▼ ↑片倉

二重にしたビニール袋の中に詰められた氷が溶けて水に変わった頃、辺りはすでに真っ暗で帰りに背に受けていた熱い夕日が嘘のようだった。四角に切り取られた檻の中から、スパンコールを転がした黒い画用紙でも眺めているようだった。綺麗だ。星なんて僅かにしか出ていないし、こんな都会じゃこれから出るとも期待できないけど。わたしはこの空の下にいることが好きだ。
目元に当てていた、たぷたぷと音を鳴らせる袋を、剥き出しの膝小僧に添えた。ひんやりしていて気持ちいい。夕飯まであと少しだろうか。空腹の胃を刺激する温かな匂いが鼻腔をくすぐる。その前に明日の時間割を整えてしまおう。これは小学校以来のわたしの癖だ。いつもいつも小十郎が言ってた。時間割は前の日の夜に終わらせてしまいなさい、って。その方が朝になって困らないでしょう、って。
自分の子供に余り構わない親の代わりに、小十郎はわたしと兄の世話をなにからなにまでしてくれた。そして今もそれは続いている。いつからだろう、そんな親代わりを焦がれるようになったのは。わたしもう子供じゃないのに。電車だって大人料金なのに。結婚だって許されてるのに。
それなのに彼はわたしを子供としか見てくれない。

「小十郎のばか、」

でも知ってる。彼がわたしの気持ちを理解してることを知ってる。そして進むことが怖くて、この気持ちを言葉に乗せて彼にぶつけようとしないわたしをも、彼は知ってる。だから知らないフリをしているんだ。それすべてをひっくるめて知っているわたしの存在を、またわたしは知っているのに。

「誰が馬鹿なのです」

ひ、と声を上げそうになって膝から水を含んだビニール袋がぼとりと落ちた。部屋のドアにもたれかかるようにして彼、小十郎は立っていた。困ったような呆れたような笑みでわたしを見ている。

「何度お呼びしてもいらっしゃらないから心配して来てみれば…。目を開けたまま熟睡されていたのか?」
「か、考え事をしていたのよ!」
「では夕飯の後になさって下さい。せっかくの料理が冷めてしまいます」

誰のせいでこんなになってると思ってるのよ、と思ってもやっぱり言葉にはできない。一歩踏み出す勇気がない。なのに今の現状はすべて小十郎のせいにしてる自分が、憎い。

「わかってる」
「それならいいのです」

ある日突然彼の指に指輪でも出現すれば、わたしは進むだろうか。彼を押し倒してまで手に入れようとするだろうか。それともやっぱり意気地なしで、ぜんぶ小十郎のせいにしてただ影でさめざめと泣くだけなのだろうか。

「それと、帰ってきたら、」
「制服から着替えろっていうんでしょ、わかってますよーだ!」
「…わかっているのならいいのです、」
「すぐ着替えるから出てってよ、変態!」
「なっ…!」

慌ててほんのり頬を染める小十郎を押し退けて部屋のドアを乱暴に閉めた。だめだ、なんか小十郎と接するとき、すごくがさつな女になってる気がする、と自己嫌悪しながらタンスからジャージを引っ張り出した。誰もいないとわかっていながらスカートの下からズボンを履く。これは女子高生ならではのあれだね、うん。そのとき2、3歩後退するとなにか柔らかいものを踏んだ。

「わわっ」
「!どうされました?!」

妙な感触に飛び退いた身体がドアにびたーんとぶつかる。その声と音に反応した小十郎(まだそこにいたのか)がすぐにわたしを呼んだ。見下ろしてみればさっき目元を冷やしていたあのビニール袋がある。まさかこれ踏んで滑りましたなんて恥ずかしいことも言えず、ドアに向かってなんでもないから!と叫ぶ。っていうかほんと待ってなくていいから!

制服をハンガーに掛けて(だっていつもハンガーに掛けなさいって怒るんだもん、この人)、ドアを乱暴に引き開けた。やっぱり少し心配そうな顔の小十郎がすぐそこに立っていた。その傍らを通り抜けてリビングに急ぐ。小十郎は後ろから静かについて来た。

ああ時間割も宿題もまだやってないのに(また怒られてしまう)。
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