▼ 豪炎寺修也

「帰りたくない」

ぐす、と鼻をすすって足元に落としたままの視線で彼女はそう呟いた。実に3度目の呟きにおれはやはりくらりとしてその頼りなげに赤くなった鼻から目を反らす。
そんなことを言ったってもうあと10分程度で彼女に定められた門限は破られる。それはおれよりもむしろ彼女の方が痛いほどわかっているはずなのに。

「ねえ、帰りたくない」

そんなこと何度も言わなくたってわかってる。だけどおれは首を振った。彼女の意に反して 帰ろう、という合図だった。
やだ、彼女は言った。目線をやると彼女はひどく悲しそうな顔をしていた。傍らの肉まんの袋と冷めた紅茶と、真っ暗になってしまった空さえも彼女の帰宅を促しているというのに。

ベンチに座っている彼女の真正面に立って、ずれてしまったマフラーを巻き直してやる。不満げな表情が向けられているのはわかっていたが、敢えて触れはしなかった。
彼女の首元から離れかけたおれの手を、彼女が掴む。視線がかち合って、寂しげに開かれた彼女の唇からおれの名前が零れた。

「すき」

縋るような、哀願でもするような瞳だった。

「困らせてごめん」

わがままを言って、困らせて、でも好きで、だから帰りたくない。瞳は申し訳なさそうに揺れているのに手はおれを掴んだまま離そうとしなくて唇は帰りたくないとしか言わない。

おれの手を掴む彼女の手に力が込められたことに気付いて顔をあげると、彼女は小さく帰る、と言った。いじけたような、拗ねたような角度に曲げられる唇がいつもよりずいぶん幼く見えて、それでいてひどく可愛らしいと思った。

だから不意をつくようにキスをした。彼女は驚いて目を開けたままだった。それを知っているのは、おれも彼女を見ていたくて目を瞑らなかったからだ。

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