▼ ↑カイン
「教官、」
その沈黙に耐えきれずに声を出したのは、わたしの方だった。適当に寛いでくれ、と言われても初めて入った教官の部屋で落ち着けるはずもなくわたしは部屋の奥にある大きな窓の側に寄り添った。必要なものしか置いていない、殺風景な部屋だった。まあ、教官らしいといえばらしいのだけど。
わたしの呼びかけに教官の肩は見ていてわかるくらいに震えた。ああ教官もわたしと一緒にいることを苦痛に思っているんだ。ぼんやりとそんなことを思った。
もうさっきまでの怯えはわたしにはない。その代わりに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。教官に向かって死んでも知らないなんて言ってしまったことの重大さをようやく理解したのだ。謝罪の場をもらえたことに感謝しなければ。
「あの、先日は」
「すまなかった」
「…教官?」
わたしが謝る前に教官ががばりとわたしに頭を下げた。一瞬ぽかんとしてから慌ててやめて下さい、と駆け寄る。
「違うんです、わたしの方があんなこと…本当にすみません」
「いや、お前は俺のことを心配してくれたのに俺はお前を邪険に扱った。お前が怒るのも当然なんだ」
「…わたしは、マルスさまの近衛兵です。でも教官が傷つくのを黙って見ていられませんでした」
「ああ、知ってる。お前はそういうやつだ」
頭を下げたままの教官のつむじが見えて、なんだか変な気分だった。それでも今の情けない顔を見られなくてよかった、と心底思う。
「傷の方はもう、いいんですか?」
「ああ、すぐによくなるらしい」
「そう、ですか」
予想以上に残念そうな声色になってしまってわたしはハッと口に手を当てた。それを教官は見逃さなかった。下げた頭のまま上目遣いで視線を向けられる。その唇は悪戯っこのようにつり上がっていた。
「残念か?」
「そうじゃなくて、」
ならなんだっていうのか、自問してみても明確な答えは出ない。教官がゆっくりと顔を上げるのと同時にわたしは緩々と視線を下げた。頼りなげな足元と石畳の床が視界に入る。
「名前」
「なんですか…っ」
「もうそろそろ教官、というのはやめないか?」
「え?」
顔を上げると久しぶりに見る柔らかな表情の教官がいた。胸がどくんと高鳴る。
「俺はもうお前の教官じゃない」
「でも、」
「俺たちの間にはもうさほどの上下関係もないはずだが?」
「です、が…」
なおも言い淀むと教官は微笑んだままわたしから視線を外した。そして 偶に羨ましくなるんだ、と独り言のように呟いた。なにがだろう、と思うも心当たりがなく先が読めない。続きを促すようにその横顔をじっと見つめた。
「ルークやロディ、ライアンが」
「…なぜですか?」
今度は声に出して問うと教官の目線が戻って来た。すぐに言葉を探すように明後日の方に向けられてしまったけれど。
「…そうだな、この戦いが終わったら聞いてもらうことにする」
「え、そんな」
「それまでに教官と呼ぶのをやめるように」
そういったくせに口調はやっぱりわたしの知る教官のままだった。そのあやふやさにとりあえず惰性で頷いてから、できるかどうかはまあ後でいいかという気分になる。
ああでもどうしてだろう、自分の頬が熱いのがわかる。目の前の教官と同じくらい。
それは例えるなら濫觴
(つまり、始まりなのだ)