▼ 鬼道有人

人魚姫は泡になり消えてしまいましたとさ。

どれもこれも昔話は幼い頃に聞いたっきりで始まりもお終いもきちんと暗記していた試しがない。人魚姫という昔話もただその一節が脳裏の隅の方に残ってるくらいだ。昔話なのにハッピーエンドで終わらないなんて。それが昔、ショッキングであったことはなんとなく覚えているけれど。
人魚姫が溶けた海は、どんなだったんだろう。

先生の話しも碌に聞かずにノートの端にがりがりと人魚姫の足(つまり魚の部分だ)を描いていたら無性にサンマが食べたくなった(わたしの感性なんて所詮こんなものだ)。
ああ、つまんない。
わたしならどんなことをしたって消えたりしないのに。机に突っ伏して右を見やると真剣な目で黒板を見詰める鬼道くんの横顔がある。このくらいの授業内容なら完璧に理解してるはずなのに(聞いておいて損はない、だったっけな)。
わたしならぜったい鬼道くんの前からいなくなったりしないのに。

じっと見ていたことがバレたのか、徐に鬼道くんはこっちに顔を向けた。ゴーグルでその瞳は見えないけれど、形の整った眉が怪訝そうに顰められる。あ、その表情好きです。なんて、軽くあしらわれるだけなのに。

不毛だ。こんな恋、しないに限る。わたしの王子さまはそもそもわたしになんて興味がないから、わたしは声を失うことも泡になることも許されはしない。
ただこうして、近くにいたいがためにサッカー部のマネージャーになったり、その声を聞きたいがためにサッカーの勉強を欠かさなかったり(おかげで授業は寝不足でボロボロだ)、目が合えばいいななんておこがましい感情を抱いたりなんかして、ただ変なやつで終わる。
美しい脚も魔法の薬もナイフもない。
ないものねだり。そんなものがなければ動けないのかと自分を笑いたくなるけれど、仕方ないじゃないか。
わたしは人魚姫なんかじゃない。泡になって綺麗さっぱり消えることなんてできない。そう、まるでこの醜い感情のように。
(でもいいんだ、)
(それでも、いい)

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