02.慣れの恐怖
俺がここに来てから既に二年が経った。
慣れというものは恐ろしい。
始めはそりゃー、戸惑った。戸惑いまくった。
今でこそ普通に生活が出来るといった状態なのだ。
それこそ違和感の塊みたいな状態だからな。
まず、トイレ。
しょんべんをしようとトイレへと入ったはいいが、立ちションをしようとして慌ててち@こがない事に驚き尻餅をついた。
そして、風呂。
脱いだらそりゃー、もうナイスな体でした。
自分の体に見とれるなんてナルシストというわけじゃないがついじっと見てしまう。
男として当然だろう。
女体万歳だなとこの時ばかりは喜んだが、これが、俺の体かと思うと、同時に落ち込みもした。
で、次は服。
下着なんてな。はは。
ピンクだの、白だの。勝負下着だの。
ああ、まあいいさ。色は別に目を瞑るとしてだ。
ブラジャーとか着けたときは変態になった気分だった。
フックとか自分でつけるんだぞ。
いくら体が女体だからとはいえ、心は男なんだよ。
パンツだってこんなに小さいものじゃなくて普通にボクサーパンツみたいなのでいいじゃないか。
ただでさえ、下着という最終兵器を着ているんだ。
死にたい思いで、必死になって毎日着ているんだぞ。
だからスカートなんてものは絶対に履きたくなんかなかった。
男モンの服くらいせめて着させて欲しいだろ。
服くらい男でありたいと願うのは当然だろ?!
それが、許してくれなかったんだよ。ミトさんが。
泣く泣くスカートやらヒラヒラした服を着ているぜ。
最近じゃ化粧まで……。
もう男に戻ったときにはオカマちゃんとしてやっていける気がする。
どうしよう。女装癖とか出てきたら。
素性も知れない俺を居候させてくれたミトさんが大量に服を持ってきたら断ろうにも断れない。
しかも、「あら、ナマエ君は昔は男の子だったけど今は女の子なんだから」なんて言っているあたり確信犯だ。
結構俺で楽しんでいるに違いない。
まぁ、ミトさんのお古だったりと、喜ばしい事もちらほらあるわけだが。
そんなこんなで、はじめは渋々(でなかったら困る)着ていた女物の服だったが、今では普通に着れるようになった。
むしろ、男物の服より色々な組み合わせが出来るから面白いとも感じてしまう。
「って、おりゃー何考えてんだ!?」
違う違う! だから、ミトさんの用意した服だから着ているんであって、俺が好んで自ら着ているというわけではない。
あまりの自分の突飛な思想につい声を張り上げてしまったわけだが、誰にも聞かれていないよな。
恥ずかしい。
「ナマエ君。ちょっといいかしら?」
「ん? なんすか。ミトさん」
ゴン君に連れられ、やってきたこの家はなんでも店をやっているらしく、ミトさんとおばあさんの二人で切り盛りをしているみたいだった。
この店は昼は飲食店として、夜は酒場として営業している。
昼も夜もそれなりに人が常にいる店で、家族の暖かさが酷く身にしみる店なのだ。
それで、俺もミトさんたちの手伝いをしているわけだが、昼の食事時を過ぎた今、客は誰もいなかった。
天気もよく、俺はうとうとしていた。
そんな時にミトさんに呼ばれたのだった。
「もし、もしもよ。ゴンが本当に沼の主を釣り上げたら……」
涙声でミトさんが語る。
沼の主を釣る、というのはミトさんがだした条件だ。今日がその条件の最終日。
この世界にはハンターという職業がある。
何でも財宝を求めたり、絶滅種を保護したり、遺跡の発掘をしたりと、まあつまりは一言で言うなら冒険野郎の事だ。
ゴンがそのハンターになる為の試験を受けたいらしい。
オレとしては微妙な心境だ。
ゴンの気持ちもわかるし、ミトさんの気持ちもわかる。
「ミトさん」
ただ一言ミトさんの名前を呟き抱きしめた。
オレは部屋に飾られている写真の人物が気になっていたた。ゴンの瞳と同じ瞳をした男の写真。
ミトさんとゴンは親子ではないらしい。ミトさんの旦那と思っていた男は旦那ではないらしいし、
結婚してるのか。とミトさんに尋ねたら笑顔でそれは嫌味かしら? と返されてしまった。
あまりに気になったので、ある時、この写真の人物について尋ねたことがあったのだがミトさんとおばあさんが黙り、気まずい空気が流れた。
言いたくないことを無理に知ることはない。余計な詮索はしない方がいいだろう。
それ以来オレはこの写真について何も聞かなかった。
そうしてつい先日の事だったか、ミトさんがゴンにハンター試験を応募するための許可を与えるべく条件を出した日にゴンが自ら語ってくれたのは。
ハンターという職業と、自分とミトさんの関係。そして写真の人物。
ゴンのハンターになりたいという思い。
ゴンを応援してやりたいが、ミトさんの気持ちもわかる。
まだゴンは幼い。なんせ小学校を卒業する年齢である。
そんな子供を危険なハンター試験に参加させるわけにもいかないだろう。
ゴンの話だとミトさんはハンターという職業を嫌っているらしいし。
「ミトさん。オレはゴンが沼の主を釣るって帰ってくると思うよ」
「だっ…!」
ミトさんが何か話そうとするがポンポンと背中へ回した手でたたく。
この二年オレはゴンの遊び相手でもあった。
無理やり山であそばされ、海でも遊びに付き合わされた。
ゴンの身体能力は半端ない。そして、ゴンのやる事は何でも成功するのではと思わせるほどだったのだ。
それほどゴンはオレにとって眩しい存在であった。
異世界に来たオレがこうして今明るく生活できているのもゴンのおかげだ。
だからオレはこの未知の力に満ちたゴンが沼の主を釣ると思っている。
「ミトさんの気持ちわからなくも無いよ。でも、ゴンだったら大丈夫。もうアイツは立派な男なんだ。笑顔で見送ってやろうぜ」
「……ナマエ君」
「なんか、あれだな。ゴンが羨ましいぜ。ミトさんにこんなに心配して貰っててさ」
オレがそう言うとミトさんが柔らかくふふっと笑った。
「あら。ゴンに焼きもちかしら?」
「ん? まぁね。これで釣ってこなかったらこなかったでミトさん独り占めできないし、釣ったら釣ったで、ミトさんに心配させるんだもんな」
オレは腕後頭部で組み、視線を窓の外、ゴンが行った沼の方に視線を移す。
「女の子に言われてもねぇ」
くすくすと笑うミトさん。
なんだか少し嬉しくなった。
「はは! 今はこんなんだけど、男に戻ったらオレ、ミトさんと結婚したい位だもん。だからライバルなの、ゴンは」
「その言葉、有難くもらっておきましょう」
「ひっでー。信じてないっしょ!」
はははと笑うオレら。
ゴン。お前こんなに素敵な人に心配して貰ってるんだぜ。
わかってっか?
