01. 手にしたのは缶コーヒー
バイクを飛ばして海辺を走る。嫌なことが有るときは名前はこうして気分を紛らわしてきた。
この広い海原を横に走ると何もかもがどうでもよく思えるのだ。それは天気がよかろうが悪かろうが関係なかった。この走っている道路から見える景色が浜辺だろうが岩場だろうが関係なかった。
潮風が頬に辺り、冷たく心地よく感じる。バイクの音とスピード感、そして見える海と風に俺は陶酔していた。
台風が来ている影響で海鳴りがしていたが、上陸まではまだ遙かに時間があったし、重く層雲が立ちこめていたが名前にとっては其れすらも気にならなかった。
「あー。くそ。店長マジむかつく!」
そう叫びながらクラッチを切りギアを変える。スピードメーターを見るとこの道の規制速度は優に超えていた。まあ、前に車もいるわけでもないし、飛ばすからこそすっきりとするのだ。
平日の昼間なのと、地域的な物からか今この道路を走っているのは名前だけだ。対向車線を見ても遙か遠い所に車が一台見えたくらい。
カーブが見え、外側から内側へと入り視線をまっすぐ曲がる方向へと見据え、体全体で曲がる。
ぞくぞくした。
ああ、流石は俺の愛しいボ●ティーちゃん。
中古とはいえ学生には少々値が張ったのだが後悔はしていない。それどころか、メンテすらも愛、愛、愛だ。
ホ●ダの物でもよかったのだが、中古屋でマイハニーを見つけた時にこいつに決めてしまった。貯金した金が一気に無くなったが満足している。ただカスタム面でちと…と思う点があるが、そこまでバイクオタじゃないし、ある程度走れればそれでいいのである。
暫く満足がいくまで走った俺は浜辺へと降りる坂をバイクを押して歩いていた。砂浜へとも道へとも良い具合な距離に止める。途中で買った缶コーヒを開け、砂浜へと直へ座った。ぼーっと海を眺め缶に口付けた。
波が荒れている。台風が上陸して危なくなる前に帰るか。
名前自身もそうだが、愛しのバイクが雨に濡れるのも御免だった。少し温くなってしまったコーヒーを、それこそ水の様に飲み干し、また海を眺める。
僅か数分しかここにいなかったが、さてと、ともう暫く海を眺めていたい思いを頭から振り払い、立ち上がった。ズボンについた湿った砂を祓い、愛しのボ●ティーへと足を向ける。
そんな時だ。強い風が吹いた。髪の毛が一気に乱れ、視界が悪くなる。ばさりと前髪をかき分け、海を振り向くと名前は眼を見開いた。思わず口も間抜けな事に開けっぱなしになってしまう。
―なんだ之は?!
渦があった。風も未だに止むことはなく先程の強い風が吹いたままだ。風の流れは丁度渦を描くかの様に吹き荒れ、渦の中心部はぽっかりと穴が開いているようだった。そこは黒しか存在しないかのごとく、暗く光が差し込めないようだった。
海ですらその渦のお陰か先程よりも荒れている。まるで、今台風がここに来ているかの様だ。
先程見ていた時も荒れているなぁ…なんてのんきに思っていたが、そんなものじゃない。高波が次々とこちらへ襲ってくる。あまりの勢いに海の色も変化していた。
波の所為で渦はここからでは見えなくなってしまったがきっとまだある。と名前は何を思ったかそう感じた。
こんな所にいたら波に攫われちまう。台風がこんなに早く来るなんて聞いてねえぞ。
名前はバイクへと走った。後ろからくる気配に気がついたときはもう遅かった。
海岸へと押し寄せる波というにはあまりにも恐ろしい海の爪が名前を襲った。足をもつれさせ、前のめりになる。そこで地面に手をついたと思ったのだが、その津波は引くときも協力だったらしく体を海へと持って行かれる。がぼがぼと喉へと塩辛い水が入っていき、ごほりと名前の体はその水を排除しようと咳き込んだ。
が、それが酸素を吐き出し余計に苦しくさせる。眼を開いてなんていられなかった。ただ、海の流れに流されてしまう。必死で腕や足をばたつかせるが、何の抵抗にもならなかった。
―俺、こんなところで死ぬのか?
そう名前が感じ、最後に思ったことは俺のボ●ティーちゃん、天国まで乗せてって。なんて言葉だったりするあたり親不孝者かもしれない。
*******
ズボンが足に張り付き、また肌を優しく撫でるかの様にふわふわと足を撫でる。水が冷たいとも暖かいとも思えた。重たい瞼をゆっくりと開けると砂が目に入った。体半分ほどが、まだ海につかっている。波打ち際にこうして倒れているあたり、助かったのか…と自分の運の良さに感謝した。あれだけの波に飲まれて生きているとは、本当に運が良かった。
ガホ。咳き込むと僅かだが水をはき出した。体に力が入らない。指先は動くが腕が動かなかった。うつむせになった状態になっているために、砂浜との距離が近い。海岸にはあの台風の影響か枝やら何やらが辺りに散らばっている。結構な影響を与えていたらしい。枝と言ってもそれこそ太い松の枝や、なんか、わからねー枝。そりゃ、あれだけの波をつくった台風なんだからこれ位当然か。
ぼーっと考えていると人の声が聞こえてきた。
有り難い…。
「ふじこふじこ!」
おい、ふじこって…何か俺したかよ。
人のことを指さしながら男が此方へ小走りで駆け寄ってきた。ひらりと走るたびに見えそうになる腰の布に俺は眼をどこにやって良い物かと思索した。生足でこんな風にみえるのなら女の子がいいと思うのだが、すね毛のばっちり生えたおっさん。草鞋なんか履いてどこお田舎者だ。と思っていたら他にもおっさんが現れる。
皆、ひらひらと見えそうで見えないパンチラを演出しながらこちらへ駆け寄ってくる。誰も見たくはないよ。と言いたいが助けてくれる人にそんな事を言えるわけもない。
「じあら。ぶふがあ」
「…あ…」
何言ってんの?と言おうとしたのだが口が上手く回らない。一番に駆けつけてきたおっさんが俺を抱き起こした。上半身を起こしてくれると、何を思ったか俺に土下座をしてきた。あれ?とか思っているうちに、他の人たちがやってきて、これまた土下座をする。
いや、土下座というよりも、もっと遜った感じだ。なんてたって頭まで地面にこすりつけているのだから。
「すげつへこゆ、ふじこますじこぶそんでがうら」
何言ってるか全然わかんねー。とりあえず、体を支えていられなくて名前は砂へと倒れ込んだ。雰囲気で分かるのだが、皆が慌てた事は確かだ。
―あー。くそ、起きてらんねぇ。
体が弱っているのか眠たくなってきた。砂浜へ散らばった自分の金髪がキラキラと輝いているのをみて、髪の毛また痛むな、と思った。この間色をいれたばかりだというのに…。
(まるでおっさんらの格好は昔の農民だ。祭りでもやるのか?)
2006.10.06
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