▼ ↑谷口

は、と目が覚めると部屋の中は薄暗かった。恐らく帰宅後すぐにソファに倒れこんだままの状態だ。しまった、今日中にまとめておきたいプリントとかあったのに、明日だって学校だしメイクさえ落としてないし、ああ、ご飯もまだだ、今何時だろう、先にお風呂の方がいいかな。
備え付けのテーブルに置いてある携帯に手を伸ばすと肩からずるりとなにかが落ちた。途端に襲う冷気に縮こまる。毛布だろうな、とそれを引っ掴むとそれは予想以上に薄い布だった。暗がりではわからないが、数年前にわたしも身に着けていた、これは…

「ブレザー?」

しかもどう見ても男物。わたしのものではない。驚きはしたがそれは確信に変わる。眠る直前、あいつの声を聞いたような気がしたのだ。こういうキザなことするの好きだからな、あいつ。握っていた携帯を開けるとデジタル時計が9時を少し過ぎたことを告げていた。

「起きたんなら返せよな」

その声は暗がりに突然響いた。奇声を上げそうになったのを寸でのところで堪える。ああ心臓が飛び出しそうになる、とはこういうことを言うのだと1人で納得してから、ソファの後ろに首をやる。わたしの考えが正しければ、ソファの後ろに奴はいるのだ。

「まだいたの」

暗闇に徐々に慣れ始めた目が、彼のオールバックを捉えた。彼は盛大なため息をひとつ吐くとやれやれとでも言わんばかりに肩を竦めて、それからようやくわたしの方を見た。切れ長の細い目とかち合う。

「ねえ、なんで来たの?」

比較的穏やかな口調で問うたはずだったけれど、谷口の瞳はとても鋭くなった。少し怒っているようだ。そんな彼の隠しきれない感情の滲みに、自然に頬が緩む。可愛いな、年下の男の子ってなんでこんなにも、可愛いのだろう。

「わたしたち、もう終わったよね?」
「ああ終わったさ、お前からの一方的な言葉でな」
「だって谷口のナンパ癖が直らないんだもん」
「お前だって男遊び激しいだろうが」
「谷口の方が先よ。それに度合いだって上」
「はっ、俺から言わせればお前の方がひどいぜ」
「…ねえ、」

付き合うってなんなのかわたしまだよくわからない。付き合わなくちゃできないことなんてなにもないじゃない。それなのにどうしてそんな肩書きに囚われてまで、あなたを愛さなければならないのかしら。手を伸ばすとすぐに、触れられる距離に愛しいぬくもりがある。久しぶりに指に感じた彼の体温は、ひどく冷え切っていてよくわからなかった。

「こういう運命なのよ、」

苦し紛れに出た自分の言葉に、ひどく吐き気がした。大人になるということがこういうことを指すのなら、わたしは大人になんかなりたくないなんて、…もう言えない。わたしは彼とは違う。わたしは彼が間違った道を歩もうとしているのなら、自分でもぶん殴ってやりたい程の大人の声を使って彼を諭さなければならない。それがわたしの、使命、なのだ。
卵が先か、鶏が先か。そんなことはもう忘れてしまったが、わたしと彼とではすれ違うこと以外できはしないのだ。ならこの無意味な関係に終止符を打たなければならない、他でもないわたしが。

「ごめんね」

さあ、暗がりのうちに帰りなさい。
ああ、わたしは、世界で一番のクソ女だ。

song by "Bad Sweets"
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