BLUESTAR 1   2012/03/23 23:00

 もしも帰る場所がまだあるのなら、本当はいつだって帰りたかったんだ。

 
屋上の縁に立って路地を見下ろす。
壁にへばりついた非常階段と、通用口の屋根と、ゴミ捨て場が見えた。
この付近はスラムに近いせいか夕方になると途端に人通りがなくなる。

この街は以前と何も変わっていない、ように見えた。
自分などいなくても世界は回り、社会は進んでいく。
かつて所属していた組織も、新体制で問題なく動いている。

――まるで、俺なんか最初から居なかったみたいだな。

吹き上げてくる生ぬるいビル風が自分の卑小さを突きつけてくるようで、酷く気分が悪くて、思わず舌打ちした。
遠く見える警視庁の夕闇でも目立つ巨大なパラボラアンテナが忌々しい。
向こうを飛んでいる遊覧飛行船が引っ掛かってしまえば良いと思う。

「タマキくん」
「なんだよ」
呼び掛けたくせに、どうせ彼は自分を見ていない。足元ばかり見ているに違いない。
 振り返らずともそれが分かったので警視庁を睨みつけたまま応えた。
 もうずっと長いこと、カナエの声が聞こえない。
「もう行くって」
「あっそ。何処に?」
「深川区の方」
「ふーん――うわっ」
突風に煽られバランスを崩す。

――まずい、落ちる。

「危ない!」
すんでのところでカナエが腕を掴み、引き戻された。
「……あ、……サンキュ」
「危ないよ。気を付けて」
掴んだ手は温かいのに、感情が消えた声で言う。

カナエはタマキを見ない。

――だけど、久しぶりにカナエの声を聞いた。

カナエから手を離されるのが嫌で自分で腕を掴む手を振り払い、カナエに背を向けて数歩離れる。
カナエの顔が見たい。
その表情が、侮蔑でも憐れみでも良い。
真っ直ぐこちらを向いて欲しい。
一体どのくらい顔を見ていないんだろう。

ふと顔を上げると、飛行船の窓からスコープ越しに真っ直ぐ覗く目と視線が合った気がして可笑しかった。

いっそあれがカナエだったら良かったのに。
自嘲気味に笑う。




「タマキくんっ!」



伸ばす手が、間に合わない。



――見逃したけどさっきも一瞬だけ、俺を見ただろ? そのまま見てれば、今も間に合ったのに。



焼きごてを押し当てられたように脇腹が痛い。



 ――もう一度、会いたいなぁ、J部隊の皆。



 内臓がせり上がる落下感が気持ち悪い。



 ――帰ったらオムライスを久し振りに作ってもらおう。あれ? 誰に?



カナエの顔が、焦りで歪む。



――そうだよ、ずっとその顔が見たかったんだ。



落ちながら脈絡なくそんな事を考え笑うのを、カナエはどう思ったんだろう。




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