▼ ジェイド
「せっかくの自由行動ですし、名前もその辺を散策してきてはどうですか」
前に、ケテルブルクに行ってみたいと言っていたでしょう、と微笑んだときのジェイドはそれはそれは天使のようだった。
(ん?彼の年齢で天使という表現もどうだろう、わたし)
確かに雪国、ケテルブルクはわたしにとって未知なる世界で(もともと暖かいところの出身だから)ほんとうは今だってすぐに外へ繰り出して広場を走りまわりたい。カジノで遊び倒したい。
けれどそれはね、あなたとやりたいことなんだよ。
「あ、…はい。そうします」
なあんて、そんな可愛いこと言える性格でもないんだ(わたしってほんとバカ)。
っていうかこんな人に恋してる時点でバカ。年の差、幾つあるんだろう。恋に年齢なんて関係ない!って思うけど、やっぱりジェイドはわたしのこと、世話の焼ける娘くらいにしか思ってないんだろうな。
(まず、恋愛感情を持ってもらうこと自体が奇跡に近いんじゃないだろうか)
だから時々、アニスに嫉妬したりする。2人の掛け合いってなんか、愛があると思うんだよね(ああわたし病んでる)。
わたしがもう少し大人で、可愛らしくて、放っておけないような女性だったら。そうなれたら。
仕方ないからとりあえずジェイドから離れて、ホテルから出てドアの影に寄りかかる。空からは絶えず雪がしんしんと舞い降りていた。
(そういえばわたし 雪なんて、初めてかもしれない)
雪ってすごく冷たい。どんどん体温を奪っていく。それだけなのにどうしてあんなにも焦がれたんだろう。
「どこかにわたしのこと愛してくれる人いないかなあ」
「なんだ名前、らしくないこと言ってんなあ」
わたしの独り言に声を返したのは、建物の影から出て来たガイだった。その綺麗な金髪に少し雪が乗っている。
「アニスたちとカジノに行ったんじゃなかったの?」
「いやー、俺がなに言ったって止まる気配なくてさ。抜けてきたんだよ」
やれやれと言わんばかりにガイはわたしの少し隣りで立ち止まり、空を仰いだ。わたしは雪が目に入るのを恐れて俯く。寒いな。息なんて真っ白だ。
ガイの方を盗み見ると、不意に目が合った。彼は優しく瞳を細めて寒いのかと聞いた。わたしは素直にうんと頷く。
(ジェイドのときは、こんなじゃなかったのに)
「悪いな。俺がこんなじゃなかったら抱きしめて温めてやれるのに」
「…ガイって優しいね」
「それは誰と比べているのかな」
「え、」
「ははっ名前は少しわかりやすいところがあるな。すぐ顔に出る」
「ち、ちがう…もん」
「でも俺はそんな名前でもいいと思う。可愛いしな」
「……あ、ありがと、」
ぼそぼそと語尾が小さくなってゆく。ガイは顔を背けながら軽く笑った。同時にわたしも情けなく笑って、少し泣いた。ガイを好きになればよかった、なんてバカなことを思ってしまった。ガイはそんなわたしには気付かない。ジェイドだって一生気付かないままなんだ。何があったって誰がどうだって、きっとわたしはジェイドにしか恋をしないのに。
だけどきっとその事実にも、ジェイドは気付かない。
その方がいい。わたしの醜い感情は、このまま雪と一緒に流れて積もって、そしてそのうちに溶けてしまえば。
「おや、こんなところで立ち話ですか。風邪を引きますよ」
軽く現実に引き戻されるようにホテルの入り口に目をやる。今しがた出て来たと言わんばかりのジェイドがそこにいた。
「お、そうだな。じゃあ俺はあいつらのところに戻るとするか。名前、引き留めて悪かったな」
「…うん。あ、ガイ…ありがとう、ね」
いいよ気にするなといつものキザなポーズでガイはカジノの方へ駆けて行った(さあ気まずいのはここからだぞ)。わたしはチラリ、とジェイドに視線を向けた。
けれどジェイドの視線は遥か遠く、明後日の方向だった(安堵した、…けれどやっぱり複雑だ)。
「もしや、お邪魔でしたか」
「…一応言っておきますが、ガイとはそういう関係ではありませんから」
「いやですねー、そんなこと言ってませんよ」
「それならいいんですけど、」
「それより、ずっとここにいたんですか?」
「…まあ」
「風邪を引いても知りませんよ。病人は連れて歩けませんからね」
「わ、わかっています…!」
「そうですか。それならどうですか、私とデートでも」
「…!」
「いやですか?なら仕方ありませんねぇ」
「いっいえ! わ、わたしでよければ…っ」
「では行きましょう」
にこ、と笑ってジェイドはさり気無くわたしの手を取った。思わず驚いて軽く引っ込めてしまったけれど、ジェイドの手から離れることはなかった。
やんわりと握り返して、雪の間を擦り抜けていく目の前の背中を追う(死ぬかもしれないと思った)。
(だってこんなに、)
「しあわせ、…」
「それはよかった」
ジェイドがわたしのことを、わたしがジェイドに接している感情で見てくれていないとしても。この旅が終わって離れ離れになってしまったとしても。いつか他の誰かと結ばれて、その人との間に幸せを見出したとしても。きっとわたしは今日のこの雪の日のことを生涯、何度も何度も思い返しながら生きるんだろう。
もしかしたら明日死ぬかもしれない。もしかしたら明日、ジェイドが殺されるかもしれない。
それでもわたしは、ジェイドに握られた手を、その温もりを一生忘れないんだろう。
(けれどそれまでに1度くらい、素直になってみようと思うんだ)
「…、すき、」
そう呟いた声は静かな雪に掻き消され