▼ カイン

新・紋章

虚空の敵に向けた愛剣の切っ先が僅かにぶれていて、自分の身体の予想以上の疲労をそのとき改めて知った。
第七小隊の隊長、そしてマルスさまの近衛兵になってから来る日も来る日も実践と鍛錬に明け暮れた結果だ。疲れていたのかもしれない。でも、知らないフリをした。褒められることも仲間を守りきることも生き甲斐だったから。

「そのツケがこれかな」

息を長く吐くとガクガクと震える膝が視界に入る。意識すればするほどせり上がる恐怖にわたしはゆっくりと腰を下ろした。疲労を認識するのが今日でよかった。もしも昨日や明日であったならば、誠実さを絵に描いたようなあの騎士に叱られていただろう。体調管理もりっぱな修練だぞ、と。
瞳を鋭くして激を飛ばすあの赤を想像して頬が緩んだ。わたしはきっと、あの日々を一生忘れない。

「名前?そんなところに座りこんでどうした?」
「カ、カイン教官!」

胸中に思い描いていた人物の登場に我が目を疑う。修練場のドアをくぐりながら柔らかい笑みで歩いてきたのはやはり教官で間違いない。
いい加減に教官はやめろ、と照れ笑いも忘れずに言われてどくりとする。その表情にひどく惹かれる半面、やはりわたしはまだ彼の生徒で有り続けることを許されたいのだ。

「きょ、今日は修練の日では…」
「ああ、今日は個人でここに来た」
「そうでしたか」
「それよりどうしたんだ?休憩中か?」
「はい、…そんな感じです」

苦しい言い訳にへらりと笑うと教官は一瞬探るような目をしてから、俯きがちにそうかと微笑んだ。きっと何もかも教官にはバレているのだろうけど、こうやって見て見ぬフリをしてくれるところも、わたしは。

「教官」
「ん、」

わたしに背を向けてウォーミングアップを始める教官が少し、気を許したような声色で返事を返す。わたしは大してかける言葉なんて考えていなかったから、すぐには答えられずに追ってこちらを捉える教官の真っ直ぐな瞳を見返した。

「どうした?」

最初は、騎士の鑑のような人だなと思った。誠実で、真っ直ぐで、強くて、優しくて、そんな彼に必要以上の気持ちを寄せるようになったのは、いつからだったろう。

「教官は、守りたい人っているんですか」
「ああ、いる」

自信に満ち溢れた笑みが返って来る。その表情と言葉に、心臓が平手でも打たれたような衝撃を広げる。苦くて甘いような、もどかしい痛みが全身に走ってるみたいできつく目を瞑りたくなる。堪え切れずに顔を俯けた。

「その人の盾になれるなら、死んだっていい。元よりその覚悟でここにいる」

頭の上から降る言葉に、やはり彼は騎士の鑑だと思った。わたしはできるだろうか。マルスさまを貫こうとする刃の前に立てるだろうか。あなたが無事でよかった、と、わたしの死と引き換えに生きながらえるマルスさまに、最期に笑みを見せられるだろうか。

「だが誰も死ぬつもりで生きることは許さん」

顔を上げるとやっぱり真っ直ぐな瞳がわたしを見ていた。不意に息が止まる。

「皆で共に生き残ることを考えて戦え」
「きょう、かん」
「例外なくお前もだ。残されたものが背負う悲しみを忘れるな」

まるでわたしの胸中を悟ったかのように教官は言った。そして柔らかく笑んだ。ついでに髪をくしゃくしゃとやられて、わたしは何も言えずにただただその瞳を真っ向から受け止めた。

「お前はまだ若い。無茶もいいがほどほどにな」
「…はい」
「今日は幸い出撃もない。夜はゆっくり休むように」
「で、でも」
「返事は」
「は、はい!」
「うむ」

腕を組んで珍しく教官面をすると大きく頷いてわたしの背中を押す。どうやらこのまま寝床へ帰れということらしい。幾分か楽になった足をゆっくりと動かしながら、教官にぺこりと頭を下げて修練場を後にする。その際ちらりと振り返ると、教官はわたしを見張りでもするかのようにまだそこに立っていた。
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