▼ アイク

わたしのすぐ前で戦闘をしていたサザが、少し意味あり気な視線を寄こした。なんだろう、作戦の変更だろうか。けれど後ろに控えていたミカヤに変化はない。真っ直ぐに見詰め返すとサザは無言で前方を見やった。
その視線を辿り、暗闇に目を凝らす。どこからか放たれる、魔法ではない強い衝撃波の光が見えた。ドクリとした。まだ確証は欠片も得ていないというのに。
それでもわたしにはわかったのだ。
そしてサザの視線がそれを証明している。

吐き気を催すほどの緊張に身体を縛られながら、わたしはただ深呼吸を繰り返すしかなかった。段々近づいてくる、ようやく視界に捉えることができたその蒼に、わたしの口角は上がった。不敵なものじゃない。ただほんとうに、愛しいものを目の前にして作る表情だ。対峙する相手にそんな笑みを浮かべるだなんて、とてもじゃないけど見せられない。サザも前に集中していて、ふ、と安堵からため息を吐く。

久しぶり、大きくなったねアイク。

声には出さない言葉を胸の中で泳がせる。ほんとうに、そのまま大きくなっただけみたいね。その真っ直ぐな、意志の強い瞳はあの頃のまま。あの腕に抱かれたこともあったのに、見てよほら。わたしたちの間にはこんなにも距離があるんだから。

「名前、あまり前に出るな」

攻撃の手を止めてしまったわたしを振り返ることなくサザは静かに呟いた。わたしがこのまま彼に殺されることを望んでいるとは思ってないだろうけど、このまま動かなければ万が一ということもある。彼はさりげなくわたしの前に立ち、武器を構えた。

その瞬間、わたしの瞳は蒼いそれとかち合った。サザがまだなにか言っていたけれどそれさえ脳に滑り込んでこない。わたしは時が止まったかのように呼吸を忘れた。

わたしはなにも言えなかった。彼の名前を呟くことさえ、できなかった。忘れたことなんてない。ずっとずっと胸の中で繰り返してきた、愛しいその名の響き。

呼びたくて呼びとめたくて苦しかったのに、身体が竦んで思うように動けない。
ミカヤの隣で、もしも彼と出会ってしまったら寝返ってしまう可能性がどれくらいあるかを考えたことがある。きっと彼は受け入れてくれるだろう。昔の仲間と戦うことなど望んでいないはず。そしてミカヤやサザはどう思うだろう。裏切り者、と牙を剥くだろうか。仕方ないと目を瞑り武器を構えるだろうか。そしてわたしは、その状況に陥ったときにどういう行動を取るのだろうか。

答えは思いつかなかった。そのときになればなるようになるだろうと思った。後回しにしていたのだ。それが今、たった今訪れている。
果たしてわたしの答えは。

わたしは前に立つサザの脇をすり抜けて走った。後ろから強く名前を呼ばれるけれど決して振り向かない。
ぬかるんだ地面に足を取られ時折転びそうになりながら、わたしはようやく彼と会話できるところまで辿りついた。
顔見知りの面々がわたしに気付き、わずかに攻撃の手が止まる。彼は一瞬も離さずわたしを見ていた。わたしは上がった息を整える。緊張が手伝ってかうまく空気を吸えない。ぎゅっと握りしめた魔道書が熱い。

そして距離を縮めるようにゆっくり歩み寄る。
険しい顔をしたセネリオが、ティアマトさんに促されて一歩下がる。わたしはそれに苦笑して見せたのち、もう一度彼を見上げた。近くに来ると本当に大きい。もう立派な青年だった。

「わたしのこと、覚えてる?」

まるでわたしの声が聞こえていないかのような無表情っぷりで、きちんと見ていないとわからないくらいの角度に首を頷けて彼は覚えていると言った。わたしはそれが酷く嬉しく思えて瞳を細めた。

「ごめんね、あなたにずっとついて行きたかったけれど」

わたしがあなたにしてあげられることなんて本当にちっぽけだったね。わたしはあなたと離れていた3年間で、ようやくこの愛の存在を知った。ずっとあったと思っていたそれの、計り知れない熱量を。わたしは、わたしが思っていた以上にあなたを愛していたわ。それがようやくわかったの。
それをずっと伝えたかった。

彼はわたしの声をただ聞いているだけだった。わたしの目を見て、わたしの言動を分析しているのだろうか。それとも今さらなんだと呆れているのだろうか。そうして話し終えて長く息を吸うと、初めて彼が視線を反らした。なにか考えごとをしているときの彼の癖だ。その視線はすぐに戻ってきた。
強い瞳のまま、言う。

「戻っては、来ないんだな」

わたしはその問いに苦笑した。応えることはしないまま、手元の魔道書にそっと指を這わせる。使い込んだような本の表紙は所々破れており、どことなく懐かしい感じがした。そういえばこれ、3年前に彼にもらったものだった。後生大事にするよりも使ってもらった方がこの本も嬉しいだろうと思ったけれど、本当は実はまだ一度も開いていないの。

「わたしはね、」

まるで本に話しかけるように。とっておきの物語を語るように。

「この世界が好きなの。アイクのいるこの世界が、好き」

顔を上げるとやっぱり彼はわたしを見ていた。胸の辺りが酷く痛い。嘘を吐いたつもりはないのに、どうしてだろうか。笑えば笑うほど涙が出そうだった。現にもう、目頭が熱い。

「だけどこの世界にいるのは、アイクだけじゃないもの」

語尾は震えていて情けなかった。わたしは、自分が知るよりも遥かにアイクが好きだった。だからアイク、わたしがあなたの道の妨げになるのなら遠慮なく殺して下さい。わたしの心はきっとそれに従うはずです。だけどこの世界に存在するのがアイクだけじゃないようにわたしにあるのも心だけじゃないから、きっと簡単には行かないだろうけどね。

「それじゃあ、わたしもう行かなきゃ」

そろそろセネリオが怖いからね。踵を返して駆け出す。行きと同じようにぬかるんだ地面に足を取られつつ一歩一歩確実に踏みしめて。ああもう、この靴だめかも。

「俺以外には決して殺されるな」

一瞬立ち止まりそうになって、ぐっと堪える。ああだめだ今止まれば今振り返れば、


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