まぁ、アイツなら分かってるだろうな。釣って来いよ。
そうして、数時間後。ゴンは見事沼の主を釣って帰ってきた。
昼間ミトさんと話していたけどやっぱり、ゴンの事が心配なのに変わりはない。
オレだってゴンの事を弟みたく思ってるんだ。そんな僅かな付き合いのオレだって心配している。
きっとミトさんはオレなんかよりもっとゴンのことを心配しているに違いない。
不安げで、その不安さからイライラしているみたいだった。
「ゴン。いいのか?」
ミトさんが居ないこの部屋でオレはゴンに話しかけた。
ミトさんと話さなくていいのかと。
ハンター試験のサインを押した後ミトさんは部屋へと籠ってしまった。
「うん。オレはオレのやりたいことをやる。ミトさんもきっと分かってくれるって思ってるから」
「…そっか」
それから数日後。ハンター協会とかいうところから手紙が二通来た。
ん? と思い宛名部分をひっくり返す。
一通はゴン=フリークス宛。
そして、もう一通はというと……。
「ななな?!」
バタンと家の中へ入る。
「おい! ゴン!」
「あ、ナマエ。おはよう」
「おはよう。って、おい。これ見てみろ!」
たった今ポストから取り出した手紙をゴンに見せる。
「あー! やっと来たんだ」
「おい! これ。これ!」
手紙をバシバシと指で叩く。
叩いた場所はオレの名前が書かれた部分。
「うん! ナマエも一緒に受けよう」
「“うん゛じゃねーよ! 何だ?! これ」
「ハンター試験の会場案内」
いや、そうだろう。そうなんだけどさ。
思いっきりゴンの頭を殴った。
「ってー!」
「当たり前だ。何勝手に応募してるんだよ」
「だって、ナマエ、元の世界に帰りたいって言ってたから。きっとハンターになったら何か掴めるはずだよ」
さて、ここいらで俺の職業について話しておこう。
この世界に飛ばされる前まで俺は小児科医をしていた。
某医大にギリギリで補欠合格し、なんとか無事六年で卒業。
これもまた教授陣に泣いて、泣いて、泣きすがったおかげだが。
そして過酷な研修医時代を経てやっとという時にこちらへ飛ばされてしまったのである。
手に職といえばこちらでも立派にやっていけると思うだろうが、医者はそうはいかない。
なんせこちらでは無免許医なのである。
神の手を持つもぐりの医者にでもなろうかと思ったが生憎俺の専攻は外科ではない。
そりゃ、小児科といったらオールマイティーでなければならないが切ったり縫ったりは全くの専門外。
こちらで診察所なんて開いてもせいぜい家庭の医学程度の位置付けだ。
ましてや研修を終えたばかりの新人にそんなの無理。
子供好きで子供の為にと小児科医になったのであったが万年人不足。
毎日げっそりと頬がこけていくにつれ何で俺はこの仕事についてしまったのかと何度も後悔した。
ああ、話が逸れてしまったな。
それでだ、俺の最も得意、希望とする分野での職業につくのは不可能ということになった。
なんせまた医大を受験し免許をとらなくてはならないのだ。
身一つで飛ばされた俺にそんな金を持っているわけもなく、また身分を証明するものもない。
確かに、そのハンターとかいう職業は俺にとってとてつもなくオイシイ話だ。
身分証になるらしいし、入れない国にも入れる、そんでもってオレの帰る手がかりをつかめるかもしれない。
だがな、そんな命の危険とかある試験にわざわざ行きたくは無いだろうが。
そして、何より腑に落ちないのは
「オレの意思を完全に無視したお前だ! ゴン!」
「え? 何で」
俺はゴンの余りにもゴンらしいというかなんというか、そんな所に頭をかかえた。
コメカミが痛くなってきた。
「あーもういい。なんでもない」
応募したっていっても、行かなきゃいい話だ。ゴンにすら劣る俺が行ったら本当に死にかねない。
「頭いてぇ…」
「大丈夫?」
お前が原因だよ。ゴン。
2006*06*11
⇒栞 |