▼ ガイ

*ヒロイントリップもの。

汗の玉が浮かぶあなたの額に、果たしてわたしは触れてもよいのだろうか。

初めて足を踏み入れた、帝都グランコクマの涼しげな風が窓からそうっと入ってはわたしの頬を掠めてゆく。
目の前のベッドで横たわり、今は少しだけ穏やかな寝顔のガイは先ほどまでその青い瞳に殺意を込めて赤髪の彼を見ていた。わたしはそれを知っている。
過程も理由もなにもかもとは言えないが、彼の抱えるものを、わたしは言われずとも把握していた。なぜならわたしは彼らの世界を外から客観的に見るだけの人間であったはずなのだから。むりやりこの世界に引きずり込まれた、というのが正しい。
だからわたしは余計に、彼の額に張り付いた前髪に触れていいものなのかわからないのだ。

「名前、僕たちは少し外の空気を吸ってきます。ガイをお願いしますね」

力を使って疲れたらしいイオンが柔らかく微笑みながらアニスを連れて出て行ってからまだ5分も経っていない。なのにまるでもう永遠にこの景色を見ているような錯覚さえ覚えてしまう。

「ガイラルディア」

あと数十分もすれば彼らが現われてガイの正体が明らかになるのだ。それを思うとどうしてか胸の辺りがキリキリと傷んだ。話しをするということは、当然ながらあの日を思い出さなければならないのだから。

わたしはあなたの額に浮かぶ汗の玉さえ拭ってあげられない。わたしとあなたは違う世界の人間で、ずっと一緒にいられる確証がこの世界の人たちよりも格段に低い。いつかさよならをする日が来るかもしれない。いや、さよならさえ言わずに離れ離れになってしまうかもしれない。

膝の上で冷たくなった指を握りしめながら顔を俯けると涙がぽろりとその上に落ちた。
ああ、逃げだ。これは逃げなのだ。ガイに触れない理由を正当化しようとして逃げていることに気付かない逃げなのだ。

「ガイラルディア」

容赦なく涙が溢れて両手で顔を覆った。ああ愛しい。この人が、ガイが誰よりもいとおしいのだ。

「名前」

風の音かと思った。指の間から目線を上げると横たわったままのガイがわたしを見て弱弱しく笑った。まだ少し顔色が悪いのに気丈にも彼はゆっくりと起き上がるとわたしを覗き込んだ。

「どうして、その名前を?」

咎めるような声色ではなかった。ただ諭すように。言うなれば なぜ泣いているのかとでも聞くような優しい声。わたしは堪え切れずに俯いて下唇を噛み締めた。殺せなかった情けない声が漏れる。指から手の甲、腕を伝って涙が膝にぽつりぽつりと落ちる。

「いや、いい。いいんだ、知っていたって。寧ろ君が泣いていることこそが、答えだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい ガイ」
「どうして謝るんだ。俺の方こそ、驚かせて悪かった」

肩をしゅんと落としてガイは力なく笑った。その視線はどこか虚空を彷徨っていて、わたしには届かない。ガイは今なにを思っているのだろう。なにもない宙にどんなものを見ているのだろう。

「名前は不思議な子だな」
「…どうして?」
「時々、透けているかのように見えるんだよ。物理的じゃなく、…なんていうか、こう、儚いもののようにね。まるでこの世のものではないような。けれどやっぱり人間で、女の子だから、 俺は竦んで触ることができない」

それが嬉しくもあり、悲しくもあるのだとガイは照れくさそうに笑った。わたしの涙はすっかり乾いていた。グランコクマの透き通った空気を吸い込むと火照った頬が浄化されるように落ち着く。

「ガイ。わたしはここにいるよ。今わたしはここにいる。ここにいるから、ガイを前にして、怖くてガイに触れていいのかわかんなくて、苦しい」

でもこの苦しみが幸せなのだということに、わたしはようやく今気付いたのだ。ガイがいて、ガイに触れられないこの胸の苦しみが、ガイがいなければ味わうことなど到底出来ない幸せなのだと。

「名前、もう一度呼んでくれないか」
「 …ガイラルディア」
「うん、やっぱり な」

とても優しい、世界で一番の音だよ

わたしのこの世の果てがこの世界でなくても、あなたの耳にはもうこの音が残ってしまうのだろうね。わたしはもう、プレイヤーではないのだと。
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