▼ 猿飛

噛み締めた下唇がじんじんと痛んで、そして熱かった。途端に鉄の味が染みてはた、と我に返る。浅くだが噛み千切ってしまったようだった。傷に舌を這わすと生温かい下唇と決して美味くはない血の味が、まるで泣け泣けとでも言わんばかりに内情を責め立ててくる。

「あーらら、なんで血が出てもまだ噛み続けるかね」

背後になにかが降り立つ音と共に耳元で聞きなれた声がする。それはいつもより幾分か低い。
肩を掴まれて振り向いたのと同時に両頬に手を添えられた。目前の男、佐助はわたしの唇をまじまじと見つめながら呆れたように笑って痛そうだね、と言った。

「構わない」
「どうして」
「慣れてる」
「へええ、あんたにそんな自虐趣味があったとはね」
「戦で、慣れてる、って意味よ」

少々乱暴に手を振り払って背を向ける。畳んだ膝に握った拳を押しつけて、気付いたらまた下唇を噛んでしまっていた。なるほど、佐助のいう通りわたしには少々この手の傾向があるのかもしれないな、と心にもなく思った。佐助は気分を害した風でもなく、また少し笑って見せると伏せ目がちにわかってるよ、と囁くような声で言った。

(横恋慕、か)

「佐助、」
「はいはい?」

目も合わせずに、いや、合わすことなどできずわたしはただ床を見ながら佐助を呼んだ。まるで独り言のように。そこに誰も存在しないかのように。けれど佐助は律儀にもわたしの前に回って、顔を覗き込んでにっこりと笑ってみせた。嘘っぽい笑みだ。見ていていらいらする。けれどわたしはその表情が、

「痛いの」
「それはよくないね」

一度だけちらりと見た佐助の顔はなにかを見透かすようで、けれどそれ以上は赦してくれなくて。ここにある、目には見えない境界線が少し強く濃くなったように思う。
今すべて吐き出してしまうかもしれない。なにもかもが内情から零れ出てしまうかもしれない。
させるものか、と自分の腕をぎゅうと強く握った。


「ほおら、また噛んでるよ」
「ん、…んっ」

しなやかな佐助の指が今一度両頬に触れて、優しく強引に引き寄せられる。目を見張る暇もなく、わたしの唇は佐助に塞がれてしまった。

どこか啄み舐めるような口付け。ああきっと傷口を癒そうとしてくれているのだと思うとなんだかこの機会が惜しいような気がして、気付いたら彼の服の裾を掴んでいた。くいくい、と控えめに引き寄せてみる。
吐く息さえ呑みこんでしまうような、熱く濃厚な口付けの途中、わたしはうっすらと目を開けてみた。佐助は戸惑うことなくわたしを一途に見ていた。視線がぶつかると目尻だけで笑われる。カッと頬が熱くなって、堪らず目を瞑った。
お館さまに叱られてしまうな。このまま、なんて願ってしまった。


呼応物

(ああ横恋慕なんて)
(するものではない)
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