▼ ↑カイン

廊下を歩いていたときに部屋から出てこられるマルスさまを見つけて走り寄る。マルスさま、とお声をかけると彼はこちらを振り向いてやはりにこやかに微笑んだ。

「お出かけですか?」
「うん、ちょっと散歩に」
「ではわたしも、」
「平気だよ、1人ではないし」

前方を見据えて少し照れたようにマルスさまは笑う。
視線の先にはシーダさまの姿があった。ハッとしてすみません、と頭を下げるとマルスさまはそれよりも、と僅かに声を潜める。

「名前、なにかあったの?」
「なにか、とは?」

聞き返すとマルスさまは言いにくそうにうーん、と声を漏らした。少し考え込んでから、最近なんだか違うような気がしてと続けられる。

「違い、ますか?自分では全然…」

マルスさまがなんのことを言っているのかよくわからなくて、わたしも同じように首を傾げる。まず外面的なことなのか内面的なことなのかさえもわからない。誰にもなにも言われなかったし、思いもしなかったことだ。

「カイン」

聞いた瞬間、背筋をずんっとなにかが駆け抜けて行くのがわかった。

「って、言えば思い当たることがあるんじゃないかな」

言われて頭の中をあの鮮やかな赤が支配していく。最後に話したのはあのときだ。あれから言葉を交わすどころか目さえ合わせていない。

「君の隣りにはずっとカインがいたから、最近なんだか変に感じるんだ」
「そ、そうでしょうか、ずっとだなんて」
「ずっとだよ。カインは君をとても気に掛けているし」


冷たい廊下は佇むには冷たすぎて、そして寂しすぎた。さっきのマルスさまの言葉が頭の中に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。認めたくなかったものがゆっくりと輪郭を露わにしていくような気がする。

君とカインの表情が暗いのもそのせいじゃないのかい?

諭すように優しく紡がれた言葉をすんなりと呑み込むことができない。それなのにどうしてこうも言い当てられてしまったような、それに対する警戒心と焦燥感が拭えないのだろう。

ああきっと、認めても仕方のないものだとわかっているからだ。


立ちすくんでいても仕方ないか、と気付いて踵を返そうとしたとき、前方から教官が歩いてくるのが見えた。わたしがはたと歩みを止めると向こうも気がついたのか、あ、と呟いたのがわかった。
死んでも知らない、と啖呵を切った手前和やかに接することができそうにない。意地っ張りな自尊心が邪魔をする。その上さっきのマルスさまの言葉を思い出して余計に思うようにいきそうもない。ここは接触を避けるべきだろう。教官だってどう対応すればいいのかわからないだろうし。
ぺこり、と頭を下げて傍を通り過ぎようとしたとき、わたしの腕はなんの前触れもなしに掴まれ引き寄せられた。
反射で顔を上げると教官の視線とかち合う。その予想以上の近い距離にわたしは腕を引っこ抜こうとした。

「名前」

でもどうしてかそれは叶わない。名前を呼ばれると自分の身体から力が抜けるような気がした。耳の奥がどくどくと脈打つのがわかる。

「なん、ですか」

必死にそれだけを絞り出して俯いた。肩が震えているのは絶対に悟られたくない。

「…いや、マルスさまはどちらにおられるかと思って」
「先ほどシーダさまと出掛けられました」
「そう、か」

教官の視線がわたしから外れた気配がして、わたしはゆっくりと彼に目をやった。例の傷跡には丁寧に包帯が巻いてあった。安堵すると同時にまた現われる黒い感情がせり上がってくるような気がして、わたしは強引にでも歩き出そうとした。その一瞬手前に、やはり彼の手に阻まれてしまったが。


「少し、話をしないか」

微笑んでいるのかそれともいつもの真摯な表情をしているのかは伺えなかったけれど、わたしは返事の変わりに目を伏せた。

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