけど。オレはてっきりお前がエクソシストに気を許したんじゃないかと思ってね」

どこまで、知ってる の? 

ティキの威圧感に身体が強張る。わたしはティキに見えないように胸元でタオルをぎゅっと握り締めた。

「どうしてそうなるの、ティキ。おかしいよ」
「ああ、いいんだ。オレの勘違いなんだから気にすんなよ」
 
そういうとティキはソファから立ち上がった。わたしはつられてティキの方へ振り返る。歩み寄ってもティキはニコニコ笑っているだけで、わたしを疑っている素振りは一つもなかった。

(ティキ…)

喉からはなにも音は出なかった。変わりにティキがわたしのタオルを取り上げて、風邪引くから早く寝な、とドアノブを回した。そのスラリとした背中はいつだってわたしを支えてくれるくらいに力強くて、頼りになって、ほんとうはいつもいつも大切で、

「ティキ…っ」
「よい夢を、名前」
「…っ、わたし、わたしはあなたと同じノアの、一族だよ…」

わかってるよ、そう言いたげな瞳でティキは笑った。さっきみたいなのじゃなくて、普段見せてくれるような温もりのある、笑みで。それからわたしの頭を軽くくしゃっと撫でて彼は出ていった。

(ああ、きっとティキに怒られちゃう ね)
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