03
もうずいぶんと前の事。
マルコがその店に入ったのも偶然で、オヤジに付き添い近くまで来たが、一時間程時間を潰せと言われたのでやって来たのが初めての事だった。
やはり物腰柔らかい笑顔で出迎えたのは今より年若いマスターだった。
いつもの常連客はその頃にはもう店にいた。
出されるコーヒーは旨く、ハヤシライスが絶品でマルコ暇さえあればその店で時間を潰した。
ほどよく流れる曲は年代物のレコード。
その店は普段の喧騒を離れ、安らぎを与えてくれた。
そして、通い始めて数年後。
「いらっしゃいませ!」
軋むドアを開けて出迎えたのはまだエプロンが真新しい若い女だった。
指定席になったテーブル席に腰を下ろすと女が御用聞きに現れた。
「……コーヒー」
マルコは訝しげに女を見ながらコーヒーを頼む。
「かしこまりました!」
女はにこりと笑うとマスターへと向かった。
「可愛いだろ?」
「○○ちゃんて言うんだってよ」
「先週から入ったんだよ」
常連客がマルコににやにやと笑った。どうやら入ってくる他の客に言いたくてウズウズしていたらしい。
「ヘェー」
マルコが頷くと○○がコーヒーを運んできた。
「お待たせいたしました!」
「……あァ」
マルコは○○を気にせず入り口に置いてあった新聞を広げた。そしてコーヒーをいつもの様に飲む。
「…………なんだい」
いつまでも立ち去らない○○を不機嫌そうに見上げる。
「あ!すみません!コーヒーをそのまま飲むので!やっぱり大人の男の人は違いますね!!」
○○は驚きに目を見開き、そして楽しそうに笑った。
「…………」
「ぶふっ!!」
「あはは!」
「面白い○○ちゃん!!」
唖然とするマルコを他所に常連客はケラケラと笑った。
「え?何か変でしたか?」
不思議そうにする○○の顔は余計に笑いを誘った。
それから7年間○○はその店でバイトをし続けた。
そして、ある春の日。
「いらっしゃいませ」
マルコを出迎えたのはマスターの声だった。
「……?コーヒー」
「かしこまりました」
不思議に思いながらマルコは指定席に腰を下ろした。
「○○ちゃん就職しちまって、癒しが減った」
「つまんないな」
「昔はこれが当たり前だったのにな」
常連客3人はぐったりとマルコに話しかけて来た。
「そうかい」
マルコは新聞を広げた。しかし、内心穏やかでは無かった。
胸に穴が開いた様に苦しかった。
「お待たせいたしました」
マスターはことりとコーヒーをマルコのテーブルに置いた。
「マスター。また誰か雇うのかい?」
「一応声はかけてます」
マスターはにこりと笑った。
「そっかー!」
「良い子だと良いな!」
常連客はため息混じりに頷いた。
「いらっしゃいませぇ!」
「……………………コーヒー」
「はぁい!」
大学生らしい女が新しいバイトに入ったらしい。
「今度の子もなかなかだろ?」
「可愛いし、良いよな」
「女の子!って感じで」
常連客3人はだらしない顔で笑う。
「…………コーヒーの旨い店に香水は要らねェよい」
マルコは指定席に腰を下ろし、新聞を広げた。
「あー、あんたは○○ちゃん派だったもんな!」
ケラケラと笑うのをマルコは無視をした。
あの時ぽっかりと開いた穴は埋まることはなかった。
それから2年後。
「いらっしゃいませ」
「っ!?」
いつもの様に店のドアを開けると久し振りに聞く○○の声。
「お久し振りです。出戻って来てしまいました」
○○は苦笑しながらマルコをいつもの指定席に案内した。
「ご注文は」
「……コーヒー」
「かしこまりました」
にこりと笑った○○の顔は数年で幼さは完全に抜け、大人の女になっていた。
「○○ちゃんの就職した会社酷かったらしいよ」
「可哀想に、痩せちまって」
「良かったなぁー!」
ニヤニヤと笑う常連客。
仲間内なら殴って黙らせていたが、マルコは静かに新聞を広げた。
「お待たせいたしました」
コーヒーが○○の手で置かれるだけでマルコには輝いて見えた。
「お帰り」
マルコは ○○を見上げた。
「っ!ただいまです!」
○○は驚いてから嬉しそうに笑った。
その笑顔にマルコの開いた穴はすっかり閉じていた。
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