▼ 鉢屋

好いている女に、変装して欲しい男がいると言われれば流石の私だって嫌な顔をしたくなるものさ。もしかしなくともそれは告白の練習などに使われるのじゃないかって。普通にそう考えたくなるし、いいよと即答してやることもできない。彼女の力になってやりたいとは思うが、その彼女が他の男と幸せになる手助けなんてどうしてこの私がしてやらなければならない?
だから私は返事の代わりに胡散臭そうな笑みを浮かべてどうしてかと聞いた。彼女は答え辛そうに目線を下にやって唇をもごもごとさせた。その仕草が意外にも可愛らしく妙な苛立ちを覚えた。そういう反応をするということは、要するに私の考えは強ち外れてもいないということだろう。

「私が変装をする理由の一つに、相手をからかうためってのがある。わけの分からぬまま変装をさせられて、お前だけが満足するのは、私は面白くない」

これも笑顔のまま言った。彼女は1度だけ瞳を細くして下ろしていた視線を私に向けた。普段よく見るその顔を私はまじまじと見た。見詰め合う格好になる。彼女は言葉を模索しているようだった。さあどう返してくる。

結ばれていた唇が薄っすらと開いた。

「今、鉢屋にお願いして見せてもらえないと、一生会えないかもしれないと思ったの」
「物騒な物言いだな。なぜ今なんだ?
「明日、野外で演習があるでしょう」
「…お前にしては随分弱気な考えだな」

彼女は俯きながら首を小さく横に振った。

「…まあ、いいだろう」

もう少し彼女の声を聞いていたかったが、そうそうに切り上げる。握り締められたその制服、皺になるぞ。言ってはやらないが。

で、誰に化けてほしいんだ。言っておくが私の見たことのない人間はムリだからな。
言いながら顔面に手を添え俯く。今私はちゃんと雷蔵の顔で薄く笑えているだろうか。自信がない。明日の野外実習で死なない自信のないこいつと決まりの悪いお揃いだ。野外実習なんて毎度のことだろう。ただ少しいつもより危険なだけだ。
…死ぬ前に1度見ておきたい男の顔なんて、私にとって一匙の得にもならない。けれど気付いてくれればいい。私はなんの得にもならないことでも、お前のためならやってのけてしまうのだと。

「鉢屋三郎」
「は、」
「あなた自身に、変装してほしい」

真っ直ぐな瞳で馬鹿なことを言うやつだと思った。返す言葉が見付からない。いや違う、見付からないのではなく脳が見つけようとしないのだ。

「どうしたの、変な顔して。…やっぱりだめ、よね?」
「いいや。…どうしてまた、しかも私に、変装?」

彼女は柔らかく笑った。話し始めて初めて見た、安心しきったような笑顔だった。

「鉢屋三郎が、鉢屋三郎だと思う人に変装してほしいの。それでわたし、…鉢屋は嫌がるだろうけど満足、だから」

たどたどしい自分の言葉に苦く笑うと、ごめんね変なお願いだねと俯いてしまう。

私は身内と学園のごく一部の先生以外に1度も素顔をさらしたことはない。1度も、だ。変装名人としての誇りや自信が私にはある。だから無断で顔を拝借されてる雷蔵だって止めろとは言っても非日常を日常として化かしてきた私の素顔を見せろとは言わなかった。勿論目の前の彼女も、竹谷や兵助も。

それを踏まえて彼女は私に私の変装を頼んだのか。死ぬ前に、1度だけでいいから見ておきたい男として、私を。

「馬鹿だなお前は。こういうときは涙ぐんで素顔が見たいと呟いた方が可愛いんだぞ」
「そうしたって見せてなんてくれないくせに」
「ああそうだな、見せないさ。悔いを残させたいからな」
「ならこう選択して、正解だったでしょ?」
「しかし気に食わないな」

わかりきったような笑みは私には諦めのように見えるよ。故意なのかは計り切れないが面白くないことには変わりなかった。なぜどうしてもっと踏み込もうとしない。お前が踏み込んでこないと私は拒絶することも抱きしめることも選択することを赦されないんだぞ。

「もっと求めてみろよ」


(神、いいや私はそれをお赦しになるだろうよ)
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