▼ 鬼道有人

何時間経っても頬の痛みが引かなかった。いっそ、爪でも立ててやりたいと指先に力を込めたら手首を軽く引かれて、わたしの中途半端な頬杖は崩れた。わたしの手首の向こうにしかめっ面の鬼道さんがいて、わたしはわけもわからず数秒間、間抜け面を彼に晒すことになってしまった。

「え、なん、」
「頬、どうした」
「へ?」
「赤くなってる。爪痕は自分で作ったか」

しまった、もう爪を立ててしまっていたかと自分の無意識が怖くなる。
ふいに鬼道さんの指先がわたしの頬に触れた。熱を持った頬に触れるその指は些か冷たさを感じさせて心地よい。酔うようにしてその感触を受け入れていたら静かな声でどうかしたのかと問われた。

「わたし、友達の彼氏取ったらしいんです」
「…らしい?」
「つまり本人にその気はなかった、ということです」
「友達の勘違いということか?」
「少し会話する機会があって、そのときに、わたしのことを、その…彼が気に入ってくれたみたいで、そのままあれよあれよと友達はフラれたそうです」
「それは災難だったな」
「身に覚えもないまま、裏切り者!と一発でしたよ」

頬を擦る。やはりまだ痛みが残っていて、彼女のあのおっかない表情が頭の隅にこびりついている。恐怖はなかった。それ以外の感情も。ただ気付いたら叩かれていて、頬が腫れていたのだ。裏切り者?彼を繋ぎとめておけなかった自分を棚にあげてよくいう。

「裏切り者、か」

鬼道さんがわたしの心中を察したように呟いた。裏切り者。わたしはただなにも考えずにのうのうと生きていただけなのに知らない間に裏切り者になっていたのか、と客観的なようで主観的なことを考えていた。彼がわたしを好きになったからわたしは裏切り者。

「ならわたしはこの汚名を甘んじて受けようと思うのです」

わたしは、わたしを好きになってくれた彼を裏切ります。目の前にいる、わたしのたった1人の神さまを愛することで。そう、この覚悟は頬の痛みと共に。

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