▼ 七松

「送って行くよ」

マフラーを巻いて、乱れた髪に指を通していたら七松先輩がこたつからすくっと立ち上がった。七松先輩とは頭ひとつ分と少しくらいの身長差がある。わたしは俯きがちに嬉しそうな顔を隠してもう一周、ぐるりとマフラーを巻いた。

七松先輩の地元駅はこの時間帯とても静かだ。無人駅ってこんな感じなのかな、と周りを見渡してみる。今日は端っこのベンチに3人ほど。どの人もマフラーを口元まで巻いて俯いていた。

わたしは七松先輩と改札口の前、繋いだままだった指をほどいて切符を買う。見慣れてしまった値段に迷うことはない。固いボタンを押して切符を引き抜き、振り返る。七松先輩がこっちをじっと見ていた。よっぽど寒いのだろう、鼻の頭を真っ赤に染めている。
数秒見詰め合うとそれが合図であるかのように七松先輩の顔が下りてきて、ふっと目を瞑った。唇にほんのりと温かみを感じる。

どちらからともなく距離が出来ると名前、と呼ばれた。
すごく間近にある、七松先輩の真剣な表情。いつもの満面の笑みからは想像もつかないような眼差し。わたしはグラリと眩暈のするような気持ちになった。完全にほだされてしまっているのだ。

(ああ今日ももうさよならなんだ)

返事も出来ず視線をさ迷わせていると右腕を軽く引かれた。ぽすっと七松先輩の胸元に収まる。そして後を追うように背中に回された腕にぎゅっと抱きしめられた。さっきまで傍に置いてあった七松先輩のクッションの匂いがした。

「せんぱい…?」

何も答えない代わりに七松先輩はわたしをぐいと引き離す。何事かと見上げると眉を寄せて少し思い詰めたような表情で一瞬反らした視線をまたわたしに合わせると、ちょっと待っててと呟きポケットをあさりだした。ひい、ふう、みい、と握られた掌の中身を数えるとちらりとわたしを見て七松先輩は言った。

「名前、20円貸してくれないか」
「20円…ですか、ちょっと待って下さいね」
「うん、」

さっき切符を買ったときに返って来たおつりから20円を手渡すと七松先輩はいつもの笑顔でありがとう!と笑った。ああ可愛いな、と見惚れている間に七松先輩は切符を買って来て、じゃあ行こうかとわたしの手を引いて歩き出す。

「え、あ、…どこか行くんですか?」

前を行く大きな背中に話しかけるとそれは急停止して振り返った。七松先輩は照れ臭そうに頬を朱に染めていた(たぶん、寒さのせいなんかじゃない)。
絡まった指にきゅ、と力が篭る。

「もう少し、送って行くよ」

電車内はどの車両もガラガラで、七松先輩は貸し切りだなーなんて言って笑うと座席の真中にどすんと座った。その横に腰を下ろすとドアが閉まって軽い揺れと共に動き出す。
ほんとうにこの世界に2人だけしかいないようだった。灯った光が暗闇の中を左から右に流れてゆく。ネオンの看板もオレンジの電灯もすべてが優しく見えた。

「名前、」
「なんですか?」
「んー…いや、なんでもない」
「そうですか、」
「あー、でも言おうかな」
「…言いにくいことですか?」
「そんなことはないよ」
「じゃあ言って下さい」

もったいぶらないで、と目線で言いながら顔を覗き込むと七松先輩は前屈みになっていた態勢をこちらに崩して触れるだけの軽いキスをした。

「名前が好きだよ、って」

驚いてしまったわたしは声を上げることも出来ず瞬きさえ忘れて目の前の七松先輩を凝視していた。してやったり、と言いたげな表情でいたずらっぽく笑っている。

「いつも、大丈夫ですって言って改札までしか送らせてくれないこと、ほんとは気にしてたんだ」
「だ、だってそんなに遠いわけじゃないから…」
「距離とか関係ないよ。1人で帰らせて心配なんだよ、俺は」
「わたしが勝手に先輩の家に行きたがってるだけ、です」
「じゃあ俺も、勝手に名前を送りたがってるだけ、だよ?」

優しい瞳に見つめられて、それ以上はなにも言えなくて口を噤んだ。
わたしはまだまだ子供だ。言葉で勝てないのもそうだし、考えてることだってぜんぜん良い方向に向かない。おまけに口下手な方だから七松先輩の望むことだって言えないし、時々誤解だって生じる。
ほんとうはただ、そう、例えば七松先輩のように素直に気持ちを言葉にしたいだけなのに。

がたんと揺れたのとほぼ同時くらいに左肩に小さな重みを感じる。見なくてもわかった。

「眠いんですか?」
「んーん、でもなんかくっ付いていたいじゃないか。せっかく2人なのに」
「…そうですね、」

心地良かった。そっと七松先輩に頭を寄せて目を瞑る。膝に置いていた手をぎゅっと握られてほんの少し泣きそうになった。こんなにも愛されていることに、わたしは七松先輩に何も返すことが出来ないなんて。
好きです、とそうただ一言言えれば。

電車が止まってプシューとドアが開くと2、3人が乗車して来た。それでも七松先輩はもたれかかることも手を握ることも止めなかった。少し恥かしいので俯いたままやり過ごす。決して嫌だとは思っていないことだけは伝わっていればいい。寧ろ好きで好きでどうしようもないということは、いずれ言葉にするつもりだから。

揺れる、揺れる、揺れる、

(電車の揺れって気持ちいいな…七松先輩、ほんとに寝ちゃってたらどうしよう)
(帰りの電車賃ないから泊まっていい?なんて聞いたらどんな顔するんだろう)

081217
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -